平成最後の年間ベストセラーリストが発表された。メディアでは、当代のベストセラーを振り返る報道が相次いでいる。ここでは、平成のミリオンセラー『超訳ニーチェの言葉』『嫌われる勇気』『漫画君たちはどう生きるか』の振り返りから入りたい。
この三冊は、偉大な哲学者(ニーチェ)や心理学者(アドラー)などの思想を、今の人に伝わるように表現を工夫したものだ。時代の空気を読み、そこに生きる生身の人間に「生きる力を与えたい」という作り手側の懸命な思いが伝わってくる。
その舞台裏を調べると、「よくぞここまで」というくらいに手がかけられている。それは、小欲(売りたい)を超えた、大慾(人々を喜ばせたい)があるからこそ、できる仕事といえるだろう。本書のテーマ・中村天風は、次のような言葉を遺している。
他人の喜ぶような言葉や行いを、
自分の人生の楽しみとするという
尊い気分になって生きてごらん。 ──中村天風『盛大な人生』
松下幸之助、原敬らに多大な影響を与え、現代でも松岡修造、稲盛和夫、大谷翔平といった各界の著名人から強い支持を受ける中村天風。メンターのメンターともいわれ、その哲学を受け継いだ人から、多くの感動や、人を幸せにする発明が次々と生み出されてきた。
この中村天風、日本人初のヨガ直伝者でもある。いま海外の巨大企業でブームになっているマインドフルネスと天風思想は、源流は同じである。驚愕すべきは、ジョブズやGoogleが注目するはるか以前に、天風はその価値に気づき伝道を始めたという点だ。
その生涯は、波瀾万丈だった。1876年に東京の北区で生まれた。家柄は福岡・柳川藩(立花家)の孫にあたる。16歳で満州に渡り陸軍の諜報部員として活躍したが、30歳の時に重い肺結核にかかり、北里柴三郎博士から「35歳までに死ぬ」と宣告された。
その後、病気を治すために欧米を転々とするが、万策尽きて「どうせ死ぬなら日本で」と帰国する途中、エジプトのホテルでヨガ哲学者・カリアッパ師と出会う。その後2年7カ月の間ヒマラヤの麓で修行を積み、ついに悟りを得て死病を克服した。
たとえ身に何があっても、
心まで病ますまい。
たとえ運命に非なるものがあっても、
心まで悩ますまい ──中村天風『運命を拓く』
日本に戻ると銀行など数々の事業に参画し、5軒の家と別荘を持ち、贅沢の限りを尽くしていた。しかしそんな折、自分のスピーチが人の役に立つことに大いなる「感動」を覚えた。そして1919年6月8日、彼は全ての社会的地位を捨てて、辻説法を始めたのである。
それから100年。来年は節目の年である。経営者や一流アスリートに関する報道で、天風の名を目にしたことがある方も多いのではないだろうか。わざわざマインドフルネスを逆輸入しなくても、日本には、こんな凄い人がいたのだ。そこから学ばない手はない。
ただ、そこには少し壁がある。時間や言葉の問題で、その哲学は難解だといわれているのだ。それを乗り越えるのが本書の表現方法だ。「真善美」「絶対積極」「本領発揮」の三部構成となっており、著者独自の言葉で天風哲学のエッセンスを伝えている。
天風哲学の重要な「キーワード」を各項目に抽出し、天風師が発した本質の言葉は、フォントの大きさを変え出典を明記、私が新訳した文章は、通常フォントで表現しています。
~本書「プロローグ」より
鈴木成一氏による本文デザインは読みやすく、装丁は重厚感にあふれている。そして面白いのは、著者はもともと専門家ではない点だ。演劇の経験をもとに自ら開発した「感動メソッド」で、企業の業績回復に挑んできた「感動プロデューサー」なのである。
皆様は「感動」をビジネスに活かす術をご存知だろうか。その講演先の企業には、日本マイクロソフト、パナソニック、キリンビール、伊勢丹など一流企業が並ぶ。この著者に、転機が訪れたのは数年前。天風会の講師だった著者の父が他界したときだ。
父の机上には、膨大な数の天風本と自身の講演ノートが残されていた。「まるで、私に手渡したかったかのようだった」著者が天風哲学と向き合ったのは、それからだ。本書には、研究者ではない市井の人が、偉大な思想に出会ったときの鮮度と勢いがある。
このような刊行経緯は、『嫌われる勇気』や『漫画君たちはどう生きるか』にも、通じるものがある。新しい表現が、同時代の人々の心を動かすのだ。では本書は、どのような表現で天風哲学を伝えているのか。三部構成のうち、の「本領発揮」から説明したい。
著者独自の言葉で天風哲学を表現したこと自体、第3章「本領発揮」の言行一致での実践である。本書の最終章にあたるこの章では、「言葉の積極化」「独立自尊」「歓喜と感情」など、最高の自分を演じる方法が紹介されており、いわば実践編ともいえる。
第1章「真善美」では、進化と向上に生きる人間本来の姿を紹介している。小欲に振り回されて苦しいからといって、「捨欲」に走るのは無理がある。むしろ「大欲」を目指すのだ。「欲を捨てるな、炎と燃やせ」である。そして、天風哲学の核心である第2章「絶対積極」につながっていく。その第2章から、一般的なプラス思考との違いを説明した言葉を引用する。
天風師が説く積極とは、「がむしゃらに頑張る」という態度のことではない。
「前向きに生きる」という意味は含まれているが、「頑張る」というよりは、心にわだかまりをなくし、何ものにも執着しない「虚心平気」の気持ちのことだ。 ~本書第2章「絶対積極」より
怒りにまかせて他人を罵ったり、答えがでない堂々巡りの考え(脳科学的にはDMNというそうだ)に無駄な時間をとられるのではなく、わだかまりをなくして積極的に生きていこうという考え方は、瞑想やマインドフルネスに近い。
頭をスッキリと保ち「真善美」を求める生き様。天風が偉大な経営者や一流アスリートに支持され続けるのは、決して目の前の成功を得られるからではなく、常に爽快に生きられるようになるからに違いない。まずは、天風の言葉を理解することから、始めてみてはいかがだろうか。
※ 本稿でご紹介した中村天風の言葉は、すべて『感動の創造 新訳中村天風の言葉』から引用した。
最近発売されたマインドフルネス関連の本。読んでみて、天風哲学との近さを感じた。
発売以来、版を重ねているロングセラー本。中村天風辻説法開始100周年を前に、早くも売行きが伸びているという。来年は、中村天風イヤーとなる予感がする。