人間を人間たらしめているのは何か。古来より繰り返されてきたその問いに、豊富な実験と観察を重ねながら、とりわけユニークな回答を与えようとしている研究者がいる。本書の著者、松沢哲郎がその人である。
著者の名前については多くの人が耳にしたことがあるだろう。1977年からチンパンジーのアイらと行っている研究(アイ・プロジェクト)でも知られる、日本と世界を代表する霊長類学者だ。そんな研究者が、NHKラジオのテキストという形をとりながら、アイデアのエッセンスとこれまでの研究活動を平易な言葉でまとめたのが、本書『心の進化をさぐる──はじめての霊長類学』である。
さて、「人間を人間たらしめているもの」といっても、そもそもそれをどのように発見したらよいのだろう。そこで著者が掲げるのが、「比較認知科学」というアプローチである。
ヒトの祖先がチンパンジーの祖先と枝分かれしたのが、いまからおよそ600万年前。それ以降、ヒトは体も心も独自の進化を遂げてきた。だとしたら、ヒトとチンパンジー(あるいはほかの動物)のどこが共通で、どこが異なるかを明らかにすれば、ヒトに固有の特徴を見出すことができるのではないか。比較認知科学はそのような発想から冒頭の問いに答えを与えようとする。
そして実際、著者は比較認知科学の立場から非常にユニークな回答をいくつか提出している。そこで以下では、著者の前著『想像するちから──チンパンジーが教えてくれた人間の心』(岩波書店)をも参考にしながら、そのなかでもとくに興味深いアイデアをふたつ見てみよう。
言語と記憶のトレードオフ
2007年、著者らは新たな発見によって世界に大きな驚きを与えた。チンパンジーには人間よりすぐれた記憶能力(とくに瞬間記憶の能力)があることを、実験によって示してみせたのである。まずはその驚きの映像を観てほしい。
京都大学霊長類研究所によるYouTube動画「アイとアユム(日本語字幕版)」。課題に取り組んでいるのはアイの子どものアユム(当時5才半)である。
実験での課題は、コンピューター画面に現れる1から9までの数字を順にタッチしていくこと。ただし、1をタッチした瞬間に、2から9までの数字が白い四角によって隠されてしまう。さて、あなたならば数字の位置を瞬時に記憶し、最後の9まで順序よくタッチすることができるだろうか。
いや、十中八九そんなことは不可能だろう。だが上の動画にあるように、チンパンジーはそうした離れ業をやすやすとやってのける。実際、若いチンパンジー3頭にこの課題を与えたところ、そのいずれもが驚くべき成績を示したという。
しかしそれにしても、そうした記憶能力はなぜチンパンジーにはあり、なぜヒトにはないのだろう。そこで著者は両者の生息環境に目を向ける。樹上生活をするチンパンジーにとって、どこに果実があり、どこに敵や仲間がいるかを瞬時に把握することはきわめて重要だ。他方、地上にて集団で狩猟・採集を行うヒトにとっては、そうした能力の適応的意味は必ずしも明らかではない。むしろ、たとえば目の前のものに「シカ」というラベルを貼り付け、「シカを見たぞ」という情報を伝達・共有できることのほうが、ずっと適応的価値があったのではないか。
そのような観点から、著者は次のような進化的シナリオを紡ぎ出す。かつて、ヒトとチンパンジーの共通祖先は、いまのチンパンジーにあるような記憶能力を有していた。しかし、ヒトが独自の進化史を歩み、言語のようなほかの能力を身につけていくにつれて、瞬間記憶の能力は失われていった。なぜ失われたかというと、脳の容量には限界があり、それゆえ、認知能力の間にはトレードオフの関係があるからだ。「人間はその進化の過程で、短期的な記憶能力を失い、その代わりに想像するちからや、言葉の能力を獲得してきた」。著者はそう考え、そのアイデアを「言語と記憶のトレードオフ仮説」と呼ぶのである。
想像するちから
いま見たように、著者の考えによれば、ヒトが記憶能力と引き換えに獲得したのは、言語能力であり、「想像するちから」である。では、ヒトの本性ともいえる「想像するちから」とは、いったいいかなるものだろうか。
著者はその着想を、闘病生活をするチンパンジーから得ている。急性の脊髄炎で首から下が完全に麻痺してしまったチンパンジーのレオ。その彼が著者を驚かせたのは、そういう状態になってもまったくめげていないことであった。レオは以前と変わらず、ちょっとしたいたずら(口に含んだ水を人に吹きかける)をしては喜んでいたという。
そこから著者は、「想像するちから」こそが人間を人間たらしめているのではないかと考える。チンパンジーなどほかの動物が考えることは、えてして「今、ここ、わたし」に限られている。それに対して、人間は「今、ここ、わたし」を超えて、過去や未来、離れた場所、そして他者の視点にまで想像を広げていくことができる。だから人間は絶望もすれば、希望を抱くこともある。互いを分かち合い、思いやり、慈しむことができる。ヒトが独自の進化史のなかで身につけたのは、まさにそうした能力であるというわけだ。
というのが、「言語と記憶のトレードオフ」と「想像するちから」に関する著者の議論である。ただし、「人間とは何か」をめぐる著者の議論はそれに尽きるわけではない。本書ではほかにも、「あおむけ姿勢が導く社会的知性の発達」や「教えない教育・見習う学習」など、非常にユニークな論点が提示されている。それらについては、ぜひとも本書や前著の該当箇所を参照してほしいと思う。
本書を読んでいると、その文章から著者の実直さや心の暖かさがじかに伝わってくるようだ。チンパンジーや大型類人猿を「彼/彼女」「男性/女性」と言い表し、「1人、2人」と数えるのは、おそらく分類上の動機からだけではないだろう。そして本書は、すでに述べたように、NHKラジオのテキストだけあって、これ以上ないというくらいにやさしく書かれている。まさに「はじめての霊長類学」の名にふさわしい1冊。本書とラジオを第一歩として、霊長類学への入門を果たしてみるのもよいだろう。
今回の本と内容が多分に重なる前著。詳しい議論が知りたい方はこちらの本を手に取るのがよいかもしれない。なお、この本もとてもわかりやすく書かれている。
世界的に知られる霊長類学者で、数々の傑作を生み出しているフランス・ドゥ・ヴァールの最新作。今回の本との共通点や相違点を楽しみたい。レビューはこちら。
チンパンジーとの比較をとおしてヒトに固有の認知的・社会的能力を見出そうとしているマイケル・トマセロの本。ですます体の講義形式で、分量もコンパクトなので、比較的簡単に読めるだろう。