【連載】『全国マン・チン分布考』
第5回:男根語の試行錯誤
放送禁止用語に阻まれた『探偵! ナイトスクープ』の幻の企画が、ついに書籍で実現。かつて『全国アホ・バカ分布考』で世間を騒がせた著者が、今度は女陰・男根の境界線に挑む! 第5回は「男根語の試行錯誤」について。「男根」もまた、京を中心にきれいな多重の円を描いていることが明かされる!(HONZ編集部) 第1回、第2回、第3回、第4回
男根語の試行錯誤
次に「男根(陰茎)」の分布図にも目を向けてみましょう。「男根」についてのアンケート調査は、「女陰」の資料を集めたときに、同時に行ったものです。口絵の「男根 全国分布図」を眺めると、これもやはりみごとに多重周圏分布を見せています。(※注:男根全国分布図は書籍のみに掲載)
「カモ」だけは新潟以北に限られますが、「ヘノコ」「シジ」「マラ」「ダンベ」はきれいに円を描いています。さらに続く「チンポ」系語は、「(オ)チンコ」「チンボー」「チンボ」を経て、現代の標準語「チンポ」に至ったらしいことが分かります。一方、琉球列島の沖縄県には「タニ」が多く見られ、また奄美大島は「フグリ」で占められています。
まず本土で、京からいちばん遠くに位置する「カモ」をみてみましょう。西日本には一件も見当たらない一方、東日本には、新潟県北部から山形県の日本海側、秋田県と青森県のほぼ全域近く、と広大な言語領域を獲得しています。さらに北海道における渡島半島と、海岸部への広がりは、徳川時代の松前藩の進出と移住を示すものでしょう。
東日本だけに限られるとしても、そうした「カモ」の広がりの甚大なパワーを考えると、やはり京という大きな光源に支えられたものと考えるべきかと思われます。ただし、「カモ」は、ほかの多くの言葉に先んじて京を旅立った古い表現なのか、それとも上方と東北・蝦夷(北海道)間を西廻り航路で行き来した北前船の水夫たちによってもたらされた、徳川時代以降の比較的新しい言葉なのか、どちらかの判定が迫られます。私は、これが九州など西日本にまったく見当たらず、本土では新潟以北の主として日本海側に多く見られることから、後者が正解だろうと思います。
「カモ」とは、新潟や東北だけでなく、京の「鴨川」でもよく見られる水鳥「鴨」のことでしょう。「カモ」は東北ではしばしば「ガモ」と呼ばれます。動物の名前の語頭を濁音にすることは、地方にはよく見られるもので、方言学の重鎮である佐藤亮一先生の一般書『生きている日本の方言』(2001)が指摘するところによれば、「カニ(蟹)」が「ガニ」、「トンボ(蜻蛉)」が「ドンボ」、「カエル(蛙)」が「ガエル」と呼ばれたりするように「濁音化も方言の世界では起こりやすい」というのです。青森県弘前市の方言を集めた『弘前語彙』(1982)を読んでみましょう。
がも(名)男根。
カモ(鴨)の意。特に小児に多く言う。小児の男根が鴨の形に似ているのによる。必ず濁音に言う。
著者・松木明氏は、男根がなぜ「鴨(ガモ)」と言われたのかについて、鴨の頭部が、子供の「おちんちん」に似ているから、としていますが、たしかにその考えは頷けます。陰茎の亀頭の部分が高いことを、「雁高」(1780年江戸にて初出・『日国』)と言うのはよく知られている言葉です。雁という水鳥にたとえるのとまったく同じ発想なのです。
松木明氏は、1903年に弘前市に生まれ、東大医学部および大学院を出て、血清学の研究室に残ったあと、弘前市に帰郷して医院を開業した方だということです。開業医として、きっとたくさんの「ガモ」(小児の男根)を見てこられたことでしょう。そして女の赤ちゃんは白くふっくらとした「饅頭」を。それぞれなんと「めんこい」、いとけないやつを身につけているんだと、愛惜の眼で眺めておられたことでしょう。
『秋田のことば』(2000)では、「カモ」と「ガモ」にある、はっきりとした意味の違いが描かれています。すなわち「かも」とは「男の陰部」であり、「がも」とは「男児の陰部」を意味するというのです。
「ガモ」と、語頭を濁音にすることによって、それは幼い男の子の「おちんちん」に限定された意味を持つということです。子供に限定された「ガモ」。幼い男の子の男根は、大人のものとは区別して呼ばれねばなりませんでした。その訳は簡単です。幼児たちの男根は、親たちの目に愛すべき対象のひとつだったと思われるからです。
「ヘノコ」は、何の子
「カモ」より先に都を旅立ったのは、「ヘノコ」かも知れません。「ヘノコ」は、東北の北部を含め、日本の東西に周圏分布しています。東は東北や関東など、西は中国・四国に確固たる分布域を持っています。「ヘノコ」とは奇妙な言葉のように思われますが、それだけに語源説もたくさん提出されています。『日国』で見てみましょう。
語源説
(1) フグリの中の子の意。ヘはフエの反〔名語記〕。
(2) マヘノホコ(前之鉾)の義〔日本語原学=林甕臣〕。
(3) ヘノクキ(陰茎)の意か〔俗語考〕。
(4) 方の児の義〔名言通〕。
(5) ホノコ(陽子)の義。ホはヘノの反〔言元梯〕。
(6) ヲノコ(男子)の転〔神代史の新研究=白鳥庫吉〕。
それぞれ異なり合う語源説を語る著作のすべてに目を通しました。そして、ただひとつ感じたことがあります。それは言葉通り、「へ」というものの「こ(子)」であろうと思えることです。
それは「餡子」「どじょっこ、ふなっこ」「娘っ子」「甥っ子」、そして「オマンコ」の「コ」と同一のものであろうという点です。ここにも本来的な、幼く愛くるしい男根への親しみの情が見て取れるように思います。
そういう視点で、改めて上記6つの語源説を振り返ってみると、この中で、
(1) フグリの中の子の意。ヘはフエの反〔名語記〕。
という記述が少し気になります。「ヘはフエの反」とある「反」とは、「反切」という言葉の略称で、字の読み方を示すものであり(『日国』)、「へはフエ」というのは、すなわち「ヘノコ」というのは、「フェノコ」と読むのだと言っているものと思われます。これは『名語記』(1275)が書かれた当時、現代の「ハ行」が「ファ行」であったことを示すものでしょう。「ハ」行は先に述べたように、もとは「パ」行でしたが、そのあと「ファ」行を経て現代の「ハ」行になったのです。「フェノコ」とは、「フグリ」の「コ(子)」である、という著者の解釈です。
「フグリ」は、10世紀には京で陰囊を意味したことは文献で確認できますが、また男根を意味していた時代もあったようなのです。その根拠は、奄美大島全体で男根を「フグリ」と言うこと、また東に目を転じると、山形県や福島県の会津盆地にも「フグリ」は健在で、どうやら周圏分布とみるべきかとも思えます。
その男根「フグリ」の中の「子」とは、じつにまたかわいらしい言い方ではないでしょうか。
これを書きしるした『名語記』の筆致の鋭さについては、のちにまた詳しく述べることにします。「フグリ」の子という親しみを込めた意味で「ヘノコ」と呼ばれた可能性はあるように思われるのです。
「ヘノコ」に次いで都を旅立った、「シジ」もまた、愛情に満ちあふれています。これもまた『名語記』を初出とする、きわめて古い伝統ある表現です。「シジ」とは「指似」。「指に似たもの」であるという婉曲的な表現です。幼い男児の男根が、その手の指のように、細く、かわいく見えるところから名づけられたものでしょう。『日葡辞書』に「子どもの陰茎。婦人語」とあることから、女陰語「ボボ」と同様に、れっきとした「御所ことば」(女房詞)であり、天皇を始め、禁中にも広く行き渡った、品格のある表現であったろうと思われます。
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