西郷隆盛という人物の全体像は、その全体を構成する部分の一つ一つを知れば知るほど、ますます途方もなく広がり、多面性を見せ、さまざまな解釈の可能性を生み出していきます。私自身は、そうした捉えがたさを増す西郷像の中で、何をもって「西郷」とするか、その問いに答えなくてはとつねに思い続けています。
そしてその模索の中で辿り着いた一つの答えは、西郷のいくつかの漢詩、とくに次の漢詩の中にあるのではないかと考えます。第二章で引用しましたが、ここでは書き下し文のみ掲げます。
柴門に臂を曲げて逢迎を絶>ち、/夢幻の利名何ぞ争うに足りん。/貧極まるも良妻未だ醜を言わず、/時来らば牲犢応に烹に遭うべし。/願わくは山野に遁れて天意を畏れ、/飽くまで栄枯を易んじて世情を知らん。/世念已に消えて諸念息み、/烟霞泉石襟に満ちて清し。
ここに表れた自然観と、「生まれながらの土着性にもとづく農本主義」に、西郷の本質があるのではないかと、現在の私は思っています。
そして筆を擱くにあたり最後に、これは西郷論でもなければ西郷評でもない、むしろそうしたものを超えて、私の心を打って忘れられない「西郷」に関する「語り」を紹介させていただきたいと思います。
「語り手」は、少女時代に一時期を鹿児島で過ごした放浪の女流作家・林芙美子。代表作『放浪記』の第一部にある次の箇所(12月✕日)です。
肩掛もしていない、このみすぼらしい女に、番頭は目を細めて値ぶみを始めたのか、ジロジロ私の様子を見ている。下谷の寿司屋の女中さんの口に紹介をたのむと、一円の手数料を五十銭にまけてもらって公園に行った。今にも雪の降って来そうな空模様なのに、ベンチの浮浪人達は、朗かな鼾声をあげて眠っている。西郷さんの銅像も浪人戦争の遺物だ。貴方と私は同じ郷里なのですよ。鹿児島が恋しいとはお思いになりませんか。霧島山が、桜島が、城山が、熱いお茶にカルカンの甘味しい頃ですね。
貴方も私も寒そうだ。
貴方も私も貧乏だ。
昼から工場に出る。生きるは辛し。
(林芙美子『放浪記』昭和54年 新潮文庫)
私が同郷人であるひいき目もあるでしょうが、「西郷さん」をこんなにも柔らかいやさしい眼差しで見つめ、表現した例をほかに知りません。
くだけた言い方をすれば、「そうなんだね。西郷隆盛ってそういう人なんだ」と、しみじみ納得させてくれる語りではないでしょうか。
もとより西郷隆盛という人物を「全的」に理解しようというのは無謀なことであり、見果てぬ夢に過ぎないかもしれません。
しかし、新旧さまざまな西郷論に改めて接し、しかもこれまで触れる機会のなかった魅力的な「語り」もまだ多数あるだろうことを思うと、林芙美子がくれた感動もあって、まだまだこの探索の旅は終えられない、いや終えたくないと痛感しています。
旧鶴丸城二の丸の鹿児島県立図書館長室にて 平成29年10月31日