『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』「民族協和」を目指した学生たち
日中戦争当時、石原芫爾が満州事変を首謀し、満州国を建設後、彼が次に目指したのは将来国を担っていくエリートの育成である。満州国の最高学府として建設されたのが「満州建国大学」。満州国が当時国是として掲げていた「民族協和」の実践場として、日本人の定員を半分に制限し、中国、朝鮮、モンゴル、ソ連のなど様々な国から学生を募った。
本書は、著者が建国大学卒業生たちを訪れ、大学時代の様子や卒業後の人生についてインタビューしたのをまとめたものである。建国大学が傀儡国家の最高学府であったため、敗戦後多くの資料が焼却されて残っていない。また、卒業生も85歳以上で高齢である。記録を残すには今しかなかった。著者が彼らの個人史と建国大学の歴史を後世につないだ貴重な一冊である。
「5つの民族が共に手を取り合いながら、新しい国を作り上げよう」という「五族協和」のスローガンのもと、戦前戦時中には考えられなかった「言論の自由」という特権が学生に付与された。異なる生活習慣や歴史認識の違いだけだなく、違いの内面下にある感情さえも正しく理解する必要があるからだ。
本書の読みどころのひとつは、まず学生たちの矛盾した複雑な思いが手に取るように分かること。「五族協和」というスローガンを掲げながらも、大学の外に目を向けてみれば、中国人と朝鮮人をこっぴどく痛めつける日本軍がいる。朝鮮人学生や中国人学生が日本政府を激しく批判するとき、日本人学生はどのような思いで言葉を返したのであろうか。以下の抜粋は、日本人学生が、当時の心境を日記に書き記したものである。
満州の漢民族と支那本土の漢民族とを切り離して考えることはできない。満州国民もまた中国人であり、しかも祖国愛に強い連中であればあるほど、満州国人であるよりも「中国人」なのである。真にアジアのためにあり、われらが陣営に迎え入れなければならぬ人材、われらの理想のために真に同士とすべき士は、悲しくも敵側にまわっているのである。彼らの抗日排日にも多いに敬服するところあらねばならぬ。
同じ民族が二つにわかれ、それぞれ国家をたてて、いまさらあらたまって親善関係とか友邦関係とか結ぶということだけでさえ、奇異の感がし、苦痛を感ずるであろうに、まして日満合邦により漢民族たる彼らが明らかに日本国内におり、日本支那と二分し、日本という柵のなかに入れられてしまったことを知ったとき、彼らが故国に対する思慕の情はたえがたいであろう。
6年間寝起きを共にし、自由な発言が認められた毎晩「座談会」が開催され、取っ組み合いになるのもしばしばであった。民族が違えば、考え方は当然違う。みんな承知した上で、彼らはそれを誇りに思っていた。
だが、日本の敗戦でわずか8年で大学は閉鎖されてしまう。それぞれ卒業後の運命は過酷で、命を落とした人も多くいた。ソ連軍に捕らえられ、捕虜としてシベリアなどの広大な土地で過酷な強制労働を強いられたり、「捕虜」としてではなく、「兵士」として中国の国共内戦の最前線で戦わされる日本人。憲兵隊に検挙された後、国共内戦に巻き込まれ多くの同胞をなくした中国人。反政府の印を押されソ連軍に捕まり、拷問を生き抜いたロシア人。
空から爆弾が降ってくるような時代に、人の運命がどうなるかなんて、木の葉がどこに落ちるかを予想するくらい難しかったんです。今、社会に存在している確実性というものが、当時はまったく存在していなかった。
著者は質問する。「当時、本当に『五族協和』を実現できると信じていましたか。」「卒業生の人生は幸せだったのでしょうか。」懸命に勉強し、自国を飛び出して果敢に挑戦した結果、逮捕や拷問など様々な苦難を味わった卒業生たち。「人生とは何なのか。」「生きるとはどういうことなのか。」大きな歴史のうねりと個人史が交差するところが、近代史を知る上で最も大切になるのだ。
麻木久仁子のレビューはこちら
満州国についての教科書的な一冊。
国共内戦について一番勉強になった一冊。