映画『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』の後編『アベンジャーズ/エンドゲーム』公開が間近に迫り、今か今かと待ちわびている昨今。そんな現在も活躍するマーベル・ヒーローの多くの生みの親であり、基盤を作り上げてきたスタン・リーの伝記が本書『スタン・リー: マーベル・ヒーローを創った男』である。昨年11月に95歳で亡くなったスタンリーだが、その年齢が示すとおりに生まれは1922年のこと。第二次世界大戦を経験し、数多くの貧困や恐慌を経験し、コミックは有害図書だと大衆から叩かれてきた逆境を乗り越え、齢90を超えてなお旺盛な創作意欲に突き動かされ、時代のうねりと共に生きてきた偉大な男の人生が凝縮された一冊である。
ざっと紹介する
スタンリーが生まれた1922年のアメリカはまだ第一次世界大戦の混乱からは抜けておらず、経済は停滞を続けていた時代である。年齢から考えれば当然なのだが、つい最近までマーベル映画で元気な姿を見ていた身からすれば、あの陽気で依然として日本のアニメ原作など無数の仕事をこなす彼が1922年生まれなどというのは、本書を読みながらも信じがたいものがあった。
スタンリーの父はユダヤ系のルーマニア人で、差別を逃れてアメリカへと渡ってきた。1929年に始まった世界大恐慌の影響などもあって、当時は慢性的な失業状態、貧困の幼少時代をスタンリーはおくることになる。父親が失業状態なので、スタンリーもまたできるだけ早く仕事につかなければならず、劇場の案内係からジーンズ工場の雑用などいろいろな仕事をこなしていたらしい。この(高校生ぐらいの時)頃すでに、後のお調子者で愉快な性格は表に出ていたようで、「騒がしいやつ(ギャビー)」という愛称で呼ばれ、校舎の天井に「スタン・リーこそ神」と後のペンネームとなる名前を落書きしていたなどといった細かなエピソードの数々がおもしろい。
高校を卒業したスタンリーは大学に行くこともなく家計を助けるためにすぐに正社員としての仕事を探し始めるのだが、この時に形作られた思想・危機感が後のワーカホリック的な一面に反映されていたのかもしれない。
いよいよ編集者になる
スタンリーのキャリアが始まるのは、マーベル・コミックの前身であるタイムリー社に正社員として就職してからだ。その頃のスタンリーはまだティーンエイジャーで、最初はただの雑用係として雇われていたが(この雇われた経緯については、幾つかのバージョンがあり確実に正しいといえるものはないようだ)、タイムリー社はスーパーマン人気に乗っかってコミックも刷り出しており、とにかく仕事はたくさんあった。今からすると想像するのが難しいが、当時はコミックを郵送料の安い雑誌扱いにするために、「売れ筋の漫画作品」に抱き合わせ商法的な物語をくっつける必要があったらしく、スタン・リーはそこから物語を書き始めたのである。
『2人がスタンリーに書かせた埋め草ストーリーは、『キャプテン・アメリカ』コミックス3号(1941年5月)に「キャプテン・アメリカ、謀反者の復讐を阻止する」というタイトルで掲載されている。』(この2人とは、ジョー・サイモン、ジャック・カービーのこと)つまり、これがスタン・リーの実質的なデビュー作ということだ。タイムリー・コミックスが出していた『キャプテン・アメリカ』の人気が高まるにつれ仕事は増え、そのわりに人員は少ないという状況。さらにはサイモンとカービーがDCの仕事をこっそり請け負っていることなどがバレた結果切り離され、スタンリーは、10代にしてタイムリー・コミックスの編集長に据えられてしまう。
ファンタスティック・フォーやスパイダーマンが生まれた
その後第二次世界大戦がはじまり、従軍しながらもコミック発行の仕事を副業的にこなす、コミックが社会の敵として宗教団体から攻撃され、その影響で売上が壊滅的なダメージを受けるなどの大きな後退を強いられながらもスタン・リーは自身のキャリアを着々と積み上げていく。この当時の話でおもしろいのは、タイムリー社の経営者であるグッドマンは基本的に漫画の良し悪しなどわからない金の追求者なので、他社がヒット作を飛ばせばすぐにそれの丸コピーのような作品をリーに書かせていたという話。スタンリーもまた、雇われ者として特に文句もいわずにロマンスから戦争、動物、犯罪、西部劇などどんなジャンルでも扱ってストーリーを書いた。
とはいえ、このまま人生をコミックにささげてもよいのだろうか? 同じことを繰り返しているだけで、創造的な喜びなどなにもない、と鬱屈した時期をこの時スタン・リーは過ごしていたようだ。そうして、スタン・リーはある時一度おもいきって、(当時は)新しいタイプのスーパーヒーロー。つまり、DCのコピーではなく、生まれながらのヒーローでもなく、ある日突然普通の人が、望んでもないスーパーパワーを得たらどうなるだろうか? と考え、ファンタスティック・フォーを──そして、そう間をおかずして、スパイダーマンを生み出すことになる。
それではダメだとリーは思った。ヒーロたちはもっとリアリティのある存在であるべきだ。「今回はやりたいことを全部やれるチャンスだと思った」と彼は語る。「現実の人間のように振る舞うキャラクターを創るんだ。今までよりもっと想像力が必要になる。ハッピーエンドのときもあればそうじゃないときもあるが、ストーリーは終わることなく続いていく。現実の世界が物語の舞台なんだ」
同時期にハルクやアイアンマンも生み出されており、キャリアの一度目のピークが訪れていた。当時の苦悩や、それを生み出した時の反応などの描写が、ここではじっくりと描かれている。
おわりに
何十作も並行でプロットをつくっいたスタン・リーは、フリーランスたちの手が止まらないように独自の作業プロセスを作り出したという点も興味深い。まず最初の数ページとラストのページについての説明があり、その間は「埋めておいてくれ」といって作画陣にまかせてしまうのである。結果的にはこれが両者の創造性を飛躍させ、売上は伸びたという。本稿ではスタン・リー最初の絶頂期までを簡単にご紹介したが、この後もマーベル&スタン・リーの人生には波乱続き(ハリウッドへの進出、アニメ化、売上の下落、誰に本当の功績があるのかを巡っての確執など)。
嵐のように働き続けていたスタン・リーが経営層に移り、その後は映画へのカメオ出演やイベント出演に精を出すようになって「スタン・リー自身のキャラクター化、マーベルの象徴化」が起こったり──とお調子物の性格そのままに、最後まで話題の絶えない人である。スタン・リーは晩年、日本での活躍も目立っていて、たとえば漫画『機巧童子ULTIMO』の原作、アニメ『HEROMAN』、『THE REFLECTION』などの原作を務めており、このへんの話も触れておいてほしかったけど本にはなかったな〜〜と思ったら、解説の堺三保さんがしっかりと触れてくれていたのでそのへんも(本の作りとして)ありがたいところだ。