奇僧はまだしも、快僧……? 道鏡、西行、文覚、親鸞、日蓮、一遍、尊雲(護良親王)、一休、快川、天海……お坊さんの名前が10人ずらり。共通点は、歴史の教科書で名前を見たことがあること、それから人物がとんでもなくて、おもしろいこと。この10人について、それぞれコンパクトに評伝がまとめてある。醍醐味は、読み通すと日本史が俯瞰できることだろう。
著者の今井雅晴さんは、1942年生まれ。日本史学を学び、茨城大学や筑波大学大学院の教授として、日本中世史や日本仏教史を専門にしてきた。海外の大学で教える経験も多かったようだ。現在は筑波大学名誉教授。特に、時宗の一遍や、浄土真宗の親鸞についての著作が多い。親鸞は、思うように生きられなかった京都から42歳のときに新天地、関東へ入る。この東国での活動に重点をおいた親鸞伝が近著となるそうだ。
また、この『日本の奇僧・快僧』自体は、1995年に講談社現代新書として同じタイトルで刊行されたものを、復刊させた成り立ちを持つ。版元は吉川弘文館、なんと安政4年(1857)創業の、歴史書を中心に長年続く老舗出版社からの刊行だ。1857年といえば、桜田門外の変の3年前、ペリー来航の4年後だ。
ちなみに、登場する10人の話がだらだらと並び続く本ではまったくない。ただの「お坊さん列伝」で終わっていないのは、一貫して愛すべき対象、ないしはあこがれの対象として10人を書いている姿勢あればこそだろう。
そもそも、僧侶になる目的は、時代とともに変遷がある。本来は、悟りを得て、人々を救うのが目的だ。だが、まず奈良・平安時代においては、国の安泰や中枢にいる皇族や貴族の繁栄のために祈る存在だった。国の許可制で税金は免除されていたので、勝手になる者も多かった。
平安時代も中期以降になると、今度は家族の中で跡取り以外の者が口べらしで寺に送られるようになる。相続の問題を回避するためもあったろうし、仏教の力を得るために家中に僧職の者が必要だという判断もあったろう。
中世になると、戦で負けるなどなんらかの事情で寺に逃げ込む例も増えていく。俗世間の欲望は捨てますから命だけは助けてください、というわけだ。
同時に、この頃までの僧侶は、修行を積んでおり、霊力のある強い存在だった。当然ながら学も深い。文字が読めるだけでも貴重である。また、家督を継げなかったり世間からはみ出したり、「そこ」にいられないユニークなアウトサイダーでもあった。
が、近世になって、僧侶になる理由はまったく変わってきた。この家に生まれたから、と世襲で継ぐ「職業」になったからだ。江戸時代以来の檀家制度もあり、明治以降は、妻子がいて家にいる在家仏教が当たり前となっていく。
つまり、僧侶の中身は時代によってまったく異なり、中世までは魅力にあふれた、できないことをしてくれるような、あこがれの存在だったのが、現代では必ずしもそうとはいえなくなってきたというわけだ。
10人の中から、ひとりを紹介しておこう。ご存知、とんちの一休さんだ。
歴史にはつきもので解釈次第ではあるが、一休は後小松天皇のご落胤だという説がある。一休が生まれたのは1394年。数十年におよんだ南北朝の争いがおさまったのはその2年前で、南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に三種の神器を譲ったことで、南北合一となった。
ちょうどその頃に天皇家を乗っ取ろうとしたのが足利義満だ。権力を掌握しよう、ではなく、天皇そのものになろう、としたのだから、今までとは話が違う。後継者がいなくなれば、乗っ取りは簡単だ。この合一の翌年に長男として生まれたとされる一休が、朝廷を追い出され、寺に送られたのは自然の成り行きだったのかもしれない。
後に、義満が一休を呼んで「衝立の(描かれた)虎を捕らえろ」と命じ、それに対して一休がひるまずにたすき掛けをしながら「準備ができたので、虎を衝立から追い出してください」と応じて義満を笑わせたという有名なエピソードがある。この軽妙な利発さは、警戒され逆に自らの首をしめることになったかもしれないが、一休の人気の理由でもあるだろう。
一方で、極貧の中を修行し、「風狂」な放浪の旅を経て、70代半ばにして40歳以上も年下の目の不自由な美女と契りを交わし、88歳で亡くなるまで気のおもむくままに交わって晩年を過ごしたともいうから驚く。とんちで颯爽と権威や偽善に抵抗しながら、一方で女性と交わることを隠そうともしない。批判を気にせずに自分の生き方を通したのである。庶民に好かれるに決まっている。これを著者は「快僧」と呼んでいる。
葛城山での修行で超能力を得たという、女帝孝謙天皇の寵愛を受けた道鏡。
すべてを持ちながら妻子を捨てて出家し、歌に生きた放浪の僧、西行。
友人の妻に横恋慕し、殺害して出家した後に、後白河法皇とわたりあいながら神護寺を立て直した文覚(もんがく)。
悪人正機説で知られる親鸞。
強烈な個性を持つ、『法華経』の申し子、日蓮。
踊り念仏を開始し、すべてを捨てて遊行した僧、一遍(いっぺん)。
父、後醍醐天皇の鎌倉幕府倒幕の悲願を手伝い、達成しながらも疎まれて悲劇的な最期を遂げる尊雲(護良親王)。
室町時代の一休。
武田信玄と親しく、あの「風林火山」の旗の筆をとった禅僧、快川(かいせん)。
家康、秀忠、家光の三代の将軍を支えた「黒衣の宰相」天海。
「知的なアウトサイダー」と呼ばれるこの僧侶たちを追っていくと、さりげなく順番が時系列になっていることもあり、日本史の別の側面が見えてくる。宗教を時の権力者がどう扱ったかの裏面史でもあり、同時に、そんな世界を破天荒に生き抜こうとする、はみ出し者の冒険談にもなっているのだ。
一見地味なようでいて、実り多き一冊だった。