2003年、ヒトゲノムの解読が完了し、科学は歴史的な一歩を踏み出した。それから6年後の2009年、今度は医療において大きな一歩が踏み出される。患者個人のゲノムを解析し、その結果にもとづいて診断・治療を行うという「パーソナルゲノム医療」が産声を上げたのだ。本書は、医師と研究者、そして患者と家族に焦点を当てながら、その新たな医療が生まれるまでを描いたドキュメンタリーである。
先に言ってしまうと、本書がことさら魅力的なのは、それが豊かな科学的知識を授けてくれるからではない。そうではなく、登場人物たちの悲喜こもごもを濃密な筆致で描ききっていることこそが、本書の際立った魅力であろう。その点において、ピューリッツァー賞も受賞しているこのジャーナリストのコンビはやはり強力だ。事実を淡々と積み上げていく記述ながら、最後に読者をアッと言わせるだけの力がある。
舞台はアメリカのウィスコンシン州。5歳になるニコラス・ヴォルカー(愛称ニック)は、もう3年間も正体の知れない病気に苦しめられていた。少年は食事をとるたびに腸に小さな穴ができ、そこから便が漏れ出てしまうのだ。感染症の危険ともつねに隣り合わせであり、それを防ぐために年に何十回も手術室へ足を運ぶ。言わずもがな、死の淵をさまよったのも一度や二度ではない。
少年と家族を何より困らせたのは、謎の病気に対していっこうに診断が下されないことであった。どの病院に行っても、どの専門医に診てもらっても、彼らはみな頭を抱えるばかり。医学文献に当たっても、そんな症例はどこにも見当たらない。ある医者はのちにこう回顧している。
検査結果が返ってくるたびに、全体像がますますわからなくなっていくんです。……まさに10億人にひとりレベルの稀な症例でした。
その一方で、ウィスコンシンではもうひとつ別のストーリーが進行していた。ゲノム科学に携わる優秀な研究者たちがウィスコンシン医科大学に集まりつつあったのである。その中心にいたのが、ハワード・ジェイコブだ。すでにラットの遺伝子研究で大きな業績をあげていた彼は、新天地でさらに大きな目標を掲げる。それはほかでもない、DNA解析を医療に応用することであった。
もうおわかりであろう。最終的には、ジェイコブの研究チームがニックのDNAを解析し、謎の病気に対する診断を下すことに成功するのである。ではなぜそんなことが可能だったのか、そのポイントを簡単に見てみよう。
ジェイコブのチームが具体的に行ったのは、ゲノムのなかに散らばっている「エクソン」という遺伝子領域をすべて調べること(いわゆるエクソーム解析)である。その領域はタンパク質の生成に関与していて、ゲノム全体のおよそ1.2%を構成している。そして、その領域のDNA配列を決定したならば、それを基準ゲノム(人間の典型的なゲノム配列)の該当箇所と比較すればよい。そうすれば、ニックのどの遺伝子に異常があり、病気の原因が何なのかも明らかになる、というわけだ。
ただしもちろん、「言うは易し行うは難し」である。以上のことを実現し、なおかつ少年を救うためには、少なからぬ問題をクリアする必要がある。たとえば、ニックの遺伝子のなかには実際にいくつもの変異が見つかるだろうが、そのうちのどれを病気の原因と判断したらよいのかという問題。また、かりに病気の原因が判明したとして、そこからただちに治療法が明らかになるわけでもないという問題も存在する。しからば、ジェイコブのチームはそれらの問題にどう対処していったのか。その点については、ぜひ本書を読んで自身の目で確かめてほしいと思う。
なお本書は、いま述べたメインストーリーだけでなく、それ以外のサブストーリーからも目が離せない。自分の胸を小さくする手術まで受けて、自らの存在が医師たちから軽視されまいとしたニックの母。DNA解析をきっかけとして、病気の原因とともに浮かび上がってくる新たな事実。そして、退院時にようやく実現したニックとジェイコブの初対面。著者たちの巧みなストーリー構成に導かれながら、ときには心を乱され、ときには拍手喝采し、飽きることなく本書を最後まで読み進めることができるだろう。
ひとりの少年を救うため、計画を5年も前倒しにして世界初の試みに挑んでいったジェイコブの研究チーム。リスクもあるその試みにメンバーたちを向かわせたのは、「それに挑戦しないというなら、自分たちは何のためにここにいるのか」という熱い思いだった。そして、大きな前進を成し遂げた後に彼らが掲げたスローガンもまた印象的だ。「あと何人ニックがいる?」。多くの人に勇気を与えてくれる1冊であろう。