「人間にはこんなことも出来るのか」と驚いたり感心したりした経験、みなさんにもありますよね。スポーツでアスリートの驚異的なパフォーマンスを目にした時なんかは特にそうかもしれません。身近な例で言うと、ある女優に聞いた話が印象に残っています。
きっかけは汗かきの話でした。ぼくは生来の汗かきで、人前で話す時に全然緊張してないのに汗ダラッダラになったりするんですが、きっと周りは「あいつ緊張し過ぎじゃね?」とか誤解してるに違いなくて、それが嫌なんですよねー、と冗談交じりに話していると、「あら。汗なんて簡単に止められるわよ」とこともなげに彼女が言うではありませんか。
その女優によれば、昔の撮影現場では至近距離からライトを当てられてものすごく熱かったと。もちろん汗まみれになるんですが、当時の監督って「バカ野郎、汗止めろ!」とか平気で無茶言うんですって。いたいけな彼女はキャメラの前に立つたびに必死で汗を止めよう止めようと念じていたら、あら不思議、汗が止まるようになったとか!?
(またまたぁ、盛ってるっしょ)と内心ツッコミながら聞いていると、伝わったのか、「ウソだと思ってるわね。ホントなのよ」と睨まれてしまいました。
「い、いや、でもマジで一切汗かかないんですか?」
すると彼女は笑ってこう言ったのです。
「かいてるわよ、あなたの真似して言うと、ダラッダラ」
(は?どういうこと???)
聞けば、撮影でライトが当たっているところだけ、意志の力で止められるのだとか。その代わり見えない衣服の中は滝のような汗なのだそう。つまり訓練すれば、汗をかく場所はコントロールできるようになる、という話でした。
そんな話を思い出したのは、『サバイバルボディー 人類の失われた身体能力を取り戻す』を読んだから。この本には人間の潜在能力にまつわる面白いエピソードがこれでもかと詰まっています。
たとえば、雪山に上半身裸で登頂する。あるいは凍った湖でガンガン泳ぐ……。我慢大会じゃありませんよ。人間にはこうした過酷な環境にも順応できる能力が備わっていると主張し、危険極まりないパフォーマンスをメディアの前でたびたび披露してきた人物がオランダにいるんです。その男の名はヴィム・ホフ。あちらでは「アイスマン」の名で知られる超有名人です。
本書の著者スコット・カーニーは、人類学者でもあるジャーナリストで、中年にさしかかり体型の変化などを感じ始めていた折、偶然ネットで裸同然の男が氷河の上に座っている画像を発見します。本書にも収められていますが、海水パンツ1枚で氷の上で冥想するホフの姿はたしかにインパクト大。年齢につれて楽しがちになっていた著者に、この写真は、人生に欠けている重要な何かを訴えているように思えたのでした。
とはいえ、著者はホフの信奉者ではなく、どちらかといえば化けの皮を剥いでやろうというスタンスで取材に臨んでいます。そしてどこまでも科学的なアプローチで、ホフの提唱するメソッドの秘密を解き明かそうと試みるのです。そのプロセスの面白さが本書のいちばんの読みどころでしょう。
人間がどれくらいの寒さに耐えられるかを実験で明らかにしたのは、残念なことにナチスでした。ダッハウの強制収容所でナチスは、ユダヤ人が氷水の中で死ぬまでの深部体温を記録する実験を行いました。0℃の水に浸かると人間は、ほんの1、2分で体が重くなるのを感じ、15分が経過するとほとんどの人が意識を失うそうです。深部体温が28℃を切ると、ほぼ死は避けられません。
ところがホフを各種モニターにつないで氷水に浸けたある実験では、ホフは72分間氷水に浸かり続け、深部体温は最初に数度下がったものの、ふたたび上昇するという驚くべき結果が出ました。
なぜこんなことが可能なのか。1959年生まれのホフは、20歳の冬、ふとした衝動に駆られ、氷が張ったアムステルダムの運河に裸で飛び込みました。この時、えもいわれぬ高揚感を覚えたのをきっかけに、ホフは毎日のように冷たい水の中で水練を繰り返すようになります。
その結果、独自の呼吸法を編み出します。冷たい水に浸かった時に本能的に呼吸が早くなるように、まるで過呼吸のような激しい呼吸を繰り返し、次に水に潜った時のように長く息を止めるのです(このくだりを読みながら、子供の頃に学校で流行って瞬く間に禁止された「気絶ごっこ」を思い出しました。実際、ホフのメソッドも危険を伴うため、本書の中でも繰り返し安易に真似するなと警告が出てきます)。
呼吸法と水練によって、ホフは凍った水の中や雪山の上でも活動できるようになりました。ホフによれば、人間には生まれながらに自然の力に太刀打ちできる能力が備わっているそうです。快適な生活を送る現代人も、厳しい環境を生きていた我々の遠い祖先と基本的な生理メカニズムは変わっておらず、失われた潜在能力を引き出すカギは、祖先が直面したような過酷な体験を再現することにあるというのです。
だからでしょうか、このところ危険すれすれの「エクストリームスポーツ」がブームになっているのも、潜在能力を目覚めさせたいという願望の現れなのかもしれません。著者はアメリカで一大産業となっている過酷な障害物レースの現場を体当たり取材していますが、催涙ガスや高圧電流といった危険な障害物に高額な参加費を払ってまで挑む人々が物凄い数いることに驚きました。
著者はホフのメソッドを、「痩せる細胞」として近年注目を集めている褐色脂肪組織と結びつけて説明しようとしています。齧歯類は冬眠の際に体に蓄積された白色脂肪を褐色脂肪に変えるのですが、褐色脂肪が活性化すると(体重が減少するのに加えて)寒さに強くなることがわかっています。ところがホフの双子の弟を調査したところ、褐色脂肪の量は変わらないのに、寒さに耐える能力は間違いなく兄の方が高く、これ以上のメカニズムはいまのところわからないのが現状です。
ホフと知り合って以来、著者は4年にわたり世界各地の専門家のもとに足を運ぶなどの取材を重ねますが、最終的には、自らの体でもって極限を体験することになります。ホフとともにキリマンジャロへの登頂を試みるのです。高度順化もしないまま、可能な限り最短の時間で、しかもその大半を上半身裸で登るというクレイジーな挑戦。これが本書のクライマックスです。この無謀な挑戦の顛末は、本書を読んでのお楽しみということにしておきましょう。
小林由香利さんの「訳者あとがき」によれば、著者は2017年秋から「wear one less layer(#onelesslayer)」キャンペーンをスタートし、寒い時期にこれまでより一枚だけ薄着することを提唱しているのだとか。ホフの真似はせずとも、たまには「快適ゾーン」からちょっと踏み出すだけで、もしかしたら何か新しい気づきがあるかもしれません。
そんなわけで、ぼくも休日の朝、裸でベランダに出てみました。思いっきり背伸びした途端、「ちょっと!やめてよ」「パパ、変態!」「バカなの!?」と家族の怒号が。それに何この寒さ。でも、寒いのは気温のせいだけじゃないような気がするんだよね……。