いまから10数年前、私は東京・水道橋駅近くにあるライター・エディター養成学校の夜間コースで、年に何度か、講師の仕事をしていた。
ルポライターの大先輩にあたる鎌田慧さんからの依頼で、ノンフィクションの取材法と書き方をおしえていたのである。
ある年、非常に熱心な女性の受講生がいた。一見大学生かと思ったが、小さな貿易会社で働いており、ぜひ書きたいテーマがあるとの話であった。
こういう受講生は珍しい。ライターやエディターを志望しているのに、書きたいテーマもつくりたい本もなく、漠然と出版界にあこがれている場合がほとんどなのである。
もうご推察のとおり、この若い女性受講生こそ、本書の著者の城戸久枝さんなのだが、彼女が授業中とりわけ目立つ存在だったわけではない。いつも教室の最後列、教壇の私から見ると右側の一番うしろの席にすわり、もの静かなたたずまいを見せていた。
授業がおわると、質問者の列の、これまた最後のほうでひかえめに待っている。だが、質問の内容は、ほかのだれよりも切実であった。元・中国残留孤児の父親の半生を書きたい。調査もかなり進めてきたけれど、どうまとめればよいのかがわからない。
「でも、書きたいことはいっぱいあるんです」と言う。彼女の目には、ほかの受講生にない強い光があった。
その後も何か相談があると、私の仕事場に電話をよこしたり、自宅近くの喫茶店にまで出向いてくれたりした。
私は、おおむねふたつのことをくりかえし話したと思う。
とにかくテーマをしぼったほうがよい。あれもこれもと入れたくなる気持ちはわかるけれど、そうすると焦点がぼやけて、まとまりのない作品になってしまう。具体的に言うと、中国残留孤児としての父親の半生と、自分の中国留学体験と、元・中国残留孤児たちの裁判闘争の三つを、一冊の本に詰めこむのは少々無理があるような気がする。
私は、さらに言葉をついだ。”切り札”はもう少し先にとっておいたほうがよいのではないか、と。
この場合の”切り札”とは、世の中で、自分ただひとりにしか書けないテーマのことだ。私の見方では、ライフワークとは意味が少しちがう。ライフワークは自ら設定できるが、切り札は、いわば持って生まれたものだ。ただし、一生に一度しか使えない。城戸さんのテーマは、まさしくその切り札に思えた。
それをくりだす前に、取材と執筆のトレーニングをもっと積んだほうがよい。そのうえで、じっくりあたためてきたテーマを、満を持して世に問うてはどうか。そんなアドバイスめいたことを私は告げた。
本書をお読みになった読者は、失笑されるにちがいない。私は、とんだ見当はずれを説いていたのである。それに気づいたのは、寄贈本として送られてきた本書を一読したさいであった。
城戸さんは、中国残留孤児だった父親の半生と、自身の中国留学体験と、元・中国残留孤児たちによる国家賠償を求めての裁判闘争を、すべてこのひとつの作品に盛りこんでいた。それでいて散漫さも冗長さも感じさせない。これがデビュー作とは思えぬほどの構想力と筆力である。
彼女の文章には、力みすらない。力作であることはまちがいないのに、”力作感”がないと言えばよいだろうか。野球のピッチャーにたとえると、肩に力を入れず、素直に腕をふっただけなのに、150キロ台の速球が投げこまれている。不思議な書き手とあきれるほかはない。
ようするに、切り札を出す前の取材・執筆のトレーニングなど、彼女には不要なのであった。いや、切り札を使いながら、その過程で取材と執筆の訓練を積みかさねていたと言ったほうが、より実状に近いのであろう。しかも、できあがった作品には、そうした訓練のあとなど微塵も見られない。これもデビュー作としては稀有なことだ。
本書は二部構成をとっている。
第一部は、著者の父・城戸幹が、満州(現在の中国東北地方)で戦禍のために家族と離ればなれになり、幼くして中国人の養父母に引きとられる場面からはじまる。古くは藤原ていの『流れる星は生きている』から、最近では山崎豊子の『大地の子』にいたるまで、たびたびとりあげられてきた中国残留孤児の悲劇である。
類書と異なるのは、日本で結婚して著者をさずかる前の父の姿、つまり城戸幹ではなく「孫玉福」の名前で異郷を生きぬいた「父が私の父になる前の人生」を、その子がたどっていくという劇的な展開にある。
この父親がまた、強烈な個性の持ち主なのだ。「中国残留孤児」の名称がまだない時代に、中国の片田舎から日本の赤十字社に手紙を出しつづけ、自分が孤児となった当時を知る中国人たちをさがしまわり、紆余曲折のすえ、ついに8年目にして日本の実の父親からの手紙を受けとるのである。
時代は、毛沢東が発動した大躍進から文化大革命にかけての異常な混乱期にあたる。日本人であるということだけで大学への進学の道を断たれ、尾行や監視のもとにおかれながらも、彼は不屈の精神力でみずからの運命をきりひらいていく。こうして28歳で祖国に戻った城戸幹が、日本語を一から学びはじめ、苦しみつつも日本社会になじんでいき、やがて新しい家族をきずきあげて、実母を荼毘にふすまでの人生を描いたところで、第一部は終わる。
ここまで読了したとき、私はいささか心配になった。父親の半生記は、あらかた綴られてしまった。このあと、著者には書くべき何かが残っているのか。広げたストーリーをどう収拾していくつもりなのか。私は、たいした世話もしていないのに、教え子を気づかう恩師気取りで、はらはらしたのである。
それが杞憂にすぎないことは、第二部を読みはじめてすぐにわかった。ここで著者は留学生となって中国にわたり、ふたたび「父が私の父になる前の人生」を現地での実体験と調査によってひとつずつ浮かびあがらせ、同時に、帰国後の父が直面しなければならなかった異国での困難な再出発をも追体験していく。
読者もまた、自分自身が中国に初めて留学したかのような、見るもの聞くものすべてが新しい日々を追体験できる仕組みになっている。秀逸なビルドゥングスロマンと言ってもよい。
さらに、満州国軍の将校であった、すなわち中国からすれば「凶悪な」大日本帝国軍人にほかならなかった祖父の人生が、そこにつけくわえられる。著者・父・祖父と三代の人生が重ねあわせられ、作品の奥行きがぐんと広がり深まるのである。
本書は、第39回大宅壮一ノンフィクション賞に引きつづき、第30回講談社ノンフィクション賞をも受賞した。私は後者の選考委員として、この本と再度まみえることになった。以下は、そのおり私が書いた選評である。
「城戸久枝氏の『あの戦争から遠く離れて』は、すでに大宅賞を受賞している作品である。昨今ダブル受賞を避ける空気が選考委員会にはあるのだが、この作品は候補作の中で抜きんでており、第一回の採点時に満点を獲得した。
中国残留孤児の父親を持つ著者が、父の半生を三人称で綴った前半と、中国に留学した著者が父の半生や祖父の人生を辿る旅を記した後半とが有機的に結び合わされ、縦軸(歴史性)と横軸(世界性)の大きなスパンのあいだを三代の家族が往還する、うねるような構成になっている。その中で、日中戦争と中国残留孤児の問題だけでなく、日本人と中国人、人間同士のきずな、家族とは何かといったテーマも、無理なく盛り込まれている。
自分の家族を描くのは、ベテラン作家ですら至難の業である。著者は本書がデビュー作であるにもかかわらず、家族との落ち着いた距離感を終始保ちながら、三代の歴史を描き切った。この悠揚迫らざる筆致には、大物感すら漂う」(「月刊現代」2008年9月号)
通常、候補作の著者と選考委員とのあいだに何らかの人間関係がある場合、選考委員が候補作を見る目はいっそう厳しくなる。私も例外ではない。
だが、鵜の目鷹の目で読みかえしても、本書に欠陥は見いだせなかった。私の選評は、掛け値なしのものである。
(ノンフィクションライター)