植物状態と診断されながらも、じつは意識がある人たち。そうと示すことがまったくできなくても、たしかな認識能力を持ち、どうしようもない孤立感や痛みを感じている人たち。そうした人たちが置かれている状況を想像し、悪夢とも思えるその可能性に身震いしてしまった経験が、おそらくあなたにもあるのではないだろうか。だが現在の科学は、その可能性を前にしてただ震えているばかりではない。誰かが現にそうした状況にあるかどうかは、なんと科学的に検証できるようになりつつあるのだ。
本書の著者エイドリアン・オーウェンは、その科学を「グレイ・ゾーンの科学」と呼ぶ。グレイ・ゾーンとは、おもに植物状態と診断されている患者の、「物事を満足に認識できないが、認識能力を完全には失っていない」状態である。そしてオーウェン自身は、グレイ・ゾーンの科学を力強く推し進めたことで広く世界に知られている。というのも彼は、一部の植物状態の患者に意識があることを初めて実証し、さらには、そうした患者と意思疎通することに初めて成功した研究者だからである。本書は、彼のこれまでの科学的探究を、それ以外のエピソードをも交えながら、わかりやすくドラマチックに紹介するものである。
では、一部の植物状態の患者に意識があることなどいったいどうやってわかるというのだろうか。もちろん患者たちは、自らの身体を使ってそれを示すことはできない。だが、たとえ身体にはできなくても、脳ならできるのではないか。脳なら、自らの意識がそこに閉じ込められていることを示すことができるのではないか。いうなれば「身体に訊いても駄目なら脳に訊いてみな」というのが、ここでの基本的なアイデアである。
オーウェンは1997年から植物状態の患者に脳スキャンを行っている。その最初の患者がケイトで、それまで彼女は認識能力をまったく持たないとみなされていた。そこでオーウェンらが行ったのは、家族や友人の顔写真を彼女の目の前に置き、そのときの脳の活動を調べるという試みである。するとなんと、彼女の目の前に顔写真を置いたときに(そしてそのときにのみ)、人の顔に対して選択的に反応する脳の部位(紡錘状回)がしきりに反応したのである。そう、彼女は人の顔を認識できていたのだ!
この驚きの発見はニュースとして世界を駆け巡り、オーウェンは一躍「時の人」となる。だが彼はその結果に飽き足ることなく、さらなる探究を進めていく。脳スキャンを用いた同様の、しかしそれぞれに工夫を凝らした実験によって、オーウェンたちはさらに次のことをも示していったのである。すなわち、植物状態の患者には音声を検知できる人がいること(第4章)と、その音声の意味を理解できる人もいること(第6章)である。
さて、以上のことが示されたとすれば、それらの患者には意識があるといえるだろうか。いや必ずしもそうではない、とオーウェンは慎重に考える。というのも、先の実験で見られた脳の活動はあくまでも自動的な反応で、そこにはなんら意識が伴っていない、という可能性も考えられるからである。ならば、意識の存在(あるいは不在)はどうやったら証明できるのか。
その点に関してオーウェンはじつにユニークかつ巧妙な方法を思いつく。ポイントは、患者から「意図的な反応」を引き出すことにある。つまり、彼らがそうしようと決定したからこそ生じた反応(具体的には特定の脳活動)を引き出すのである。もし、そのように意図的な決定がなされている証拠を挙げることができれば、それはまさに、彼らに意識があることの証拠となるだろう。「意図の存在を実証できれば、意識も存在すると推定できる」というわけだ。
そう考えてオーウェンたちが具体的に行ったのは、患者に次のような課題を与えることである。すなわち、「テニスをしているところを想像してください」という課題と、「自宅で歩きまわっているところを想像してください」という課題である。健常者がそれぞれの場面を想像するとき、脳の特異な領域(前者の場合は運動前野、後者の場合は海馬傍回)がそれぞれ活性化する。そして、植物状態の患者にふたつの課題を与えたところ、なんということだろう、実際にそれらの領域が活性化したのである。とすれば、患者は課題に対して意図的に応じたのであり、それはつまり、その人に意識があることの証しではないか!
オーウェンは以上のような方法で、一部の植物状態の患者に意識があることを実証する。そしてその方法は、彼らと意思疎通する方法にもつながっていく。2010年、最初の患者に脳スキャンを行ってから13年後、オーウェンはついに植物状態の患者と意思疎通することに成功する。それが具体的にどのような方法なのかは、ぜひ本書の該当箇所に当たってほしいと思う。
ところで本書は、そこで紹介されている研究内容が刺激的であるだけではない。その筆致やストーリー構成もじつに見事なのである。なかでも、植物状態の患者と意思疎通するなかで、「痛みを感じているか」や「死にたいか」を訊くべきかどうかで紛糾する場面などは、その現場に走る緊迫感がこちらにも伝わってきてゾクゾクさせられる。また、本書の随所で挿入される、植物状態になった元恋人のエピソードも心を惹く。そのように、本書は読者の心をつねに鷲づかみにしたまま、刺激的な探究の旅へと連れていってくれるのである。
最後に、本書が突きつけてくる問題について言及しておこう。オーウェンは、植物状態と診断されている患者の15~20%が、「外部刺激にもまったく応答しないにもかかわらず、完全に意識がある」と推測する。わたしたちの周囲に存在する「声なき人」は、けっして少なくないというのである。その推測を重く受けとめるならば、わたしたちはグレイ・ゾーンの科学のさらなる発展を願うとともに、「声なき声」に耳を傾けるように努めなければならないだろう。締めくくりに、オーウェンの最初の患者であり、のちに奇跡的な回復を果たしたケイトの痛切なメッセージを引用したい。
介護にあたる人たちは、私は痛みを感じられないと言っていました。とんでもない思い違いです。…[とくに肺から粘液を取り除かれるときなどは]どんなに恐ろしかったか、言い表しようもありません。
どうしても覚えておいてほしいことがあります。それは、私が先生とまったく同じで、一人の人間であること。そして、先生と同じで感情を持っているということです。
「統合情報理論」というアイデアを武器に、意識の核心に迫ったジュリオ・トノーニの傑作。オーウェンらの業績もページを割いて紹介されている。
意識の問題に真正面から挑んだ、きわめてエキサイティングな2冊。前者は統合情報理論を推していて、後者は「脳全体の情報共有」という視点から意識を捉えようとしている。