私事で恐縮だが、今、猛烈に椅子が欲しい。この原稿は床に座って、ベッドを背もたれにし、ローテーブルにPCを置いて書いている。短時間の作業なら何の問題もないのだが、長時間となると、体のあちこちが痛くなってくる。そんな時、座り心地のいい椅子があれば、すらすらと原稿が書けると思うのだ。欲を言えば、食事をする時にも、くつろぐ時にも使える椅子が欲しい。そんなわがままな要望に応えてくるのが、本書『この椅子が一番!』だ。
椅子に一家言を持つ人というのは意外に多い。デザイナー、インテリアコーディネーターや家具職人ともなれば、なおさらのことだろう。本書はそんな椅子に関わる専門家たち104人が、アンケート形式で椅子の特徴やエピソードを答えたものを集めた一冊だ。
掲載された250脚の椅子は、一脚一万円前後の普段使いできるものから、一脚数百万円するようなものまで様々だ。38のシーン別に、ランキング形式にまとめられており、「あなたが思う名作椅子」「あらゆる椅子の中で、座りやすい椅子」などの定番はもちろん、「デザインは素晴らしいけど、座りにくい(と思われる)椅子」「買ってはみたけれど、失敗したなと思った椅子」など、専門家の率直な意見を伺いたいものが数多く掲載されている。また、「哲学書を読む時に座る椅子」「パスタを食べる時に座りたい椅子」「落語のCDを聞く時に座る椅子」などユニークなものもあり、気軽に読むことができるだろう。
「あなたが思う名作椅子」「どこに置いても絵になる椅子」1位、「日々の暮らしの中で、ごくふつうに使いたい椅子」2位、「あらゆる椅子の中で、座りやすい椅子」3位と、見た目が美しく、実用的で、座り心地もいいのはYチェアだ。名前の通り、背もたれがY字になっている椅子で、カフェやインテリアショップなどで一度は目にしたことがあるだろう。Yチェアはデンマークを代表する家具デザイナー、ハンス J. ウェグナーのベストセラーだ。1950年の発売以来、世界累計販売脚数は70万脚を突破している。
フレームは機械加工、座面は人の手によって編まれ、工業製品でありながら工芸品のような温かみも感じられる。一脚、数十万〜数百万円するデザイナーズチェアが多い中、機械化による量産で、8万円ほどで買えるのも、人気の理由の一つだ。ウェグナーは中国明代の椅子、圏椅を元にチャイニーズチェアをつくり、後にその流れを持つYチェアをつくった。日本国内でも年間5000~6000脚売れているのは、どこか東洋的な佇まいを持ち、日本の建築との相性も良いことに要因があるのだろう。
「推理小説を読むのにぴったりの椅子」1位、「疲れた時に癒してくれる椅子」2位、「高層マンション25階の眺めのいいリビングルームに置く椅子」4位など、最多登場回数12回となったのは、アルネ・ヤコブンセンのエッグチェアだ。
建築家で家具デザイナーのヤコブンセンは、コペンハーゲンのSASロイヤルホテルを設計し、内装や調度品もデザインした。そのホテルのロビーに置かれたのがエッグチェアである。側面から見たシルエットが、卵のように見えることが名前の由来だ。
世界で初めて家具に硬質発泡ウレタンが採用され、ハイバックで包み込むような、フォルムを持つこの椅子が、円形に配置されると、内側に隔絶された空間ができる。だから、不特定多数の人が行き交う、ホテルのロビーという場所で、談笑や密談にぴったりの椅子だ。ヤコブンセンは他にも、世界初の整形合板で、背と座面が一体化したアントチェアや、アントチェアの後継品で、よりゆったりと座れるセブンチェアもデザインしている。
「授乳しやすい椅子」2位、「座ってすべてがまかなえる、不精な人のための椅子」3位、「何も考えたくない時に座る椅子」5位は近未来的なフォルムのボールチェアだ。
フィンランド出身のエーロ・アールニオは、プラスチックやファイバーグラスを使った、斬新で遊び心のある作品で知られる。作品の評価はヨーロッパよりもアメリカで先行し、薬の錠剤のような形をした、パスティルチェアがアメリカの工業デザイン賞を受賞している。
ボールチェアの本体はFRP(繊維強化プラスチック)で、内部は布張り、座り心地のいいクッションが置かれている。大学の図書館にあったのだが、一番人気で、いつも誰かが座っていた。内部は騒音が70%カットされるため、読書に没頭できる。また、回転可能であり、壁の方を向けて入り込めば、仮眠にも最適な椅子だ。
本書が面白いのは、専門家104人にアンケートを取っているため、意見が割れるケースも多いことである。Yチェアは「あらゆる椅子の中で、座りやすい椅子」3位だが、実は「デザインは素晴らしいけど、座りにくい(と思われる)椅子」4位でもある。その理由は、ぜひ本書で確認していただきたい。正反対の評価を持っていることこそが名作と言われる証拠であり、一人の専門家が、好きな椅子だけを語ったものより、よっぽど信頼できる。椅子を購入の際は、本書を熟読してから、インテリアショップを巡ってほしい。知識を十二分につけ、実際に座ってみることが大切だ。
椅子はちいさな建築と言われるように、椅子ひとつで場が発生する。人が座るために存在し、また、椅子そのものが鑑賞の対象にもなる。一口に椅子と言っても、使用場面や目的によって様々な椅子があり、本書は椅子の多様性を感じることができる一冊だ。
※画像提供: 誠文堂新光社
2017年11月23日まで、日本民藝館(東京・目黒区)で「シングルモルトウィスキーが似合う椅子」1位のウィンザーチェアを見ることができる。『ウィンザーチェア -日本人が愛した英国の椅子』
様々な名作椅子に実際に座ってみたいという方は、武蔵野美術大学に無料の公開講座がある(今年度は募集締め切り)。武蔵野美術大学は約400脚の椅子を所蔵し、国内有数のコレクションとなっている。『座って学ぶ椅子学講座̶ ムサビ近代椅子コレクション400脚̶ 』
これを読めばYチェアのことは全てわかる。人気のあまり模倣品も多いYチェアの見分け方も、一章割いて解説されている。
シリーズで1~5まで出版されている。文庫サイズだが、フルカラーで写真も多く、世界のデザイナーズチェアを一通り網羅している。