『どもる体』読む人の「しゃべる」を引き出す、触媒のような本

2018年6月21日 印刷向け表示
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どもる体 (シリーズ ケアをひらく)

作者:伊藤 亜紗
出版社:医学書院
発売日:2018-05-28
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ここで不思議なことが起こります。スタジオには、同じく吃音当事者の落語家、桂文福さんがゲストとして来ていました。その文福さんが、吃音症状の出ている八木さんに向かって、「タン・タン・タン」と規則的に舌を打ち始めたのです。商売道具の扇子を横に振りながら、口拍子をとっていく文福さん。すると、まるで金縛りが解けたような変化が起きたのです。数秒前の吃音症状はどこへやら、なんと八木さんが別人のようにしゃべり始めたではありませんか。

こんなエピソードがカバーの折り返しに書かれていて思わずそそられる。さらに謎めいた表紙のイラストや「しゃべれるほうが変。」というコピーも合わさって、不思議な雰囲気が醸し出されている。

本の体裁にもよく表れているように、吃音はどこか謎めいた現象である。今から100年以上前の日本でも、吃音をいかに直すかの試行錯誤がなされていた(その動きは現在よりも活発だった)そうだ。しかし今日に至るまで「治るのか治らないのか」について統一された意見はなく、原因が何なのかも完全には解明されていない。

この謎多き現象について本書が行うのは、原因探しでも、治療法の提案でもない。

 本書は、あくまで「どもる」という身体的経験にフォーカスを当てます。それを乗り越えるべき症状としてではなく、体に起こる現象として観察したいのです。

この視点は、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』、『目の見えないアスリートの身体論』といった著者の前作、前々作から引き継がれているものだ。外側に現れる「症状」ばかりではなく、その人の内側で何が起こっているのかに注目することで、障害があるから「こそ」生まれる斬新な認識、体の動きが見えてくる。そこあるのは必ずしもネガティブな面ばかりではなく、非当事者が持ちえないような粒度で身の回りの世界に触れるという意味で、ポジティブな面も少なくない。

そうした話を、啓蒙っぽくならないようなニュアンスで興味深く伝えてくれるのが過去作から共通した特徴だ。「身体論からみた吃音論」と銘打たれた本書のアプローチは、このような流れの中にある。

ここで、吃音のメジャーな症状である「連発」と「難発」について触れておきたい。たとえば「たまご」と言おうとした時に「たたたたたたまご」と音が連続して出続けるのが「連発」。一方で、そんな事態を警戒するあまり、「っっっっっっ」と最初の「た」が出てこなくなるのが「難発」だ。キーボードで例えると、連発は最初の「た」と打とうとして「たたたたたた」となる「バグ」のような状態になぞらえることができ、また難発の場合は、「た」を打っても固まったまま文字が出てこない「フリーズ」のような感じなのだという。

非当事者でもしゃべる中で「噛む」ことは日常的にあるが、そこには明確な違いがあるそうだ。たとえば連発の場合、はるかに高い頻度で、同じ音や単語で、より長い時間エラーが続く。

こうした一般的な説明をおさえた上で、著者が最も重視するのが、吃音の当事者に対するインタビューだ。年齢や性別、職業、国籍、症状の異なる人々にインタビュー調査が行われ、彼らの「内なるドラマ」を浮かび上がらせる。

ある人は、自分の体が起こした出来事でありながら、どこか他人事として関わることしかできないような不思議な感覚について語る。

 「吃音というのは、言葉を伝えようとして、間違って、言葉じゃなく肉体が伝わってしまった、という状態なんです」。

またある人の話では、「たたたたたた」と連発している状態が苦しいものかといえば、必ずしもそうではないことも明らかになる。

 「楽にどもれている、というか。だから吃音症状は出ますが、吃音で苦しいっていう感じではないですね」。

 「連発も楽しくて気持ちよかったんですよね。しゃべりながら派手にどもる自分にも笑ってしまう」。

もちろん社会的な面での悩みは確かに存在し、そのもどかしさについても各所で触れられる。ただ、そればかり見ていては見落としてしまうことがあるのも事実。全体を通じてひしひしと感じるのは、表に出ている「症状」だけを見て下してしまう判断のあてにならなさである。

この捉えにくさの根底にあるのが、著者の指摘する、吃音の「ダブルスタンダード性」だ。

つまり吃音においては、連発にせよ、難発にせよ、ひとつの現象が「症状」であり、かつ「対処法」でもある、という二面性を持つのです。ある見方をすればそれは「対処法」として役だっているが、別の見方をすればそれは乗り越えるべき「症状」である。

「連発」を警戒するあまり「難発」が出るという話にはすでに触れた。ここで、難発は「症状」であると同時に、連発を防ごうとして出てきた「対処法」でもある、と捉えてみるとどうなるか。同じ現象でも、見方次第で「対処法」にも「症状」にもなる、つまりは「ダブルスタンダード性」が浮かび上がってくるのだ。

本書で数多く紹介される吃音を防ぐための工夫や対処法が、万能薬にはならない理由もこのあたりにある。冒頭で、口拍子のリズムに乗ることで言葉が紡がれていった例を挙げたが、こうしてパターンに乗っていく対処の仕方も、「話者の内面が感じられなくなる」という副作用、つまり「症状」と背中合わせなのだ。

演技、音読、プレゼンなど、特定のシチュエーションではどもらなくなるといった大まかな傾向と、一方で個人差も大きいという話、「どもらなくなったことでかえって苦しくなり、再びどもれるようになる道を選んだ人」のような珍しいケースなど、思い込みがひっくり返されるような事例が随所に詰まっているので、ぜひ実際に手に取って触れてみてほしい。社会的にはハンディキャップとされるようなことでも、「症状」ベースで理解しようとすることからいったん自由になれば、本当に色々な見方が可能になる。読後には、自分の視点が確かにアップデートされているのを感じるはずだ。

この「アップデート」は、吃音への見方が変わるといった次元にとどまらない。「しゃべる」ってそもそもこういうことなのかも、という自己発見に満ちている。本書の底にあるのは、「しゃべる」ことについて、知らず知らずのうちに積み上がってきた自分の中の感覚が自然と総動員されて、かつ更新されていく面白さだ。

話し方のパターンに乗っかり過ぎて内面が伝わりにくくなる(パターンに「乗っ取られる」)ことは仕事の時など心当たりがあり過ぎて読んでいてむずむずしたし、同じ「しゃべる」にも卓球のラリー的な「会話」とキャッチボールのような「対話」と、複数人ならばサッカーみたいにパスを回す、いや、ドッジボールみたいに内野と外野があって……みたいに読みながら考えが勝手に歩き出す感じが楽しい。

啓蒙っぽくない、と始めの方に書いた理由はここにある。開かれた触媒のような本なのだ。各地で開かれている本書のトークイベント、もとい座談会が盛況だというのも頷ける。当事者の語りと著者の筆致に触発されて、自分の中の「しゃべる」が顔を出す。

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