知能は遺伝する、精神疾患は遺伝する。このような話を聞くと多くの人は拒否感を抱く。こうした感情的な拒否反応とナチスが支持した優生学の歴史的な過ちが重なり、遺伝決定論は社会的タブーとされてきた。このタブーに異を唱えようものなら差別主義者のレッテルを貼られ、社会的に葬り去られることさえある。
しかし遺伝決定論を否定し、環境決定論に偏った思考をとれば、問題児扱いされる子供たちは、親の教育が悪い、愛情不足、本人の努力不足ということになる。問題行動を起こす子供の多くはADHD(注意欠陥・多動性障害)や自閉症の可能性があり、それらの遺伝率は80%以上だ。これは本人や周囲の努力だけではどうにもできない問題である。ちなみにIQ(知能指数)の遺伝率は77%、双極性障害(躁うつ病)の遺伝率は83%、身長の遺伝率は66%だ。
著者は日本の言論界でいまだに大きなウエイトを占める環境決定論に対し、最新の科学的エビデンスを基に反論、再考することを促す。
さらに現代社会を「知識社会」と定義することで、遺伝と知能がもたらす社会問題を浮き彫りにする。
OECD(経済協力開発機構)主催の国際成人力調査PIAAC(ピアック)の結果は驚くべきものだ。この調査は「16歳から65歳までの成人を対象とし、社会生活で求められる能力のうち、読解力、数的思考力、ITを活用した問題解決能力の測定」を目的としたもので、24カ国、約15万7000人が参加した。
調査の結果は、日本人の3分の1が初歩的な日本語を読めず、同じく3分の1以上の人が小学校3〜4年生の数的思考力しか持たない、パソコンを使った基本的な仕事ができる人は1割以下という惨憺(さんたん)たるものであった。しかし、驚くべきは、そんな日本が各分野で1位を獲得しOECD平均よりも有意に高い国となっている点である。他の先進国はもっと悪い状況なのだ。
こうした結果は何を意味するのか? 先進国で教育の劣化が起きているのか? 実は昔から多くの人たちはこんなものだった、ということなのだ。IQの遺伝率が77%だとすれば、数世代で知能が大きく上下するとは考えにくい。
今まで問題視されなかったのは、「無意識の知能」とも呼べる類いの仕事が豊富にあったからである。例えば職人技の世界だ。
だが、知識社会が高度化するにつれ、職人技はマニュアル化されプログラムに置き換えられた。作業者は定型に基づき作業すればよく、人件費が安い途上国の労働者やAI、機械に代替される。そして失業率が上がり、貧困が社会問題となっていく。
先進国で広がる貧富の格差は、高度に発達した知識社会に、一定数以上の人が遺伝的レベルから適応できていない可能性を示唆している。
さらに著者は、世界中の人々のIQを計測したイギリスの認知心理学者リチャード・リンのデータを基にIQと人種という最もデリケートなタブーにも切り込んでいく。
ここから先は短い書評では誤解を招きかねないので、本書を読んで真意を理解してほしいのだが、そこには最新の行動遺伝学に基づく、目を背けることのできない人間社会の真実が待っているはずだ。
※「週刊東洋経済』2019年3月23日号