1941年12月8日に始まり、45年8月15日に終結した、アジア・太平洋戦争は日本だけでも軍人・軍属230万人、民間人80万人、計310万人もの犠牲者を出した。当然ながらこの戦争は様々な視点から多くのことが論じられてきた。本書は過去の議論を踏まえた上で、3つの問題意識を重視しながら先の大戦を見直すことを目的としている。では三つの問題とは何か。一番目が、戦後歴史学を問い直すこと。二番目が、「兵士の目線」「兵士の立ち位置」から戦争を見つめ直す。三番目が悲惨な戦場の現実と帝国陸海軍の軍事的特長との関連性を明らかにすること。
本書を読んだ感想としては、二番目と三番目の目的は見事に達成している、というものだ。実際に戦場で戦った兵士達の現実を私たちの前に描き出す事に成功している。そして、三番目の軍事的特長もストンと腑に落ちるものがある。また、新しく知る日本軍の実態にも驚くべきものがあった。
本書の著者である歴史学者、吉田裕は南京虐殺論争で被害者が数十万人は出たと主張し、天皇の戦争責任にも言及している経歴があるために、右よりの立ち位置の人からは、あまり芳しい評価を得ていないようだ。だが、本書では南京や天皇の戦争責任についての議論は、ほぼ行われていないために、不毛なイデオロギー論争を抜きにして読むことができると思う。
まず著者は太平洋戦争を4つの期間に分けている。開戦から1942年5月までの「戦略的攻勢期間」を第一期、42年6月のミッドウェー海戦の敗北から43年2月のガダルカナル島撤退までを第二期で「対峙の時期」とし、43年3月から44年のマリアナ沖海戦敗北後の7月までを第三の「戦略的守勢期」、そして44年8月から終戦までを第四期「絶望的抗戦期」としている。
本書で最も驚きだったのが、著者が310万人の戦没者の大多数が第四期の一年間あまりの間に死亡したものだという仮説を立てていることだ。アメリカでは月別の戦没者数という詳細なデータを収集し、戦略や戦史などの分析が行われているというが、日本では月別の戦死者数はおろか、年別の戦死者数の統計すら行われていない。日本政府は今もこのようなデータの分析を怠っているのだ。現在も思考の根底からアメリカの合理性に負けているのではないかと背筋が寒くなる。
そんな中で唯一、岩手県のみが県内出身の陸海軍軍人の年別戦死者数を公表しているという。岩手県のデータから1944年1月1日以降の戦死者のパーセンテージを割り出すと87.6パーセント。これを軍人・軍属の総戦死者数230万人に当てはめると、201万人になるという。民間人の犠牲者のほとんどが第四期になるので、1944年以降の戦没者数は281万人。91パーセントが44年から翌年の終戦までの期間に犠牲になっている計算になるという。ちなみに日露戦争の戦死者が9万人ほどなので、いかに太平洋戦争、特に44年以降の1年間が熾烈な戦いだったかということがわかる。
では、太平洋戦争で兵士達はどのような体験をして、何を見て、そして死んでいったのだろうか。まず、太平洋戦争の特徴として戦病死と餓死者の異常な多さを見る必要がある。日露戦争では日本陸軍の戦病死者は戦死者の26.3パーセント。太平洋戦争ではしっかりとした統計が存在しないために、本書では支那駐屯歩兵第一連隊の部隊史の統計を例に挙げている。部隊史によると1944年以降の戦没者は戦死533人で戦病死1475人、合計戦死者数2008人である。73.5パーセントが戦病死なのである。制空権、制海権ともに失い、前線各地で補給が寸断されたため、兵士達の多くが深刻な栄養失調に悩まされ苦しんでいた姿が見えてくる。
また本書で初めて知ったのだが、戦地では戦争栄養失調症という病気が蔓延していたという。マラリアや赤痢といった病気に罹患していないにも関わらず、極度の痩せ、食欲不振、貧血、慢性下痢などの症状を訴え、「体温正常以下、四肢蕨冷、顔面無表情で嗜眠性となり惰眠を貪り『生ける屍』のようになり」治療の成果もないまま、ロウソクが燃え尽きるように死亡するケースが相次いだという。原因は今でもよく分かっていないが、精神的な影響が大きいのではないか推測されている。陸軍では問題視され研究が行われたが、海軍では精神論的な議論が主流となり真剣に研究されなかった。
兵士達の日常や死に行く様も詳細に記されている。35万人を超える海没者達の死の断末魔。軍隊内の虐めと世界一自殺者数が多い軍隊という不名誉な現実。特攻の真実。ヒロポンなどの麻薬の乱用の実態。劣悪化する支給品。特に一回の行軍で底が抜けてしまう軍靴のために裸足で行軍する事を余儀なくされた兵士達の苦悩。そして、なぜこのような事態が発生したのかという冒頭の三番目の問いへと至る。
三番目の問いへの答えは、複数考察されているが、ここでは一つのエピソードを紹介する。日本軍、特に陸軍の仮想敵がソ連であり、開戦後も戦略の転換が進まなかったというものだ。対ソ戦用に作成された作戦要務令などの典範令が対米英戦用に改訂される事はなく、代わりに『これだけ読めば戦に勝てる』という、ベターな自己啓発書も顔負けの題名がついた、小冊子が40万人の将兵に配布されたという。中身も米英軽視論のものが多く、実際の戦闘では役に立たなかった。日本軍が本格的に対米戦の研究重視に転換したのは、なんと1943年以降だったというから驚きである。
本書を読んでつくづく感じた事は、現実に即さない戦略が、いかに末端の兵士達に負担をかけ、無駄死にさせてしまうかという現実だ。そしてその先にあるのは亡国である。亡国を経験しながら、この国は現在でもどこか現実から乖離した安全保障政策や、イデオロギーありきで行われる空虚な議論が幅を利かせている。日本軍兵士達の声に今一度耳を傾け、安全保障とは何かを考えるきっかけを与えてくれる一冊だ。