2019年早々に、記憶にまつわる驚きのニュースが発表された。忘れてしまった記憶を回復させる薬の開発が成功したというのだ。HONZでもときおり著作が紹介される東京大学池谷教授の研究で、記憶回復のメカニズムが解明され、今後ますます効果の高い薬が開発されるかもしれない。仮に記憶が回復できる未来がやってくるとしたら、私たちは脳内の記憶と、どのように付き合っていくことになるのだろうか。
21世紀に入る前後から、携帯電話、スマホが一人に一台のペースで普及しはじめた。それ以来、電話番号は覚えるものから記録するものへ変わった。また、仕事でも原稿を覚えることはほとんどなく、プレゼンテーションソフトに頼りっきりだ。
いっぽうで、学生時代の通学路や定期的に通う旅館などに足を踏み入れると、昔の記憶が急に思い出される。振り返りたくない屈辱的なことも、忘れていた大切なことも、無秩序に頭に浮かび上がる。
こういった謎に対して、記憶の不思議を医学や脳・神経科学などから解説するサイエンス本は、所狭しと本屋に並んでいる。しかし、本書のような記憶術の歴史的なコンテクストを追いかけた本など、ほとんど見たことがない。科学技術の発展が私達の記憶にこれまでどのように影響を与え、これからどのようなパラダイムシフトが待っているのか、歴史に学ぶにはもってこいの内容である。
この類まれな知的探検は古代ギリシャ人たちの物語からはじまり、18世紀に記憶術が廃れ、忘却されるまでを駆け巡る。そのガイドである著者は西洋美術・建築・庭園史が専門であり、西欧の初期近代の視覚芸術や思想を深く掘り下げていく中で、記憶術(art of memory)に遭遇している。
そして、第一章の冒頭でいきなり登場するのが、不審な行動をする男だ。教会堂内を一巡し、また戻って右回り、左回りと飽きることなく繰り返す。現代でそんな行動をすれば、通報されるだろうが、これは16世紀のルネサンス期に話題になった記憶術のマニュアルに従い、建築の内部空間を脳内に刻み込んでいた日常の風景だという。
当時は活版印刷術が普及し、記憶術の諸規則を解説した教本類が雨後の筍のような勢いで執筆ないしは印刷された。その中で、注目するべき本をいくつか選定し、複数の章を割いて分析する。その術は一日や二日の付け焼き刃でできるような方法ではなく、少なくとも2ヶ月、6ヶ月は必要とするものもあり、一日にして成らず、であった。
その記憶術を効果的に運用していくために、中核にある手法はロクスと呼ばれるものであった。精神の中に仮想の建築物を構築し、その部屋ごとに記憶を配置していく方法であった。単に建物の見取り図をコピーするだけでは不十分で、想像力を駆使して自由に作り上げた仮想の空間の内部を動き回れるように、普段から訓練する必要がある。ただし、ロクスはあくまで情報の容器にすぎない。記憶したい内容とは無関係なニュートラルな箱である。そのため、ロクスは秩序を持つと同時に、適当な多様性を有するものが理想とされた。
ロクスが構築できたら、文字をイメージに転換し、イメージを場所と組み合わせていく。詳述はここでは控えるが、この手法が本当に効くのかという点は、医科学的な観点から見ても有効であることが近年の研究によっても、証明されつつある。
この方法は古代の弁論術の教程に組み込まれていた。しかし、弁論術が衰退するとともに、記憶術は歴史に表舞台から姿を消した。再び登場したのはルネサンスの時代である。ルネサンスの視覚美術と記憶術、ロクスとして活用可能な秩序と多様性と壮麗さを兼ね備えた建築、ロクスの中に住人を住まわせ、即興寸劇を演じる方法、記憶劇場 -精神内の仮想建築ではなく、現実世界に建設されるフィジカルな劇場- の計画など、ルネサンスの時代に縦横無尽に活躍していた。
その後、記憶術は情報の洪水に対応できるよう、その方法をますます洗練させていった。具体的にはロクスの多様性を犠牲にし、精神内の仮想建築を極端にまでシンプル化していった。しかし、そのことが衰退を決定づけたのだことは皮肉としか言いようがない。
知と葛藤し、暴走する知を制し、実用的に活用する方法を指南する記憶術師たちの方法はまさに温故知新であり、インスピレーションを受けること間違いなしである。そして、現代の自己啓発本の著者たちは、記憶術師の末裔とも言えるだろう。自らの知的能力を高めたい、そう願う人は同じような願望を持った故人とその方法の歴史に学ぶために本書を買い物かごに入れてはどうだろうか。
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仲野先生が帯に
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