世界に最も影響を与えた日本発のものや文化は何だろうか。葛飾北斎の浮世絵や黒澤明の映画は諸外国の多くの芸術家たちを魅了し、彼らの作品にその影響を色濃く残している。次々と生み出される日本発のゲームや漫画も、若者に限らない、世界中の老若男女を今でも虜にし続けている。少し注意深く目を凝らして見れば、世界のあちこちに日本から生まれた何かを感じることができる。
思想や文化の浸透は直接的に感じることは難しいが、どんな国外の都市を訪れても、ちょっと外に出れば直ぐにその目で確かめることのできる日本がある。それは、自動車だ。アジアでも欧州でも、アメリカでもアフリカでも、その街中でトヨタや日産等の日本車を全く見かけない都市を探すことは困難なほどに、日本発の自動車たちは世界中を文字通り駆け回っている。
日本の自動車会社の中でも特にトヨタが世界に与えた影響は、街中で走る自動車だけにとどまらない。その自動車をつくるプロセス、現場のあり方は世界の製造現場に大きな変化をもたらした。自動車製造でなくても、製造業に関わる者ならどこの国であっても、トヨタ生産方式、カンバンシステムという言葉を聞いたことがあるに違いない。
明治維新以来、日本の製品はいくつも世界に出ていった。しかし、生産システムがアメリカへ行き、その後、世界標準になったのはトヨタ生産方式たったひとつだ。後にも先にもない。
失われた20年の間にみるみる世界でその存在感を失っていった日本企業の中で、なぜ自動車だけは例外たり得たのだろうか。その中でも「最強企業」という仰々しい形容詞がつくほどのトヨタは、どのようにしてその強さの源泉であるトヨタ生産方式を生み出したのか。本書は織物を基幹事業としていたトヨタが、自動車を自社の進む道として選択する、トヨタ自動車誕生以前からスタートする。そして、産声を上げたばかりのトヨタが、次々と襲い掛かる困難に立ち向かいながらも着実に成長していく過程を、多くの当事者たちへのインタビューや資料を基に再構成していく。日本自動車産業史、トヨタという企業の伝記、さらには明日からの仕事への多くのヒントを与えてくれるビジネス書としても読むことができる。
これまでも、トヨタ生産方式を取り扱った書籍は数多く出版されている。同方式を体系化した元副社長・大野耐一が自ら『トヨタ生産方式』を著しているし、この方式を開発した担当者たちへのインタビューも多く残されている。この『トヨタ物語』は、トヨタ生産方式を現場で支えた作業者たちの声を汲み上げることで、このよく知られたはずの方式に新たな光を当てている。著者は、日本とアメリカで70回にわたる工場見学を行ったという。
生産性が向上したということを体感するのは開発者たちではない。毎日、現場で働く作業者である。
それならば、現場の人に聞こう。わたしはそうすることにした。もっともいいのは、長く現場で働いていた人がトヨタ生産方式の導入前と後で、何が変わったのかを語ってくれることだ。そうすれば、方式の意義がわかる。
1930年豊田自動織機内に、ガソリンエンジンの自社開発を目指した豊田喜一郎によって設立された自動車製作部門がトヨタ自動車の起源だ。ここで注意しなければならないのは、日本の自動車製造を取り巻く環境が当時と今では全く異なるということ。当時の日本国内を走っていた車の数は約8万台に過ぎず、その存在を知らない者の方が多かったという。何より、自動車製造に必要となる金属、樹脂、ガラス、ゴムを製造する会社が日本には揃っていなかった。自動車事業は単なるベンチャー的試みではなく、とてつもなく無謀な挑戦だったのである。
何とか自動車を製造し始めたトヨタを戦争が襲い、敗戦後はGHQから「日本の自動車会社は乗用車の生産をやってはならない。だが、トラックは作っていい」という覚書が突きつけられた。またGHQは財閥の力を弱める目的で、5つの財閥(三井、三菱、住友、安田、富士産業)の解体を宣言した。豊田も財閥として指定されたため、系列会社の独立を進めざるを得なかった。ただし、この措置はトヨタにとって追い風であったと著者は解説している。
財閥企業の力が小さくなり、ベンチャー企業は新しいマーケットへ堂々と進出することができた。結果として経済は活性化した
戦前を紡織工場で過ごした大野耐一は戦後、自動車工場に転籍した。自動車製造現場をみた大野は直感的に、「紡織工場よりも生産性が低い」と感じたという。そして、様々な試行錯誤の中で少しでも生産性を上げるために、前工程まで部品を取りに行くことを始めた。「後工程が前工程へ部品を引き取りに行く」トヨタ生産方式が当たり前になった現在では特筆すべきこととは思われないが、当時、後工程の人間は部品がやってくるのを待つのが当然だった。前工程に部品を取りに行くことは、「乱暴な行為」でさえあったという。常識にとらわれることなく、自分の頭で考え、絶えずカイゼンを目指すトヨタの現場はここからスタートした。
本書ではあらゆる角度からトヨタ生産方式とは何であるかが分析されているが、本書を読み終えても、トヨタ生産方式を完全に理解できた、という感想を持つことはないだろう。むしろ、この方式は読書や理論から頭で理解するものではないことを痛感する。トヨタ生産方式は、現場での試行錯誤プロセスや実践の過程で体得していくものであると感じる。どれだけゴルフスイングの理論に精通しても、クラブを振り続けない限りは、理想的なスイングがどのようなものかは本当には理解できない。
電気自動車の誕生で、自動車産業は大きな変曲点を迎えようとしている。部品点数が大きく減る電気自動車では、これまで日本メーカー強みとしてきた、部品同士の摺合せの必要性が大きく低下するという。突然の市場の大きな変化に日本の家電メーカーが飲み込まれていったように、日本の自動車メーカーもその存在感を失っていくだろうか。一定のルールの中で無類の強さを発揮したトヨタ生産方式は、ルールそのものが書き換えられようとする局面でもその強さを維持できるだろうか。過去を知り、未来をより楽しみなものにしてくれる一冊だ。
製造業関係者なら一度は手にしたことがある一冊。Kindle版もある。
日本電産元M&A担当役員による一冊。営業活動に焦点を当てながら、かなり具体的な施策の解説まで丁寧になされている。