『人類の進化が病を生んだ』訳者あとがき

2018年1月21日 印刷向け表示
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人類の進化が病を生んだ

作者:ジェレミー・テイラー 翻訳:小谷野 昭子
出版社:河出書房新社
発売日:2018-01-19
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ランドルフ・M・ネシーとジョージ・C・ウィリアムズ著のWhy We Get Sick は、ダーウィン医学(進化医学)の概念をはじめて一般向けに紹介した本として一九九四年にアメリカで出版された。日本でも、長谷川眞理子、長谷川寿一、青木千里の翻訳により『病気はなぜ、あるのか―進化医学による新しい理解』として2001年に新曜社から出され、ロングセラーとなっている。

ネシーとウィリアムズが開いた扉は人々の関心を呼び、進化医学をテーマにしたポピュラーサイエンス書は一つのサブジャンルになるほど成長した。それ自体は喜ばしいことではあるのだが、一般受けを狙うあまり、人体がいかにできそこないの産物であるかを面白おかしく強調したり、現代病は人類進化と生活習慣のミスマッチから生じているのだから狩猟採集時代のような暮らしに回帰すべきだと意見したりするような、進化医学による見方を単に消費するだけの本が増えているのもまた事実だ。

そんななか、病気を理解し治療法を見つけるためには既存の視野を少し広げて進化の観点からも考えてみることが大事だという、ネシーとウィリアムズの本来の問題提起に立ち返り、その後の四半世紀に新たに見出された医学知見や先駆的な治療法を紹介しようと試みたのがこの本だ。本書には、そうした治療法のいわば実験台となることを自ら志願した患者たちの話も織り込まれている。

進化の観点で考えるとは、具体的にはどういうことだろうか。たとえば、抗生物質の効かない耐性菌の出現については、いまでは多くの人が進化の観点で理解するようになった。単細胞生物である細菌は自身の遺伝子を絶えず変異させていて、たまたま抗生物質に抵抗できる変異を得た個体は生き延び、勢力を広げる。では、癌についてはどうだろう? 私たちは癌という病気を、なんとなく、一つの悪い細胞が二倍、四倍、八倍と同じコピーを増やしていくという単純なイメージだけでとらえていないだろうか。ここで、癌についても進化の観点で考えてみよう。癌細胞も細菌と同じように、自身の遺伝子を絶えず変異させてその性質を変え、あなたの体という生態系の中で生き延び、勢力を広げようと奮闘している。あなたが癌を抗癌剤でやっつけようとすればするほど、癌のほうは自身の遺伝子を引っかき回して変異の試行錯誤をする。抗癌剤でいったん治ったように見えてもその後に再発したという場合、その患者の癌細胞は変異の当たりくじを引いたと考えるべきなのである。

本書によれば、癌の専門医でも癌細胞が抗癌剤に耐性をつけるプロセスを理解している人は少ないとのことだが、ましてや私たち患者の側はほとんど知らない。だが、癌の進行は変異のくじ引きしだいだということを知っていれば、特定の食べ物や高価な水で癌が治るとうたう民間療法商法に惑わされずにすむ。進化医学の考え方は私たちも身につけておいて損はない。

著者のジェレミー・テイラーは、イギリス BBCテレビでシニア・プロデューサとディレクターを務め、BBCの科学番組『ホライズン』のシリーズを担当した。とくにリチャード・ドーキンスと共同で制作した『盲目の時計職人』のドキュメンタリー作品(1987年)は大きな評価を得た。ただし、その作品の中で二人が自信満々につくりあげた「眼の進化を説明するアニメーション」が、実際には科学的な証明にはなっていなかったとあとで気づいたことについては、本書の第4章で述べられているとおりである。  

ジェレミー・テイラーはその後フリーランスになり、ディスカバリー・チャンネル、ラーニング・チャンネル、チャンネル4などの科学番組を制作した。後年は、サイエンス・ライターとして本書を含む二点の書籍を書き上げ、またランドルフ・M・ネシーらを中心とする進化医学公衆衛生国際協会(TheInternational Society for Evolution, Medicine, and Public Health)の出版局でアソシエイト・エディターを務めた。だが、2017年七7月、膵臓癌でこの世を去った。70歳だったという。いまはただ、故人の冥福を祈るのみである。

2017年11月

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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