レンブラント、ピカソ、シャガール、モディリアーニ。絵画で名高い作品は多数あるが、その作品自体どのようにして仕掛けられ、世に出ていくのだろうか。
当然ながら、作家1人の力で作品全てを売りさばくことは不可能であり、その歴史の裏側で動く画商と呼ばれる人物像に興味がいく。
著者のフィリップ・フックは、世界最大級のオークション会社サザビーズの取締役である。イギリス出身の、根っからの競売人でありこれまで数多くの美術品を扱い販売してきた。画商はどれほどの影響力を持つのか?また画商たちによって美術史はどれくらい左右されてきたのか?本書はその疑問に答えてくれる一冊だ。
美術品は美や質、希少性といった様々な概念によって価値が伸縮自在に変動する。それらを扱う画商たちのことを、著者は親しみを込めて「ファンタジーの調達人」と呼び紹介していく。絵画や彫像の取引はすでに古代ローマでも見られたが、この時代は美術品としての価値判断がつかない時には絵画は重さで評価される時代もあった。そこで画商達は各人の哲学でもって、それこそあらゆる手段を用いて顧客に作品に夢をのせて届けていく。
著者は人間味豊かな画商たちの言動を、ときに面白がりながら、あるときは批判的に、あるときは愛を込めて語る。そのため歴史をふまえ順に紹介はしているのだが、文体のおかげで500ページ以上のボリュームでも最後まで面白く読める。
たとえば現代美術家たちの才能をいち早く見出した画商アンブロワーズ・ヴォラールは、セザンヌの絵画をして「腹に一撃をくらったような」印象を受け彼をプロデュースし成功させた。ヴォラール自身の功績は、1901年の早い時代にピカソを発掘し初個展を開催させている。こうした現代美術のシーン自体をいち早く構築し、豊かな財産を循環させる人物は、美術文化それ自体を進化させていく。
興味深いのは、芸術家と契約を結んで作品を一括購入し、
彼はコンサートホール中にこう言い放ったことがある「私が最も大きな喜びを感じるのは、私が気に入った楽曲を嘲笑し、野次を飛ばす相手の前で断固として拍手喝采を送ることだ。同じことは絵画にも言える。私は私が愛するものを守るのが大好きなのだ」
カーンワイラーはユダヤ人家庭に生まれ、教師のような性格をしていた。彼の画廊は豪華ではなく殺風景であり、簡単にお墨付きの絵画を売り収益をあげる行為に興味がなかった。自分が扱うのは、まさに今生きて活動している若い芸術家達であり(カーンワイラーよりつい先に亡くなったセザンヌも駄目)彼には、自分と同じ時代を生きている画家のために闘うことだという信念があった。また画家が画商に渡す絵の数を、期間で指定する契約にも全否定していた。彼がプロデュースしたブラックを含め、それは画家たちが経済的な心配なしに安心して仕事をできるようにする配慮であるが、カーンワイラーの哲学がなければ、キュビズムから近代アートへと発展しなかったかもしれない。
また、現在ではオークションによって何億もの値で落札されていくのは常識となった。ビット(売値額)が飛ぶようなスピードで上がり続け、オークショ二アの鋭い視線はセールルームの隅々まで届き1ビットも逃さない。興奮と緊張が最高潮に達しハンマーが振り下ろされる。この仕組み自体も当時サザビーズにいたピーター・ウィルソンが、それまでの機能を変容させた。彼以前のオークション会社といえば単なる卸売業者であり、売り物にならない在庫の美術作品を、サザビーズやクリスティーズで処分するのが画商たちにとって最後の手段だった。
そこで彼は、オークションの競売室を魅力にあふれる華麗な競技場に変えた。裕福な人々が美術界のトロフィーを得るため、まるで古代ローマの剣闘士のように競いあわせる図式である。コレクターはその戦いに参加し、ビットする様を周囲から見てもらうことで幸福感が味わえた。ステイトメント(予測売上)から価格が飛ぶようにふくれ上がり、大きく会場がざわめくエンタテインメント要素満載である。のちにウィルソンはサザビーズの会長を務めることになる。
他の画商たちも、印象派育ての親の画商リュエル、テロリストから画商に転身したフェネオンなど約80人以上の個性的な男女が登場する。巻末にはルネサンスやキュビズムなど美術用語集、さらに抑えるべき画商人物一覧が掲載されている。これらの画商列伝を知れば、美術史とアートがより味わい深くなるだろう。