ハッピーになりたかったら、”セコスタンス”な酒場馬鹿バッキー井上の『いっとかなあかん店 京都』を読もう
”♪ 腕もぉ折れよぉと上げ下げグラぁス~”
日本初の酒場ライター、バッキー井上が、いっとかなあかん店について書いた本である。京都の店の本か、関係ねえよ、と思ったあなた。考えをあらためたほうがいい。この本を読まなければ、酒場人生の楽しみの8割7分くらいを捨て去ることになる。
だいたい、この本、店の紹介らしい紹介があまり書かれていないのだから、店のありかが京都であろうがどこであろうが、たいした問題ではない。もし、ここに出てくる店が、酩酊したバッキー井上のアルコール臭い脳みその中にしかなかったとしよう。それでもこの本は成立する。そんな、酒場を題材にした酒飲みファンタジーといってもいい内容だ。
紹介されている店は48軒。まずは、こんな店が世の中にあるのかと知っただけで、いや、こんな飲み方をしながら次々と珠玉の酒場フレーズをひねりだすことができるおっさんが京都に生息すると知っただけで、ハッピーになっていく。
多くのひとにとっては、「バッキー井上、who?」だろう。その紹介からいこう。バッキー井上は「セコスタンス」な男である。なんなんですかそれはと言いたくなるが、セコスタンスとは、バッキー井上が「京都の川端二条の居酒屋で飲んでいるときに『セコくてすみません』と言いながらポン酢のネギをおかわりした瞬間にいきなり現れた」言葉だ。しかし、そこにこそバッキー井上の酒場思想がつまっている。
「セコい」というのは小さいとか細かいとかケチなことだけではなく、街や店では「セコい」という構えをとることで微妙なゴキゲンをより見つけることが出来る素敵な構えなので「セコスタンス」という呼び名を勝手につけた。
ちょっと説明が難しいので、できれば、この本の冒頭にある「セコスタンスときつい旅」を読んでほしい。わたしだって、正しく理解できているかどうかわからない。思いきって簡略化すると、「セコくてすみません」という姿勢を持ちながら、ひそやかにセコさを誇り、そんな自分を愛おしむ、といったところだろうか。
セコスタンスが身についていると「勘定をした時に思ったより高ければ外に出てから店に好かれなかった気がするし、安ければ店から求愛を受けたような気になれる」。そして、セコスタンスに鍛えがはいると、「目的の店に行ってみると臨時休業の張り紙が出ていてがっかりした瞬間に『残念こそ街のご馳走や』などとうそぶくことができる」ようになれる。残念こそ街のご馳走、ごっつええ感じやないですか。
誰もが知る京都の錦市場、その東の端っこあたりという絶好の位置にある『錦・高倉屋』。バッキー井上は、その漬物屋の主人である。と聞くと、老舗漬物屋の何代目かの旦那と思うのがふつうだ。しかし、ちがう。20年ほど前にバッキー井上が始めた店だ。「ほんでなんで漬物屋なんですか」と聞かれることが多いというのも肯ける。そのたびに、「今一度なぜ漬物屋なのかを考えてしまう」バッキー井上が導いた結論。
これから「ほんでなんで漬物屋やなん」と聞かれたら「ややこしいことがご馳走ですねん」とシラフなら答え、酒を飲んでいたら「イチローになんで野球やねんて聞くなや」とからむだろう。そして誰かに怒られる。それでいいと思う。
バッキー井上、漬物界のイチローやったんか。その飲み姿、むっちゃ男前でかっこよろし。この写真は、京都の名居酒屋『赤垣屋』で撮影されたものだ。いつもは、カウンターではなくて、後ろに見えている階段の踊り場で、ビールケースの上に酒を置いて飲むらしい。しぶいセコスタンスだ。もちろん赤垣屋のことも紹介されていて、その最後のパラグラフがいい。
全部許して飲もうじゃないか。と以前書いたことがある。酒場では些細なことが全てではあるが、なかったことに出来る凄さもある。「銀が泣いている」である。
「全部ゆるして飲もうじゃないか」、ぐっとくるではないか。どうして銀が泣いているのかはようわからんが、そこは天才酒場ライターだ。重厚な思想が背後にあるか、酔っ払って適当に書いたかのどちらかだろう。
それぞれのお店について、2~4ページ、写真付きでの紹介だ。ただし、ひとつだけ、6ページがさかれているお店がある。それは『バー いそむら』。といっても、店の紹介が詳しいのではない。この店に来ると思い出すという、育ての親であるソフィア・ローレンな母と、生みの親であるスーザン・サランドンな母についての短い物語だ。立ち読みして、この短編私小説のような文章を気に入らなかったら、この本は買わなくていい。
したがってマスターが作ってくれた酒を俺は通算3万杯以上は確実に飲んでいると思う。思えば「遠いとこまできてしもた」である。あー、というしかない。
バー『アルファベット・アベニュー』の紹介ではこう書かれている。そこまで飲むには相当な努力を要するに違いない。それにはどうすればいいのか。
「腕も折れよと上げ下げグラス」を泣きながら毎日繰り返せばいいのである。そしてそれに怯むようになった時に「思いこんだら 試練の道をー」と頭の中でリフレインさせてバーに向かえばいいのである。
(注:もちろん『巨人の星』のテーマソングの節で)
そこまでせんでもええんとちゃうんですか…。しかし、いくらなんでも、ひとつのお店で3万杯はないだろうと思っていたら、ツイッターでバッキーさんが「ほんまに飲んでる。」とつぶやいてはって驚愕。ホンマですか…。で、思わず「それくらい飲んだらこういう文章が書けるようになるんかもしれん。酒場名人、すごすぎます。」と返事した。するとバッキーさんから「ありがとうございます。僕は名人いうのんよりやっぱり酒場馬鹿ですわー。」と。セコスタンスは謙虚に通ず。
赤垣屋での写真はちょっと怖そうに写っているけれど、すき焼きの昼ご飯を食べるバッキー井上はとてもやさしい。ちなみに「ひとり昼飯にはスポーツ新聞が必須」らしい。これもなんとなくセコスタンスっぽくてよろし。
バッキー井上は、漬物屋以外に居酒屋を三軒営んでいる。うち二軒、『立ち呑み 賀花』と『先斗町 百練』が紹介されている。それぞれのキャッチコピーは、「立ち飲み屋は磯辺の浅瀬である」と、「先斗町にいる俺は誰なんだ」である。ふつう、こういう本には自分の店はあげないように思うが、これも、ひょっとするとセコスタンスのなせる技かもしれない。
その仕事姿もかっこよろし。左の写真には
『[先斗町 百練]のカウンターで
コックコートを着て仕事するふりをしている俺。
もはやおじいである』
とのキャプションがついている。
たしかに還暦直前なので、おじいかもしれない。しかし、なんでもできるおじいである。その原点はハタチ前後の5年間、水道工事をしていた時の手元にあるという。われわれがふだん使う意味での手元ではない。「職人さんが仕事をしやすいように必要な道具や材料を運んだりそれを使う瞬間に渡したりする」助手仕事だ。その経験があったから、原稿を書いたり、漬け物を作ったり、店を開いたり、と、いろんなことができているという。
いろいろなことをやってきたがどの仕事も、気づくとみんなが仕事をしやすい現場にすることに尽きる。
この本だってそうだ。お店で飲み食いするのは仕事じゃないけれど、この本を読んだみんなにとって、酒場がもっとハッピーに楽しめる現場になるのだから。それどころか、ハッピーになる極意も伝授されている。
「ラッキー」を求めたいけどそれはそうそうあらわれないが「ハッピー」はスタンスや構え方次第でバーでもうどん屋でも立ち飲み屋でも帰りの電車の中にも「ハッピー」は現れてくる。
そうなのだ、ハッピーになるには自分が大事であることをこの本は教えてくれているのだ。そして、きっと、そのためにいちばん大事なのはセコスタンスだ。
しかし、漬け屋の経営者にして、居酒屋の主人、名酒場ライター、そして酒場馬鹿(あるいは名人)。自分でいうたらあかんと思うけど、時にはスパイにもなれるらしいバッキー井上、すごすぎますわ。
写真(撮影・打田浩一)は140B社から提供いただきました。
珠玉のフレーズは、Twitter(@VackeyB)で時々つぶやかれてますので、ぜひ!
漬物屋を始められた経緯など、興味あるひとはこちらを。HONZで紹介したことあり。
この本は、かなりお店の紹介っぽい本です。
いっとかなあかん店シリーズは、大阪、神戸、京都、で完結しました(たぶん)。