アフマド・ファディル・アル=ハライレー。それが本書の主人公の名前である。だが本名よりもこちらの名前のほうで世間には知られている。その名はアブー・ムサブ・アッ=ザルカウィ。イラクのアル=カーイダ(AQI)の創設者である。イラク戦争のさなか、米軍の占領政策の弱点を巧みにつき、イラク全土で武装反乱の炎を燃え広がらせたテロリストである。
本家のアル=カーイダとは違い、現実的目標としてカリフ制国家の実現を目指し、欧米列強がアラブに引いた国境線を越える帝国の実現を掲げたこの男の思考は、同組織の3代目のリーダーであるアルー・バクル・アル=バクダディによりイスラム国という形で現在に受け継がれている
本書はこの悪名高きザルカウィを軸にひとつのテロ組織がいかにして軍隊を持ち、国家としての体裁を持つまでにいたったかをジャーナリスト、ジョビー・ウォリックが丹念に取材したルポタージュである。
ちなみに本作は2016年に一般ノンフィクション部門でピュリツァー賞を受賞している。それもそのはず、中東問題という、どうしても読みにくさを感じるテーマなのだが、本作はザルカウィに関わる様々な人間たちの視点や物語をテンポ良く織り交ぜる事により、さながらハリウッド映画の群像劇でも見ているかのようなエンターテイメント性をも持ち合わせた作品になっている。
群像たる登場人物も多彩で、ザルカウィの故郷であるヨルダンのアブドゥッラ二世国王、ヨルダンの情報機関のテロ対策部門のトップ、ザルカウィの思想上の恩師、CIAの若き女性分析官、米軍特殊部隊の司令官、イラクのスンナ派部族のリーダー、米国の外交官、自爆テロ犯など、所属や階層を問わず多くの人々が、いかにして史上最悪のテロリストと関わり、その人生に大きな爪痕を残して行ったかが克明に取材されている。
ザルカウィはヨルダンの北部ザルカという工業都市で生を受ける。ちなみにザルカウィという名は「ザルカの男」というほどの意味らしい。中流家庭の出身だがヨルダンでは有力な部族に連なる家系であり、この点を見てもザルカウィは、その生い立ちに大きなハンディキャップを持っていたとは言いにくい。だが短気な性格で喧嘩に明け暮れる不良少年として育ち、高校中退後は麻薬、ぽん引き、窃盗などの軽犯罪に手を染め、転落の一途をたどる。
軽犯罪による監獄暮らしの際にイスラーム主義と出会い、犯罪に向けられていたこの男のエネルギーはイスラーム主義の一点へと絞り込まれていく。タバコも酒も女遊びもやめたザルカウィはムジャヒディンとしてアフガニスタンへと渡り、ムジャヒディン各派の内戦に参加。帰国後、一般社会に馴染むことができず、小さなイスラーム過激派組織に加わる。この組織が行ったテロ未遂事件に関わり逮捕されてしまう。
ヨルダンで結成された、いくつかのジハーディスト組織の間で師としてあがめられていた男がイスラーム法学者のアブー・ムハンマド・アル=マクディシという男で、ヨルダン最悪の監獄アル=ジャフル刑務所にザルカウィと共に収監されていた。ザルカウィはこの監獄でマクシディに見出されナンバー2というポジションにのし上がる。ナンバー2といえど、実質的に組織を統率していたのはザルカウィであった。彼を目撃したある医師は「目だけで人を操る男」という印象を受けたという。
ちなみにマクディシとザルカウィの関係は監獄生活末期には悪化。ザルカウィがイラクで悪名を轟かせてからは、実質上袂をわかっている。スンナ、シーア問わず自分の考えに組みしないイスラーム教徒をカーフィル(不信心者)と呼び、見境無く殺戮するザルカウィのやり方にマクディシは嫌気がさしたと語る。
ヨルダン国王フセインの死に伴う大恩赦でマクシディとザルカウィ一派は自由の身となる。国王の死による混乱で野獣は野に放たれたのだ。
出獄したとはいえ、無名のザルカウィを一晩でジハーディストの星に仕立て上げたのはブッシュ政権である。ザルカウィはヨルダンから逃れ、アフガニスタンでビン・ラーディンの情けにすがり数十人ほどのテロリストを率いていたが、9・11後のアフガン戦争で米軍に追われ、イラクの国境地帯で細々と活動していた。
そこに、イラク侵攻を企てたブッシュ政権が、開戦の理由としてイラクが大量破壊兵器保持していることとフセイン政権がアル=カーイダを支援しているという主張を展開する。そのどちらも誤りなのだが、開戦の口実欲しさにイラク国内に潜伏するザルカウィをイラクのアル=カーイダの重要人物として国際社会に喧伝し、ザルカウィがイラクに潜伏している事こそが、フセインがアル=カーイダと結託している証拠だというレトリックを組み立てる。ブッシュ政権はCIAに圧力をかけ、ザルカウィとフセインが繋がる証拠を見つけ出し報告するよう迫る。このようなブッシュ政権の過ちも丹念に記述されている。
ブッシュの駒として利用されたザルカウィだったが、思わぬ名声と戦争を見事に利用する。彼の組織はイラクに拠点を移した時点では数十人規模の小さなテログループであったが、イラク戦争開戦後のわずか数ヵ月後には巨大なテロネットワークを持つテロ組織へと変貌する。
ザルカウィが急激に成長できた理由のひとつには、またまた、ブッシュ政権の政策ミスがある。イラクのバアス党員を徹底的に公職から追放したのだ。フセイン政権下のイラクでは公職の管理職に就くにはバアス党に入党することが絶対条件であった。そのため軍の将校はもとより学校の校長や地方の役場の管理職や警察署長にたるまで、多くの人がこの政策により公職を追われたのだ。
技術と情報をもった男達が一夜にして公職を追われ、生活の保障も無いまま放置されたのである。結果的に行政組織は壊滅しその混乱にザルカウィは付け込んだ。また米政府関係者が優れた戦略家と感嘆したザルカウィは、シーア派住民を無差別に殺傷する事で、イラク国内で昔から燻っていた宗派間対立を煽り、イラクを内戦状態する事に成功する。
市民に対する無差別テロと誘拐した外国人を残酷な方法で殺害し動画をネットに流し恐怖によって世論をかく乱するという戦略はザルカウィが編み出した戦略だ。これは現在のイスラム国にも受け継がれている。
ザルカウィの転機になったのが、2005年11月にヨルダンで起きたアンマン自爆テロだ。これは戦略家ザルカウィの致命的なミスとなる。三件のホテルがAQIの自爆テロにより爆破され幼い子供を含め60人が死亡した。多くの宗教指導者がザルカウィを支持することを止め、怒りに燃えたアブドゥッラ二世は情報機関に対しザルカウィ一派の壊滅を指示する。ヨルダンの情報機関はアメリカの特殊部隊と協力して徹底的にテロリストと戦うことになる。そしてこの連携がやがてザルカウィを追い詰める。「これはわれわれの9・11だ」と言ったアブドゥッラ二世の言葉にその決意が見て取れる。
これほどまでに、ザルカウィとイスラム国の軌跡を丹念に綴ったノンフィクションを読んだのは初めてだ。さらに冒頭でも書いたように、様々な群像の人生をうまく配置する事により上、下巻という大著ながら読んでいて全く飽きが来ない。本書はジャーナリストを目指す若者にとっては必読書であろう。また国際問題に興味のある全ての人にオススメしたい一冊である。