我々は中国をどこまで知っているのか。メディアにすり込まれたステレオタイプな中国人像で語ってないだろうか。上海の寿司屋、反日ドラマの日本兵役、山東省の田舎町にあるパクり遊園地の踊り子、上海の高級ホストクラブのホスト、爆買いツアーのガイド、留学生寮の管理人。七カ所の労働現場に入り込み、日本人が知られざる中国人の実像を描き出したのが本書だ。
「実像を描き出した」と、それこそ紋切り型な表現を使ってしまったが、本書は潜入ルポとして新鮮だ。潜入ルポといえば、『自動車絶望工場』のような骨太のノンフィクションの印象が強い。企業と労働者という対立構造を前面に押し出し、資本主義の闇を暴き出す。作品自体の惹きつける力は圧巻だが、いかんせん過酷さと鮮明な対立軸がつきもののため、読者と読むタイミングを選ぶ。新入社員が読んだら、「現代の企業は皆、悪だ」と一気に左傾化して、会社を辞めかねない。
本書の著者の場合、文体もあるが、正直、大変そうな感じがしない。そもそも、潜入している職場が楽しそうだし、本人は「二度とやりたくない」と言っているが、このノリならば普通に就職できそうである。楽しんで潜入しながらも、「ちょっとおかしくない、この職場?」と指摘する。これこそ21世紀の潜入ルポのあり方かもしれない。
もちろん、楽しげながらも、潜入の本来の目的を忘れていない。例えば、寿司屋への潜入では厨房で中国人の日本人との埋めがたい振る舞いの差を見逃さない。
手が滑ってスプーンを床に落っことした。だが、床から拾い上げるとスプーンの表と裏を一瞬じっと見つめ、汚れがないことを確認すると、そのまま缶のなかに戻して使い続けたのだ
じっと見つめたい気持ちはわかるが、目視確認が基準なのは少し怖い。日本流の「3秒ルール」の方が基準が明確である。
ほかにも、食器などの洗い物用のシンクに直置きして野菜やシジミを洗ったり、床のコンクリートにまな板を置き、魚を切り分けたり。世界第二位の経済大国とは思えないワイルドさである。衛生意識が低いのかと思いきや、まかない料理のときの光景に著者は驚愕する。
スタッフたちは自分が使う食器には湯沸かし器の熱湯を丁寧にかけ、入念に消毒してからご飯をよそっていた。客が使う食器にはそこまでしないので唖然としたが、私も真似して熱湯消毒した
衛生意識、全く低くない。むしろ、意識高い。自分や身内は大事にするが、それ以外の人は風景な中国人らしい一面が、仕事でも貫かれている。仕事は仕事だろと突っ込みたくなるが、良くも悪くもゆるくていいかげんなのだ。
遊園地への潜入でも「ゆるさ」を目の当たりにする。著者は、インターネットでディズニーの「7人の小人」やドナルドダックと来場者が戯れる「パクり」遊園地を見つけ、働き出す。かつて、中国全土を揺るがしたパクり遊園地問題があったにもかかわらず、根性が太い。
潜入すると、早速、ミッキーマウスのかぶり物が転がっていたのでかぶりたいと訴えると、言葉を濁されて拒否される。以前は現場の判断でミッキーを勝手にかぶっていたらしいが、パクり問題で揺れたときに、上層部に怒られ、さすがに今では使えないらしい。それでも、7人の小人はディズニーをもろパクりなのに、単なる小人だから著作権に触れないからと、堂々とパレードしている。わかるようでわからない。
パレードだけでなく園内のクレーンゲームにはドラえもんなどのパクり人形が所狭しと並ぶ。著者が同僚に「問題ないのか」と聞くと、ドラえもんのパクりなんてそこらにあるから問題ないと答えられる。バレなきゃ、オッケーな姿勢は著者が言うように、ある意味すがすがしいかも。
「メディアが伝えるように中国、ヤバイ」と思うかもしれないが、著者が潜入した現場で働く人々は至って普通なのだ。全くもって職場に絶望していないし、ムダな希望も抱かない。著者が日本人だとわかっても、敬遠したり、いやがらせしたりしない。西洋的な遵法意識の感覚が乏しいだけで、寿司を一生懸命に握るし、無邪気にかぶりものをする。
七つの現場への潜入から見えてくるのは、人材の流動性の高さだ。確かに専門的なスキルが求められないとはいえ、いずれも単純労働でなく、経験がものをいう現場である。著者が中国語を苦にしないというのは大きいが、履歴書を持って行って「経験がある」とはったりをかますと採用される。潜入ルポというと潜入までのプロセスがひとつの醍醐味だが、驚くほどあっさりした現場もある。
解雇規制がないからなせる業かもしれないが、人にせよ事業にせよ、とりあず雇ってみたり、やってみたりして、ダメならそこでまた考える。著者が指摘するように、この緩さ、良く言えば臨機応変さが中国の強みかもしれない。今、日本に必要なのは、このノリかも。