世界各地で展開される「国境なき医師団」(MSF)のプロジェクトの現場を、作家のいとうせいこうが、訪ねて、考えて、書いた、という一冊。シンプルに、活動内容や現場を知る面白さもあるのだが、久しぶりに「読んでおいてよかった」と深く思う読書となった。自分の世界が少し変わる。ぜひこれは読んでほしい。
「国境なき医師団」の広報から取材を受けた際に、なぜこんなに活動内容が知られていないのだ? と疑問に感じて、「それなら現場を見せてもらって、原稿を書いて広めたい」と、せいこうさんが自ら逆取材をその場で依頼したのが始まりだという。つまり自分で名乗り出たらしい。せいこうさん、どういうこと?
確かに、知っているようで知らないこの団体は、フランスで1971年に設立、以来、医療・人道援助を行っている民間の国際NGOだ。フランス生まれなので、名称はMEDECINS SANS FRONTIERES(英語ではDOCTORS WITHOUT BORDERS)。
「緊急性の高い医療ニーズに応えることを目的」として、「紛争や自然災害の被害者や、貧困などさまざまな理由で保健医療サービスを受けられない人びとなど、その対象は多岐にわたります」と、日本事務局(1992年に発足)のホームページにある。
1999年にはノーベル平和賞を受賞しており、2016年には3万9000人以上の海外派遣スタッフ・現地スタッフが活動、日本からは107人が派遣されているそうだ。ついでに、活動はほぼすべて民間からの寄付で成り立っている。
組織としては、日本を含む29の事務局があり(本書では2016年当時で28ヶ所とあるが、その後増えたようだ)、パリ、ブリュッセル、アムステルダム、ジュネーブ、バルセロナの5ヶ所のオペレションセンターが様々な地域でのプログラムを企画、運営している。その活動地は、71の国と地域、主にアフリカ・アジア・南米などの途上国だ。この団体が必要とされる場所となると、困難な状況が待ち構えているだろうことはいうまでもない。
せいこうさんの訪問先は、この71ヶ所のうちの4ヶ所だ。
まず、2010年のハイチ大震災で大変だったところに、2016年に襲来した大型ハリケーンに打ちのめされたまま、保健医療体制が機能していないハイチ。
中東やアフリカからの難民や移民が到着する際の、最大の拠点となっているギリシャの本土や島々。2015年には85万6000人以上とのこと。つまり、89万人の世田谷区分くらいの人数が1年で……。
スラム地区で「リプロダクティブ・ヘルス」(「性と生殖に関する健康」つまり、「妊娠や出産、避妊といった生殖、または性感染症・性暴力ケアなどにまつわること」を指す)に関わるミッションが展開されている、フィリピンのマニラ。
最後はウガンダだ。もともとエイズや結核、マラリア患者に対応していたが、周辺国からの増大する難民に対応しているという。特に、日本の自衛隊も派遣された南スーダンからの難民は、紛争の再燃で2016年の夏から翌春までに80万人強、現在では100万人に届くという(ウガンダが受け入れている数だけで、だ)。
と、紹介するだけでも過酷な状況なのだが、「かわいそう」と他人事で終始する内容ではないところに読む意義がある。それは、そこに身を置き、当事者と話をした上で丁寧に書かれているからだろう。
3種類のワクチンを注射されつつ、なんとか出発したせいこうさんは、各地で実際にスタッフに直接話を聞いていく。
医者はもちろんだが、医療を施すためには、水や電気はもちろん、薬や設備が必要だ。衛生と治安を保つための「ロジスティックス」を確保する背景の人たちもおり、ほかにも、連携する現地のスタッフも含めた大勢で、「医師団」は形成されている。
各地で、ブリーフィングで、医療現場で、移動の車中で、休息の場で、せいこうさんはたくさんの人の話に耳を傾ける。思いやりやユーモアと行動力を併せ持つ優秀な人が多い。そういう人だからこそつとまるのだろうけれど、読んでいて一緒に働きたくなるほどだった。
たとえば、マニラで13ミッション目だという、マニラオフィスのトップ、ジョーダンは、キアヌ・リーブス似の37歳。凄まじい現場を潜り抜けたこのアメリカ人は、2010年の大地震をも、活動中に経験している。そのために、一時期任務を離れた。災害などの緊急援助にあたったスタッフは必ず休ませるルールなのだそうだ。
「7人のスタッフを亡くした。そして、たくさんの患者を亡くした」。
たとえば、64歳のカール・ブロイヤーは、エンジニアとしてドイツで長年働いた後、60歳を過ぎて初めてハイチにやって来る。背の高いやせ形、控えめなこの男性がそこにいる理由はこうだ。
「そろそろ誰かの役に立つ頃だと思った」。
こういう人たちと、自分だったら何を話せるだろう? 同時に、そのスタッフのケアを受ける側の人たちの言葉をも、とにかく受け止める。たとえば、難民同士の間で起こることには、ネガティブなこともポジティブなことも両方あるのだが、人間の欲望や暴力性と同時に、果てしない可能性をもその人たちは教えてくれるのだった。
ここではとても紹介しきれないが、このそれぞれの話には、「何万人もの難民が」というニュース上の数字にはない実感がある。逆に、「毎月1500円で63人が清潔な飲料水を得られる」といった数字の意味が、ぐっと迫ってきもした。
頁ごとに、過酷な状況に圧倒され、おそらく涙をする。ただ、その状況は、読んでいる自分にはね返ってくる。それはきっと、話を聞く自分を反芻しつつ、そんな自分を上空から俯瞰するように観察する筆致があるからだ。
せいこうさんを通して触れるスタッフの「本気」を知るからかもしれない。それが表現力、なのだろう。
せいこうさんが、なぜ自主的に「行かなくては」と出かけたのか。その理由は、きっとそこにある。とんでもない状況でこそ表出する人間の凄みを感じるのだ。本気で生きる人がそこにいるのだ。
さて、それなら自分はどうだろう? 何か私もやろう、と後押しされるような感覚もある。
あとは読んでもらうしかないが、旅は、いつのまにか、読んでいる自分の旅になっている。そんなことを感じることのできる本は、そうはない。