「LGBT」と称されることも多いセクシュアルマイノリティ(性的少数者)。人口の3〜7%にあたると言われ、40人クラスであれば1〜3人は存在する割合だ。近年、メディアでとりあげられる機会も増え、認知度は高まりつつあるが、2015年に行われた全国調査では「自分の周りに同性愛者がいるか否か」という質問に対し、「いない」と回答した人が54.2%、「いないと思う」が33.6%という結果が出た。実に9割近くの人が、実際に「存在している」ことを認知していないことになる。この結果は当事者が周囲の人に自分のセクシュアリティを伝えられていない現状を示唆しているだろう。
セクシュアルマイノリティの人が、自分の性的指向(恋愛や性的欲望の対象)や性自認(自分の性別に関する意識)について誰かに伝えることを「カミングアウト」という。自分のセクシュアリティについて話していないときの状況をよく「クローゼットのなかにいる」と表現し、そこから「外に出る」ことを意味する。
本書は、ゲイ・レズビアンに対象を絞り、具体的なカミングアウトの経験談を交えながら、当事者たちがカミングアウトをする背景やその意味について、そして、カミングアウトしないことによって起こる問題を指摘しながら、セクシュアルマイノリティの人たちが現在取り巻かれている環境を浮き彫りにしている。
大切な人と共有できない喜怒哀楽
ゲイのかつきさんが、彼氏のトモさんとその母親と旅行に行ったときのこと。トモさんは初めて母親にカミングアウトした。母親は「なんで私にカミングアウトしたの?私は一人の人間としては尊重できる。けれど母親としては認めるわけにはいかん」「私が別れろっていったところで別れられないでしょ。それならカミングアウトするんじゃないよ」と大激怒。怒りの言葉をとにかく吐き続けた母親は、2時間後、脱力したように大きなため息をついて呟いた。「うちの子の、どこがいいんですか…」。かつきさんは答えた。「お母さん、僕ね、ずっと言いたかったことがあるんです。彼を産んでくれて、健康に育ててくれて、健康に社会に送り出してくれてありがとうございます。それで僕は彼と知り合えて、人生すごく幸せです」。この言葉は、かつきさんが以前トモさんの故郷を一緒に訪ねた時以来、胸に秘めていた言葉だった。
友達と他愛ない恋愛話をしたり、親友と恋人について真剣な相談をしたり、人生をともに歩むパートナーを家族に紹介したり…。異性愛者同士であれば、ごく自然に行いやすいことが、同性同士であることによって、そこに「壁」が立ちはだかりやすい。
ゲイの昌志さんは、お母さんにカミングアウトしたときのことを思い出しながら、こう話している。
俺がゲイやってことを知られたくないって理由だけで、俺なりに幸せなこと/悲しいこと/嬉しいことも分けあえず生きる人生を続けるのは嫌やったから。
どんな人と時間を共にし、どんなことに悩みを抱え、どんなことに感動し、どんなことに傷ついているのか。そうした喜怒哀楽を、大切に思う人であればあるほど共有したいはずなのに、躊躇い、自分の内側に閉じ込めてしまう。そうせざるをえない…。それは、当事者と周囲の人との関係性、そして時に当事者とそのパートナーとの関係性をも、深める障壁となる。
同性愛者であることの罪悪感
大切なことを正直に話せなかったり、嘘をつかなければならないような状況は、相手への後ろめたさや、ばれてしまうことへの不安、そして、不誠実な自分への嫌悪感をも強める。大切な人に「そのままの自分」で接することができなければ、「安心できる居場所」をもつこともできない。
歌、映画、CM、小説など世の中に存在している多くのものも「異性愛」を前提としており、同性愛者は自分自身の大切な感情を、「承認」されないどころか、むしろ、否定されるような体験を重ねていくことになる。自己肯定感が低下し、同性愛者であることに罪悪感を抱く当事者は少なくない。
アメリカで21〜25歳のLGBT当時者を対象に行われた調査によると、家族の拒絶度が高い場合、低い場合に比べて8倍も自殺リスクが高まる。
レズビアンのエマさんは昔から、「うちは生きることに執着しないから」とよく口にしていたという。母親の裕子さんはカミングアウトを受けて、「カミングアウトは魂の生き死にに関わる重大なこと」だと思ったと話す。エマさんは「生きよう」と思ったからこそ、カミングアウトをしてくれたはずだ、と。
砂川氏は次のように語る。
自分だけがそれいでいいと思っている自己肯定感は強いロープに似ている。…(略)…が、その一本が摩耗したり切れ目が入ったりするともろくなってしまう。多くの人に承認された経験が網の目のように存在するならば、しなやかな耐久性ができる。そして、自己肯定感は、何かをなしたことで得られることもあるが、より大事なのは、「あなたがあなたとしてそこで生きていることそのもの」が認められることだ。
カミングアウトされた側が得た新しい価値観
カミングアウトする側だけでなく、カミングアウトされた側も、ただ相手を「受け止める」こと以上の変化を得る場合もある。
高校1年生の息子からカミングアウトをされた母・直子さんは、息子から、「同性愛は人間の性のありかたの一つで、100人いたら、100人とも性が違うんだ」と言われ、「性ってそんなに多様なんだ」と驚いたという。そして自分自身がずっと抱えていた、「女らしさってなんなんだろう。なんで女らしくしないといけないのだろう」という感情にも結びついた。親世代から、「あなたは嫁に行く身だ」などと「女性であること」を押し付けられることに違和感をもっていた直子さん。息子の話を聞いて、「自分は自分らしくあってよかったんだ、なにも誰かと同じ女性になる必要はなかったんだという、安心感や解放感がありました」と語る。
前述のエマさんのお母さんも、エマさんのカミングアウトを受けて、自分のなかにあった「無意識の偏見」に気づかされた。そして「性はグラデーション」だと教えてもらったことで、自分自身の見方や生き方に、「“こうあらねばならぬ”“こうあるべき”という考えが外れたような気がする」と語る。
カミングアウトを受けたとき、それまでよく知っていると思っていた相手が、急に遠い「他者」となるような面がある。受けた側は相手のことを改めて知ることになり、その“伝えられた側”の反応を受けて、伝えた側も、相手について改めて知ることになる。お互いが少しずつ変化しながら関係性が築き直され、絆が深まる機会ともなりうる。
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様々な面をもつ「カミングアウト」だが、砂川氏が強調するのは、カミングアウトは基本的に「相手との関係を深めたいという思いをもってされることが多い」という点だ。お互いに相手と自分の思いとに丁寧に向き合う、コミュニケーションの基本を大切にすることが、まず第一に「できること」であろう。当事者も非当事者も、自分のまわりに当事者がいないと思っている人も、手にとってみてほしい一冊だ。