海賊ははるか古代より存在する。様々な文化、様々な海域、様々な政治状態、そして様々な民族によって海上での略奪行為は行われてきた。海賊と一言でいっても、その背景には多くの違いがある。だが、古代から現代、洋の東西を問わず、海賊には相反する二つの見かたがある。それは本書帯にも書かれているように「自由を求めるヒーロー」としての姿と「人類共通の敵」としての姿だ。
例えば「歴史の父」と言われる古代の歴史家ヘロドトスはサモス島の支配者にして海賊王のポリュクラテスを「海上制覇企てた最初のギリシャ人」と呼びその志の高さを賞賛している。一方で古代ギリシャの哲学者キケロは海賊を人類共通の敵として弾劾している。
本書は時代や人によって常に2つの相対する側面を持つ海賊を古代から現代まで駆け足で概観できる作品である。第1章の「海賊の始まり」では古代世界、特に地中海を中心に海賊の成り立ちから、ローマ帝国との関わりを眺める。第2章「海賊の再興」ではローマ帝国の覇権により消滅した海賊が帝国の衰退により復活し、十字軍という軍事活動を通し、中世ヨーロッパ世界とイスラーム世界とでダイナミックに活動していく様を見る。
第3章「二つの帝国」では十字軍の終焉の後、オスマン帝国とレコンキスタ運動の結果生まれたスペインとを中心に海賊の世界が語られる。ここではイスラーム系の伝説的な海賊バルバロッサ兄弟やマルタ騎士団などの領地や領域を持ち、帝国の後ろ盾を得つつ活躍した海賊たちが描かれる。
第4章「黄金期の海賊」では新大陸発見とスペイン帝国との係わり合いの中で勃興したバッカニアと呼ばれるカリブの海賊たちが描かれている。私たちが海賊と言われて一番にイメージする海賊の姿だろう。新興国イギリスなどが私掠船という海賊行為を利用し大帝国スペインに挑戦する姿と、イギリス台頭後に海賊との関係がどのように変化して行くかが需要なポイントだ。ここでは黒髭ティーチや女海賊アン・ボニー、メアリ・リード、悲劇性を帯びたバーソロニュー・ロバーツなど有名な海賊の生涯も語られる。
第5章「海賊の終焉」ではカリブの海賊が下火になった後も活動を続けていた北アフリカ所領の「バルバリア海賊」が、急速に台頭するアメリカと国際協調を始めたヨーロッパに駆逐されて行くさまをみる。そして第6章「現代と海賊」では近年再び姿を現し活性化するソマリアの海賊が描かれている。
ざっと各章の見出しと概要を見ただけで、海賊と言う行為が社会のありようや国際情勢と密接に結びついていく事がわかるであろう。レビュー冒頭で述べた海賊の二面性とは、海賊を評した人物がいかなる時代に生き、いかなる立場から物事を見ていたかで変わる二面性なのだ。最もわかりやすい例が、やはり第4章であろう。
新大陸の発見により急送に富を蓄え肥大化していくスペイン帝国という権力に対抗する手段として小国イギリスが選んだのが、バッカニアと呼ばれる海賊たちを利用する事だ。バッカニアとは、新大陸にチャンスを求め渡った非スペイン系のヨーロッパ人達だ。元々はエスパニョーラ島に入植したフランス人達を指す言葉であった。
彼らは帝国の後ろ盾を持つスペイン人より不利な立場に置かれ、次第に海へ乗り出し、スペイン船を襲うようになる。ちなみに、この時代の海賊には私掠と純粋な海賊行為に分けられる。私掠とは国家から私掠状を与えられ、海賊行為に及ぶ事で、これは軍事的行為として扱われていた。しかし私掠と海賊行為との線引きは曖昧で、最も有名な私掠船の船長ドレイクはエリザベス女王から私掠状を獲ていなかったという。
バッカニアたちに私掠行為を許すことにより、イギリスは経済、軍事の競争でスペインに大きな打撃を与える事ができた。しかし、イギリスが強固な地位を築くにつれ、自分たち自身の通商が海賊たちに脅かされる事態になる。こうして、強大な権力に抵抗する自由のヒーローは人類の敵へと変貌していく。
アメリカの歴史学者ジャニス・E・トムソンによれば17世紀から18世紀にかけてイギリス、フランス、オランダなどが主権国家として独立した地位を獲得していくのに私掠という名目の海賊行為が大いに役立ったと分析している。スペインの政治経済的な覇権を阻止しヨーロッパ諸国が競合する国際秩序を作り出したのだ。
しかし、私掠の奨励は海賊行為を蔓延させ、戦後の交際秩序が形成されると、次第にイギリスにとっても都合の悪いものとなっていく。このためにイギリスを始めヨーロッパ諸国は海軍を強化する事で私掠への依存を減らしていく。これにより国家による暴力の独占が加速され主権国家体制がより強固なものとなっていくのである。
また第5章で詳しく述べられているのだが、19世紀、北アフリカ所領の「バルバリア海賊」の廃絶をめぐり行われたヨーロッパ諸国の協調が、国際社会の発展に寄与した点も重要であろう。18世までの国際秩序が覇権戦争を中心とした競合社会であるのに対し、19世紀では次第に大国の協調による「政治的均衡」に基づいた社会へと変化していったのである。もっとも協調を基礎とした国際社会は同じ国際秩序を共有するヨーロッパという内側には寛容であったのに対し、その外側の非ヨーロッパへの極端な不寛容を生んだ。「バルバリア海賊」問題への最終解決という名目でのフランスがアルジェに侵攻したのもその例の一つだろう。
海賊は常に時代を映す鏡だ。現代のソマリア海賊も国際社会のひずみから生まれているのは間違いない。パクス・ロマーナの観点から海賊を見たキケロは、海賊を人類共通の敵と呼んだ。一方で私掠船の船長ドレイクはイギリスの英雄だ。彼はスペイン人から見れば紛れもない大海賊であろう。階級社会からの脱出を試みたバッカニアは現代でもアナーキストらに支持されているが新興国から大国へと変貌した当時のイギリスでは許されざる悪人であった。
ソマリアの海賊をどのように見るか。無論、私を含め多くの人にとって、彼らは「人類共通の敵」である。しかし、見方を少し変えれば、そこには現代社会が抱える国際秩序の歪が見えてくるはずだ。国際社会の問題に少しでも興味のある人にとって、本書は多くの気づきと、歴史、社会をみる視座のひとつを提供してくれるであろう。