ポップとキャッチーはまったく別の感覚だと思う
中田ヤスタカはそう言った。Perfume やきゃりーぱみゅぱみゅをブレイクさせ、日本を代表する
ヒットメーカーとして脚光を浴びる彼が、2013年、自身のユニットCAPSULE のアルバムリリースに際してウェブサイト「ナタリー」でのインタビューに応えて語った言葉だ。
二つの言葉は混同されることが多い。特に音楽の分野においてはマニアックでないタイプの曲調、売れ線の楽曲に「ポップでキャッチー」という形容がなされることが少なくない。
しかし、彼が言う「ポップ」と「キャッチー」は、根本的に異なる。
ポップかどうかは結果論である。それを決めるのはあくまで音楽それ自体の外側にある状況だ。たとえまったく同じ曲でも、それがラジオやテレビやインターネットを通じて広がり、それを聴いて口ずさむ人が多ければその音楽はポピュラー(=ポップ)になり、そうでなければポップではなくなる。本書で示されている沢山の例の通り、それを左右するのは、多くの場合、運や偶然の巡り合わせだ。
一方、彼は「キャッチー」を方法論として位置づける。キャッチーは音楽の内にある。だから、作り手は「ポップなもの」を意図して作ることは原理的にできないが、「キャッチーなもの」を作るよう意識することはできる。そのためには、情報の受け手の認知をどうコントロールするかがキーになる。中田ヤスタカは、前出のインタビューで自らの定義する「キャッチー」について、こう説明している。
『どこに注目すればいいかわかる』っていうことですね。例えばこの机の上に今たくさん物が乗ってて、この状態はキャッチーじゃないんです。でもほかの物をどかしてコップ1個だけにしたらみんながコップを見る。それがキャッチーだと僕は思ってて。それがポップかどうかはわからないですよ。でも誰もがどこに注目すればいいかわかる。きゃりーのCMソングなんかはまさに15秒でわかるように作ってあるんで。(中略)CAPSULE の場合はピントをすごくゆっくり合わせていくんですよ。ずっとぼやけてる時間が続いてて、だからこそピントが合ったときに『合った!』っていうキャッチーさが生まれる
ここで中田ヤスタカが語っていることは、本書の前半で語られている内容とまさに呼応しあっていると言えるだろう。
どこに注目すればいいかわかる、ということは、すなわち「流暢性が高い」ということだ。シンプルで、繰り返しが多く、それゆえ脳にあまり負担がかからずに情報を処理することができる。分かりやすいものを見たときの気分の良さだ。一方、ぼやけている時間が続いて、そこにゆっくりとピントが合っていくというのは、本書で書かれている「美的アハ体験」にあたる感覚だろう。新奇なものを理解したときの直感的な快楽だ。
みんながわかりやすいものを作るということは意識していました。アレンジもシンプルで、メロディもとにかく覚えやすい
小室哲哉は、拙著『ヒットの崩壊』のインタビューにて、「売れる曲」をどのように作っていったかの秘訣をこう語っていた。
数々のミリオンセラーを世に送り出し、90年代のJ-POPの主役の一人となった彼も、やはり自らのクリエイティブのキーポイントに挙げていたのが「流暢性の高さ」だった。
そして、小室哲哉は数々のヒット曲を生み出した当時の時代背景を、こんな風に語っていた。
ゴリ押しでもいいから『これがいい』『これが今流行っているんだ』ということをCDを通して伝えていった
やっぱり、刷り込みは必要なんですよね
90年代は、マスメディアが今に比べて大きな力を持っていた時代だった。ドラマ主題歌やCMのタイアップを利用して、本書のキーワードの一つである「なじみ感」をある程度意図的に作り出せる時代だった。しかし、小室哲哉が言う「刷り込み」が機能していた20世紀も、ソーシャルメディアの影響力が増し、トランプ大統領がそうであるように誰もが「言及」することで話題の俎上に乗ることが力の源泉になる21世紀の今も、「露出」の重要性は変わらない。
多くの人は、何度も耳にし、目にしたものを好む。そのことが作品の評価自体に影響を与える。名声が名声を呼ぶ。本書でデレク・トンプソンが明らかにしているのは、その原理が19世紀にも変わらずにあったということだ。カイユボットとモネやセザンヌなど印象派の画家たちの数奇なストーリーがそれを明らかにしている。
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「ビフォー・ジャスティン? アフター・ジャスティン?」ピコ太郎は日本武道館のステージの上でそう問いかけた。
彼が2016年8月に投稿した一本の動画、派手な衣装にサングラスをかけカタコトの英語で歌う「PPAP(ペンパイナッポーアッポーペン)」は、その年の後半、世界中に一大旋風を巻き起こした。本書で挙げられているPSYの「江南スタイル」と同じように、一本の動画が、突如、大規模なグローバルカスケードを巻き起こした。その年のYouTube再生回数ランキングの2位に入るほどの現象となった。
およそ1分のナンセンスな動画が、なぜヒットしたのか?
多くのメディアは「ジャスティン・ビーバーがツイッターで紹介したことが起爆剤になった」と説明した。ジャスティン・ビーバーは、2018年現在も、本書で挙げられている「闇のブロードキャスター」の世界的な代表だ。バイラルの大流行を引き起こすには、彼のような存在が必要不可欠だ。
動画が公開されたのは8月25日。公開から1カ月後の9月28日にジャスティン・ビーバーが「マイ・フェイバリット・ビデオ・オン・ジ・インターネット」というコメントと共にこれを紹介した。10月に入り、イギリスのBBCで「頭から離れない」、アメリカのCNNで「ネットが異常事態」などと、現象が報じられた。
しかし、ジャスティン・ビーバーが導火線に火をつける前に、その素地は出来上がっていた。それを証明したのが2017年3月に行なわれた武道館公演での一場面だった。
ステージには数々のゲストと共に、海外のユーチューバーたちが招かれた。「PPAP」をバラードやメタルバージョンなど、ユニークなアレンジでカバーした動画を公開したアマチュア・ミュージシャンたちだ。彼らにピコ太郎が「いつ頃に動画を見てコピーしようと思ったか?」と問いかけると、ユーチューバーたちは一様に「ビフォー・ジャスティン」と答えた。
筆者はピコ太郎が動画を公開する数日前、そして旋風が巻き起こっている渦中の時に、プロデューサーの古坂大魔王と会う機会があった。当事者に近い立場から話を聞いて分析したところ、最初にブームが発火したのは動画コミュニティアプリの「MixChannel」だった。「まこみな」や「りかりこ」といった、コミュニティ内でスター的な存在の双子の女子高生が、まずPPAPのダンスを真似た。そのムーブメントを香港を拠点にグローバルに展開するサイト「9GAG」が取り上げ、フェイスブック上で国境を越えた伝播が広まっていった。それを受け、イタリアのダニー・メタルはメタルバージョン、ドイツのモリッツ・ガースはバラードバージョンの動画を投稿する。それらの動きが、ジャスティン・ビーバーがツイートする9月28日までの1カ月の間に起こっていた。
最初に小さなコミュニティの中での流行がある。それがコップの中の嵐に終わらず、ボウリングの球がピンを倒すように、連鎖していく。バイラルによる拡散は「1対1」の繰り返しではなく、「1対千」や「1対万」、さらには「1対100万」という大小それぞれの規模の影響力を持つ個人やメディアの連なりによってもたらされる。
ピコ太郎がPPAPで巻き起こした旋風は、本書で『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』やマッチングアプリの「ティンダー」を例に挙げて語られていることとも、やはり呼応しあっている。
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そして、ここから書くことが、最も大事なポイントだ。
あなたは、なぜこの本を手にとっているのか? その理由について、一度、胸に手をあてて考えてほしい。
本書の題名は『ヒットの設計図』(原題はHit Makers:The Science of Popularity in an Age of Distraction)である。書店で、もしくはインターネットで、このタイトルに興味を持ったということは、音楽や映画や小説や、その他沢山のヒットが「なぜ生まれたのか?」ということを知りたいという欲求があったからではないだろうか。
しかし、メタ的な言い方になってしまうが、「それがなぜヒットしたのか?」という問いに明快な答えを求める欲求自体が、すなわち、ヒットを生み出す原理と結びついている。
ヒットはカオスであり、それは多くの場合「得体の知れない現象」にすぎない。本書でもそう繰り返される。しかし、だからこそ、多くの人はすっきりする説明を求める。一つのヒットの背景を説明する、沢山の「わかりやすい物語」が供給される。
しかし、考えてみれば「得体の知れない現象」を「わかりやすく納得のいく物語」として理解したいという欲求、それ自体が「脳にあまり負担がかからずに情報を処理することができる」ことへの欲求に他ならない。
本書の著者のデレク・トンプソンは、そのことにとても自覚的だ。多くのメガヒットの作り手や仕掛け人に話を聞き、ダンカン・ワッツのようなネットワーク理論の専門家にも取材し、ヒットの背景にあるシンプルなルールを解き明かす。本書は「なぜそれがヒットしたのか?」という問いに答える沢山の物語を提供している。そのことが持つメタ的な意味もわかった上で。
本書のテーマの1つは、人々が「意味」に飢えているということだ。
冒頭でデレク・トンプソンはこう述べている。
ヒットに「設計図」は存在しない。しかし「設計図を求める心」こそがヒットを生み出す原動力と相似形を成しているのだ。
2018年9月
音楽ジャーナリスト・柴 那典