「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である」。このダーウィンの名言を、若いビジネスパーソンへのメッセージとして援用する経営者は多い。
感じ方は人それぞれだと思うが、個人的にはサイエンスの理論を曲解し、都合よくビジネスに利用しようとする姿勢に違和感を覚えてしまう。
人間が自らの意志だけによって、自分たちの思う方向へ人体を進化させてきたというなら話は別だ。しかし自然淘汰における突然変異という概念や、適切な時期に適切な場所にいたことによる幸運という要素が、そこからはすっぽりと抜け落ちている。
本書の著者は、このような現象を「経営文学」と名付け、痛烈に批判する。経営学とは本来は社会科学の領域に属するはずのものだ。しかし、欧米などから輸入された経営論のスローガンが情念的な言葉の衣をまとい、意訳・誤訳されたまま流布するというケースは驚くほど多い。さらにメディアでもてはやされて、経営のパラダイムを支配してしまうのだ。
その最たるものが、平成という30年間にわたり蔓延し続けた「持たざる経営」や「選択と集中」というスローガンだと本書にはある。企業経営という視点から平成という時代を総括し、新しい時代を作っていくための示唆に富んだ1冊である。
平成の30年間は、減量経営の時代であった。1989年に始まった平成と同時に日本経済のバブルは頂点に達し、その後、崩壊した。この減量経営の空気感を肯定し続けたのが、本書に登場する「持たざる経営」や「選択と集中」というキーワードである。
最初「持たざる経営」は、不動産などの資産を「持たない」ということだけを指していたという。しかし、その後、多くの日本企業は「持たない」対象を新しい事業や多角化事業にまで広げてしまった。
また「選択と集中」という言葉も、ジャック・ウェルチが用いた当初は「将来的に業界1位か2位になれる分野の事業だけに絞り込む」という意味であったに過ぎない。しかし「本業だけに集中する」という意味に誤訳され、事業の拡大よりも効率性が重視されてしまったという。
2つのキーワードが内包する問題点、それは当たり外れが大きく、長期的な視野に欠けるということだ。新たに事を起こすことのリスクの影に、何も事を起こさないことのリスクがすっぽりと隠れてしまうから質が悪い。
ならば、どうすればよいのか? 著者の示唆は極めてシンプルである。それは、外に存在していた組織や事業を積極的に自社に取り込み、コングロマリットの形成を検討するということだ。
その影響は企業間の取引コストを下げるということに留まらず、企業と個人の関係にも大きな変化をもたらすことになるため、フリーランスの人にとってもポジティブな未来を予感させることだろう。
時代の空気に抗うことができなければ、新しい時代を作ることはできない。平成が許したウソを執拗に暴こうとする姿に、胸のすくような思いがした。そして新しい時代を作っていける喜びも、存分に感じさせてくれる1冊だ。
※週刊東洋経済 2019年3月30日号