仲間内で互いに助け合うこともあれば、コミュニケーションもとっている――ドイツの森林管理のプロが長年見てきた樹木の驚愕の生態がここに! 最新のサイエンスの知見で、樹木の持つ驚くべきコミュニケーション能力や社会性を解き明かす。知らないことだらけの森の世界へ、ようこそ。
ドイツで2015年に出版されて以来ベストセラーとなっている本書の著者、ペーター・ヴォールレーベンは、1964年ドイツのボン生まれ。ボンといえば旧西ドイツの首都だったくらいだから、都会生まれ都会育ちだ。「だからこそ」自然に興味を持つようになり、大学で林業を専攻したそうな。
卒業後は、ドイツ西南部の州、ラインラント=プファルツ州の営林署で20年以上公務員として森林を管理した。だが、生態を考えない一律的な植林や害虫駆除剤の散布など、人間の都合や採算だけで行われる林業に疑問を感じ、行政官としての限界を感じた彼は独立する。ドイツの公務員というと待遇が良く安定している印象だが、その立場を投げ打ってでも、ということか。
とはいえ、この顛末が文中で語られることはほとんどなく、著者のプロフィールと訳者あとがきで知るばかり。むしろ全体が、浮世の人間世界に興味がないからこそ、爽やかなサイエンスエッセイとなっている。森林保護のための姿勢や方針が認められたのだろう、彼に共鳴したいくつかの自治体が、ついには森林管理を契約で委託するようになる。いわば森林管理のフリーランスだ。2016年には、本が売れたことも後押ししたのか、「森林アカデミー」を設立し、森林や樹木の理解を広げる活動にも従事している。
もちろん、ドイツと日本では、一致する部分はあれど森林の生態が違う。それでも、森林管理の分野でドイツは世界を見回しても先進的とされ、そのための視察も多いと聞く。管理や保護の面でも学ぶところが大いにありそうだ。ただし、この本が広く読まれるようになったのは、「友情」「木の言葉」「社会福祉」といった37ほどのテーマに即して、樹木の生態をわかりやすくエッセイ風に綴っているからだろう。国土に森の多いドイツ人は「森好き」でもあるそうで、それがまずこの本の土壌としてある。また、筆致が滑らかで、何より喩えが人間であったり他の動物であったり、腑に落ちるものばかり。読み終える時には樹木のことを知った気持ちにすっかりなっていた。入門書として最適だろう。細かい知識がいちいち面白い。
冒頭の「友情」の項目には、のっけから引き込まれた。
ブナ林で見つけた、400、500年という過去に切り倒されたであろう、木の切り株から話は始まる。岩のように地面で硬くなっていたり、土が流れて根が露出したりしている切り株を森で見たことはないだろうか。葉がないから光合成もできず、呼吸も成長もできないはずのその切り株は、つまり飢餓状態なのに、なぜか生きながらえている。
と、よく見るとその切り株は、孤立していない。近くの樹木から根を通じて栄養を得ている。根っこが、同じ種類の樹木同士をつなぐネットワーク、ご近所助け合いのコミュニティを成すのだ。研究によれば、自分と同じ種類の木の根かどうか、また、自分と他の根の区別もしっかりついていて、いわば社会をつくっているという。人間社会と同じで、全体として水の供給や気候への対応の力が上がり生態系がよくなり、すべての木が生長できるから、仲良くした方が得なのだ。そして、仲のいい木同志は、友達の木の方向には、枝を必要以上に伸ばそうとしない……。
読んでいくと、樹木の知恵には何度も唸らされてしまう。
たとえば、「木の言葉」の項では、アフリカのサバンナで観察されたキリンとアカシアの関係が語られる。キリンが葉を食べ始めると、数分以内にアカシアは有毒物質を葉の中に集める。対抗策として、キリンは少し距離を置いた別の木に移動する。なぜ遠くに移動するかといえば、なんとアカシアは「災害」アラームを周りの仲間に伝えるべく警報(ガス)を発するため、それを知っているキリンは、警報の届かない位置まで移るのだ。
他にも、地中の音を聞く最近の研究では、根が発する「ポキッ」という音が周波数220ヘルツで測定された。それは苗を使って測定されたのだが、なんと、そばの別の苗がその音の鳴った方向を「向いた」そうな。
こうなると、学習して記憶ができるのだから、記憶を留める場所が必要だ。「脳」の機能を持つ部位があるのだろうか。あるとしたら、根っこにあるのか? それなら植物に知性はあるのか? 議論は続くのであった。
とにかく、森の知恵がちりばめられていて、楽しい。森を歩きたくなってくる。
つい笑ってしまったのは、これ。
森の上階については研究がまだあまり進んでいない。本格的に調査するには、クレーンやタワーが必要になるからだ。そこまでするのは大変なので、ときには荒っぽい手段が選ばれる。たとえば樹木の研究者のマルティン・ゴスナーは、数年前にバイエルンの森国立公園にある樹齢およそ600年、高さ52メートル、直径2メートルの大木に除虫菊粉剤を散布した。その木の樹幹で生きていたクモや虫がその殺虫剤を浴びて、雨のように上から降ってきた。もちろん死んだ姿で。残酷な話だが、おかげでどれだけたくさんの生き物が樹上で生活していたかがわかった。257種類、2041匹の生き物が確認できたのだ。
(引用にあたり、文中の漢数字は直した)
なんと、すごい数字だ。
一本のブナは5年ごとに(気候変動で短くなる傾向とか)、少なくとも3万の実を落とす。樹齢80-150年で繁殖ができるとして寿命を400年、60回受精するとしたら、1本の木が180万個の実をつける計算だ。そのうち成熟した木になるのはたった1本! となると、宝くじの一等並みの博打である。1本の木の存在は、奇跡のような存在なのだ。そして、その1本の木にはそれぞれにまた、生態系が広がっている。
実生活に役立たないことは請け合うが、人生には役立つ本ではなかろうか。