昭和42、3年ごろ、文藝春秋社が文芸雑誌で使用した原稿を大量廃棄処分したことがあった。
社名入りの茶封筒に入れられた大量の原稿は、ある古紙問屋に持ち込まれた。その問屋へ毎日通い、本や雑誌を探す“建場廻り”(注:建場は業者がその日に集めた廃品を買い取る問屋。古本業界用語)のK書店が発見し買い取った。専門外のK書店は、近代文学などを得意とするU堂へ連絡。すぐに来訪したU堂は選別したのち大金を払った。残りはK書店の倉庫に残された。
その直後、池袋西武百貨店で開かれた古書販売会の目録に人気作家の草稿が大量に出品された。この時、著者の青木正美さんが買い求めたのは安部公房『砂の女』(当時のタイトルは「チチンデラ・ヤパナ」)の草稿56枚。落札金額は112,000円であった。
これが『文藝春秋作家原稿流出始末記』の前段だ。その後、文藝春秋社の責任ある肩書の人から買い戻したいと申し出があるも断り、この原稿は著者の所蔵となった。
古書店を経営する青木さんは肉筆原稿の蒐集家でもある。この一件から30年余り経ったある日、久しぶりにK書店に会う。思い立って当時の流出原稿のことを尋ねると、残りはあのまま取ってあるという。なぜ、という問いにK書店はこう答えた。
あれ実は、ほとんど袋の中身、首ナシなんです
首ナシとは原稿の1枚目が欠けているということ。書き出しの部分がないということは著者も作品もなんだかわからない。
当時、文藝春秋社では発表したのちの山積みの原稿の処分に困っていた。作家たちも活字になって原稿料を受け取ったあとは必要ないものだ。だが処分時、担当者は万一を考えて一枚目を破棄したのだろう。
以前、大量に市場に出回ったのは、その中で首ナシを免れたものだけだった。
首ナシであっても、著者は肉筆原稿の蒐集家だ。だから誰の書いたものかすぐに判断できる。井伏鱒二、伊藤整、三島由紀夫、井上靖、松本清張、安部公房など人気作家のものから、値はつかないと思われる評論家の原稿まで、大量の原稿が500万円で青木さんのものとなった。
その後、初出誌を探しだし、1ページ目をコピーして首ナシの原稿に貼り付ける作業が続く。作家ごとに文字を読む難しさや、後の引き取り先などを詳細に記していくのは気の遠くなるような作業だ。
時代とともに作家の人気も変わり、当然、生原稿の値段も変わる。原稿用紙の使い方から作家の性格が推測され、推敲や校正の過程から執筆時の苦労も偲ばれる。
後に当時の文藝春秋社の担当がわかり、一連の事情が明かされる。売りに出されたことを知った作家の通報によって、社内で大問題となったこともわかった。
今では数少ない直筆手書き原稿作家、北方謙三氏の秘書をしていたころ、原稿の管理には非常に気をつかっていた。原稿は必ず返却してもらい目録を作って保管してある。
現代の作家はほとんどがパソコンやワープロで執筆する。書き換えや推敲の過程を知ることはできなくなり、筆跡でその人を想像することもできなくなった。それは少し寂しいことだな、と胸の奥がチクリとした。(ミステリマガジン1月号に加筆、転載)
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