よくわからない事象でも、響きの良い名前が付くと、人は考えるのをやめ、特定のイメージを信じこむことがある。説明が要らないような錯覚に陥ることもある。
労働や経済に関わる政策は理解するのが難しいだけに、なおさらだ。4月に関連法が施行される「働き方改革」はその一例ではないだろうか。
政府は「長時間労働の是正」「同一労働同一賃金」を訴える。「働く人が自由に働ける」も、うたい文句になっており、これだけ聞けば諸手を挙げて喜ぶ社会人も多いだろう。
ジャーナリストとして労働現場の実態を調べ、声なき声を集めてきた著者は誰のための改革なのかと訴える。法案の成立した経緯を丹念に調べ、「働き方改革」のトリックを浮き彫りにする。
わかりやすいのが労働時間に関する規制だ。残業時間に「罰則付きの上限」が設けられるが、問題はその中身。企業は1か月で最長100時間、2〜6か月で月平均80時間までしか残業させてはいけないと定めているが、これは過労死ギリギリのラインだとか。「罰則付きの上限規制」と聞けば働き手の保護にも映るが、裏を返せば、企業はそこまで働かせてもいいとなるわけだ。
「高度プロフェッショナル制度」は経済界のネーミングの勝利と指摘する。この制度が適用されると、1日8時間までの労働、残業や休日出勤の割増賃金、週1日の休日といった労働基準法の規制からはずれる人が出てくる。
労働規制がないから自由に働けるともいえるし、自由に働かせることを合法化したともいえる。年収1075万円以上の専門職が対象だが、「いずれ対象の年収基準を下げてくるのでは」との警戒もあり、「残業代ゼロ法案」として批判を集めたが、今では多くの人の記憶から薄れているだろう。メディアが「残業代ゼロ法案」と呼ぶのを自粛したことで、法案の持つリスクに人々が関心を示さなくなった経緯が示されている。
著者は「働き方改革」を毒饅頭と痛烈に批判する。外側は甘そうな言葉が並ぶが、中身は労働の規制緩和という毒が入っているというわけだ。確かに、会社のいうままに転勤や残業を受け入れる滅私奉公型の社員を前提とするならば、雇う側の自由度が高まっているとの指摘はもっともで、働き方「改悪」に映るかもしれない。
一方で、会社員のあり方も多様になってきた。転職は当たり前になり、人材の流動化も進む。ブラック企業はインターネットで情報が拡散される時代だ。
こうした「会社に縛られない」潮流は政府により働き手が結果的に選ばされているのか、働き手が積極的に選んだものなのかは意見が分かれる。
働き手にとって重要なのは饅頭に毒が入っているかもしれないリスクを認識することだ。そうすれば、毒が入っているかもと疑いながら、おいしい外側だけを享受できるかもしれないし、「毒が入っているではないか!」と徹底的に叫ぶこともできる。
著者が嘆くように、人間は忘却する生き物だ。記憶を無意識に編集しながら生きている。だが、忘れるにしても、知らなければ何も始まらない。企業で働く人の現在地を知るにはふさわしい一冊といえる。
※週刊東洋経済 2019年4月6日号