陸に生きるわたしたちがなかなか目にすることのできない魚の世界。水のなかに棲む魚たちはいったいどんなふうにこの世界を知覚し、どんな工夫を凝らして生きているのでしょうか。
サケが生まれた川に帰ることやマグロが海を回遊していることは有名ですが、サケが母川のほんの微量なにおい物質を嗅ぎつけてたどっていくこと、マグロが対向流熱交換システムで体全体を温め、冷たい水のなかを効率よく泳いでいることなどは、あまり知られていないかもしれません。
自ら発電して電磁場をつくり、その電磁場の変化から障害物を感知してよけるデンキウナギ、可視スペクトルが広いおかげで、人間には見えない模様を見分けて仲間を識別するニセネッタイスズメダイ。
嗅覚の鋭い犬や夜間も視力の利く猫などと同じように、魚はその生息環境に適した五感を発達させています。繁殖と子育ての戦略もバラエティに富み、状況に応じて性転換したり、卵や子を口のなかで守り育てたり、はてはある種の鳥のように托卵したりする魚までいます。魚は学習し、計画し、道具を使いもするし、さらには社会を形成してたがいに意思を伝え、協力関係をきずき、騙したり騙されたりもするようです。そんな生きものの多彩な生活が水中で繰り広げられているのを知ると、目を開かれたような思いがします。
本書は、このようなあまり知られていない魚たちの環世界と生態を科学研究の成果と個人のエピソードを織り交ぜて紹介してくれる内容ゆたかな本です。しかし、それだけにとどまりません。著者のバルコム氏が魚も社会生活をもって個として生きる存在であり、その点では陸に生きる獣や鳥とまったく同じだと粘り強く繰り返しているのは、大切なメッセージを伝えようとしているからです。
それは、わたしたち人間から見た魚の地位が不当に低いこと、生きものの仲間として魚をもっと尊重すべきだということ。概して人間は魚を釣るものか食べるものだと思っているとバルコム氏は指摘します。
これにはドキリとさせられます。わたしは釣りをしませんので、だとしたら魚は食べるものでしかない? まさか! そんなふうに思ったことなどありませんし、魚に関する科学ニュース記事に驚いたり感心したりもしますが、本来の生息環境で生きて動いている魚を目にするのは近所の池で泳いでいる鯉くらいで、それよりも鮮魚店やスーパーマーケットで売られている食材としての魚を見るほうが圧倒的に多いことは事実です。そして本書の最後の章を読めば、総じて人間が魚を資源とみなしていることをいやでも認めざるをえなくなります。
魚は不利です。表情に乏しく、鳴き声を出さず、体は冷たく、接する機会も多くはありません。趣味でダイビングをする友人は一所懸命に生きている魚の姿に感動するといいますが、その友人でさえ、意思表示のはっきりしない魚は犬や猫と違って家族にはなりえないと感じるそうです。観賞魚を飼っている知人がもしいれば、ぜひとも意見を聞いてみたいところです。
この本のページをめくるうちに、魚がゆたかな生活を営んでいること、知覚し、意識し、苦痛を感じる生きものであることがわかってくるでしょう。哲学者で倫理学者のピーター・シンガー氏は、「ある存在が苦しみを感じることができるかぎり、その苦しみを考慮しないことは道徳的に正当化できない」と述べています。
そうであれば、魚にも陸の獣や鳥に対するのと同様の配慮をすべきだと考えるのが自然ではないでしょうか。この本をきっかけに、読者のみなさんが少しでもこれまでと違った目で魚を見るようになれば、著者にとってこのうえないよろこびにちがいありません。
本書は‶What a Fish knows : The Inner Lives of Our Underwater Cousins”の全訳です。著者のジョナサン・バルコム氏は、カナダとアメリカの大学で生物学および動物行動学の学士と博士の学位を取得したのち、米国人道協会をはじめとするいくつかの動物保護団体でその知識と経験を生かす仕事をしています。本書のほかに4冊の著作があり、そのうち『動物たちの喜びの王国』(インターシフト、2007年)と題して邦訳されている一冊は魚を含むさまざまな動物の「快楽」を、本書と同様に「科学研究とエピソードの両面から」紹介するたのしい本です。
2018年8月 桃井緑美子