縁あって私は今、札幌でテレビの仕事に就いている。札幌に赴任したのは、「明仁天皇が生前退位の意向を示した」というニュースが全国を駆け巡る少し前のことだった。
札幌は日本有数の美しい街だ。この地に居を構え、生まれ育った東京と、そこから遥か800キロ離れた札幌との「二都物語」が私の中で始まった。その物語のエピソードのひとつとして私は札幌の中に「皇室」を見つけた。北海道開拓のシンボルである「赤い星」。北海道庁旧庁舎、札幌時計台、サッポロビール博物館など市内のあちらこちらで赤い星を見つけた。その星の名前は「五稜星」という。五稜星は北海道の地形を模したものであると同時に「北極星」を意味している。「北極星」と聞くと元皇室記者の心はざわめく。「天子は南面する」。北極星とは「天皇」を意味しているからだ。遥かな天上にあって北極星はその中心に座して動ぜず、無数の星たちがその周りを回っている。北極星は自らが北にあるため、その面は常に南に向いている。つまり、「天子は南面する」のである。
そして、もうひとつ「皇室」を見つけた。私が住む円山は「北海道神宮」へ歩いて行ける。北海道神宮は、北海道の開拓にあたって明治天皇が明治2年9月1日に「鎮護神を祭るように」と勅を発したことに由来する。その結果、大国魂神、大那牟遅神(別名オオクニヌシノミコト)、少彦名神の開拓三神が奉じられ、その後、昭和39年には明治天皇も増祀されている。北海道神宮に向かう、北一条通りは「表参道」、南一条通りは「裏参道」と呼ばれ、宮の森、宮の沢、神宮外苑など神宮に関連する街や建物の名前が散見する。それらは、東京・代々木にある明治神宮と原宿の街を想起させた。縁あって訪れた札幌で皇室との少なからぬ縁を感じたことが、「生前退位」の報と合わせて、私が30数年も前の皇室記者の記憶を頼りに本作を綴り始めたきっかけである。オックスフォードの街で出会った、あの青年はどんな天皇になるのだろうか、と。
皇室は戦後、メディアと共に歩んできた。国民はメディアを通じて皇室に触れ、そのイメージを形作り、それを再生産してきた。皇室の冠婚葬祭、行幸啓、国民との交流の様子をメディアが伝えることで皇室と国民の距離は近づいた。「象徴天皇」はメディアによって支えられてきたとも言えよう。
始まりは昭和20年8月15日、ラジオが伝えた「終戦の詔書」である。国民はメディアを通じて昭和天皇の肉声を初めて聞いた。その後の「天皇の人間宣言」の詳報を伝えたのは新聞であり、「全国巡幸」の熱狂も紙面やラジオで伝えられた。
皇室とテレビメディアとの蜜月が始まったのが、昭和34年の「明仁皇太子ご成婚」である。テレビは生中継で「ご成婚」を伝え、テレビ自身、この報道をきっかけに爆発的な普及を果たすことが出来た。そればかりではない。民間出身で初めての皇族となった美智子皇太子妃はその美しさと明晰さで国民を魅了した。その一助となったのはテレビメディアだった。
そして、日本は復興し、繁栄した。それを象徴するように、東京オリンピックの開会式、大阪の日本万国博覧会で昭和天皇は開会を宣言した。その映像に国民は大いに鼓舞された。平和日本の象徴である、正月の風物詩「皇居一般参賀」や「歌会始」。そして、春と秋に赤坂御苑で開催される「園遊会」。世界の中の日本を意識させられる、国賓を招いた「宮中晩餐」など。そうした平和な祝祭的空間を私たちはテレビによって居ながらにして体験してきた。メディアは皇室が継承してきた日本の伝統や文化、海外交流を国民一般に共有させるための一定以上の役割を果たしてきたと思う。
平成の時代にあってテレビは、明仁天皇と美智子皇后が被災地を見舞い、被災者を慰める姿や先の大戦の戦没者を慰霊する姿を捉え、報じてきた。その姿は「国民に寄り添う」平成流の天皇像を国民に深く印象付けた。これも皇室とメディアの不可分の関係を示すものだ。
新天皇の時代も皇室とメディアはその関係を紡いでいくだろう。この中で、急成長を遂げるメディア、インターネットと皇室がどのように関係を結んでいくのかは注目される。
ネットはあらゆるものを情報化する。その中には玉石混交の情報が溢れており、その危うさが指摘されて久しい。しかし、このメディアの本質は、あらゆる組織、集団、そして個人が自ら、容易にメディアとなることができることにある。それは伝統的なマスメディアにとっては画期的であり、脅威でもある。これまでのメディアの秩序を大きく変えるものだ。そして、そのネットの未来を考える時、私自身は情報の送受信にあって「リテラシー」、適切な理解力・解釈力・表現力が、適正に根付くかどうかが大きなカギになるのではないかと思っている。
新天皇の時代。これから始まる、その時代に日本は、世界は、どうなっていくのだろうか。どう変わっていくのだろうか。そして、皇室と様々なメディアはどう関わりあっていくのだろうか。興味や関心は尽きない。同時に私自身もメディアで働くものの一員として、その課題を不断に考えていきたいと思う。
根岸 豊明