何という人生の数々だろうか――。
本書を読みながら、思わず天を仰ぎたくなるように、何度もそう感じた。
著者の城戸久枝さんが「あの戦争」と呼ぶ70年前の時代の混乱の中で、祖国を自らの意志によって選ばなければならなかった6人の体験が、丁寧な聞き取りによって描かれていく。
冒頭で滔々と語られる小林栄一氏の半生を読み始めたときから、私はその「語り」の重みに一気に引き込まれた。彼は満州への開拓団に参加した両親のもとに生まれ、終戦時のソ連侵攻からの逃避行の最中に家族と生き別れたという。弟とは別々の中国人に引き取られ、7回も家をたらい回しにされる。差別的な扱いを受けて育ちながら、ほぼ独力で人生を切り拓き、日本への帰国を果たす。
あるいは、同じく開拓団の1人として大陸に渡った富満ていこさんもまた、15歳でたった1人、中国に取り残される。彼女の語る敗戦後の逃避行は、自らの子供を親が手にかける光景が繰り広げられるほどのものだった。生き延びたのは688人のうちのわずか78人。家族も途中で殺されてしまう。そして、その後の8年間にわたって彼女は中国で暮らした……。
どれほど心細く、困難な日々であったことか。
登場する人々の語り口が淡々としていればいるほど、体験の激しさがかえって重みを増す。従軍看護婦として八路軍で過ごした女性、戦争の記憶を語り継ごうとする元兵士――当事者の言葉によって再現される光景には、戦争というものが人の生をどれほど翻弄し、過酷な試練を課すかが事実を以て語らしめられている。
ただ、本書のノンフィクション作品としての迫力は、苦しみや悲しみを描いたことにあるわけではない。この作品の土台の強さは、その先に生じた人々の思いを丹念に浮かび上がらせているところにあると言えるだろう。そこに描かれる人間の生きることへの執念や、祖国に帰りたいと理屈抜きに願う思いに、多くの読者は強く胸打たれたのではないかと思う。
本書で描かれる人生の数々は、まさしく遠い異国の地で袋小路に迷い込みながら、それでも新たな道を見つけ出しては進むことの連続だ。
しかし、どれほどにつらく不条理な状況に置かれたとしても、人生の次なる道はすでに始まっていて、彼らはその道への一歩を懸命に踏み出し続けた人たちである。運命の風向きが少しでも変われば命を失っていたような日々を送り、さらに帰国後も「日本」と「中国」の間で引き裂かれ、揺れ動く思いを抱え続けていく人たちなのである。
様々な思いが胸に浮かぶ。
悲しみを悲しみのままに受け入れ、迷いながら生きていくとはどのようなことなのか。「祖国」とは何か、「故郷」とは、そして、人の幸福とは何か……。
否応なく湧いてきた一つの感情があった。それはこのような困難な生を生き抜き、自らの体験をいまこうして語り伝えようとしてくれた人たちに対して、自分は読者の1人として確かな敬意を払わなければならない、という気持ちだ。
そうした気持ちを抱かせるのは、ひとえに著者である城戸久枝さんの聞き手としての誠実さ故だろう。
本書を注意深く読んでいると、一篇一篇は決して長くはない個々の物語が、非常に長い時間をかけて密度を高められ、1つの作品に編み上げられたことが分かる。
単行本の刊行は2015年。前述の小林氏に著者が初めて会ったのは〈2010年7月のことだった〉とある。そのとき残留孤児である小林氏の言葉に触れた彼女は、3年後に再び彼のもとを訪れて話を聞き始めている。
第2章の富満さんとの出会いは2009年9月。第3章の従軍看護婦だった古藤やすこさんとは2008年に初めて会い、凄まじい逃避行を潜り抜けた第4章の松永好米さんとは2007年である。つまり、城戸さんは登場する人々の物語を書くために、それぞれ出会いから5年以上の時間をかけているわけだ。
第1章の小林氏と長女の次のようなやり取りがある。
「昔の苦労に比べたら、今はましだよ……7回も売られたんだよ……」
彼は続けて何かを話そうとして、やめた。
「お父さん、昔のこと、もっと話したいんじゃない?」
父親の気持ちを察した長女が声をかけると、栄一さんは首を横に振る。
「2、3日じゃ、終わらないよ。あのときは本当に、苦しんで、苦しんでいたから……」
また、富満ていこさんも言う。
「(自分の気持ちは)他者が理解できない。同じようなことを経験した人じゃないと、わからないですよね。やっぱり」
戦争についての話を聞いていると、こうした言葉が何度も投げかけられる。城戸さんはその度に、立ち止まって考えたはずだ。〈それでも彼女が私に話してくれる意味は何なのだろうか〉と。
読んでいると、「戦争を知らない最初の世代」のもう一つ下の世代に当たる私たちにとって、こうした「時間」は戦争体験者から話を聞く際にとても大切なものだ、とあらためて気づかされる。自分は果たして彼ら・彼女たちの話を、思いを、理解できているのか。その物語に共感し、寄り添う資格があるのだろうか――。70年以上前の戦争の話を聞くということは、「戦争を知らない世代」である書き手にとって、ときおり投げかけられるこの種の問いを、いかにして受け止めるかを考え続ける作業でもあるのだ、と。
おそらくは少しずつ語られた「祖国」をめぐる物語を、城戸さんはゆっくりと時間をかけて自身の裡で熟成したのだろう。当時の戦争を「あの戦争」と呼び続ける彼女は、自らと「戦争」との距離に対して常に自覚的だ。彼女の作品に対して私が信頼を置くのは、その距離の遠さを意識しながら、それでも相手の傍に寄り添いたいと願い、戦争体験の伝え手であろうとする真摯な姿勢が確かに伝わってくるからなのである。
さて、私は単行本の刊行時に本書を読んだ。今回、再び文庫版の解説を書くために読了して思うのは、城戸久枝さんがこの作品によって、ノンフィクション作家としての自身の方向性、テーマをより明確なものにしたということだ。
彼女は2008年、『あの戦争から遠く離れて』で大宅壮一ノンフィクション賞と講談社ノンフィクション賞を受賞するなど、鮮烈なデビューを飾った人だ。
同作品は本書の第六章の主人公である父親・城戸幹氏の半生を追ったもので、3歳と9カ月で満州に取り残された父親の劇的な運命を知る過程を通して、戦争を知らない世代が戦争を知ることの意味を問うた。本書『祖国の選択』に登場する人々の幾人かも、『あの戦争から遠く離れて』に引き付けられるように、城戸さんの前に現れた人たちであった。
2017年2月、城戸さんはこの次の作品として、『黒島の女たち』というノンフィクションを上梓している。
同書の舞台となる黒島は、薩摩半島から南へ50キロほど離れた孤島である。終戦間近の昭和20年の春、島には知覧や鹿屋などから沖縄に向かった特攻隊員が不時着し、島民は大けがを負った彼らを介抱した。城戸さんは同書で、戦後も交流を続けた島民と特攻隊員たちの物語が、どのように語り継がれてきたかを描いている。
彼女が黒島の物語を描く上で注目したのは、「黒島を忘れない」という名のドキュメンタリーを撮影した映画監督の故・小林広司氏だった。癌と闘いながら最期まで島に通い続けた彼の遺志は妻に引き継がれ、一冊の本が書き上げられる。二人がそれぞれの思いを抱えながら、島の記憶の伝え手となっていく姿を城戸さんは描いたのである。
私は「読売新聞」の書評でこの本について次のように書いた。
わずかな人々の志によって、物語がかろうじて伝えられる。そのことから著者が浮かび上がらせたものとは何か。それは戦争の記憶を伝え続けることの難しさであると同時に、戦争の記憶とはこのようにも伝え得るのだ、という希望であったに違いない。
2007年に父の物語を描いてデビューした城戸さんは、本書『祖国の選択』を経て、「戦争を知らない世代が戦争を語り継ぐこと」というテーマを明確にしていったかに見える。
その意味で彼女が長男を伴って父親の暮らした村を訪れた際、いつか父の物語を息子に伝える時がくるのだろうか、という気持ちを吐露するシーンは印象的だ。なぜならそのさり気ないシーンには、多くの葛藤に引き裂かれながらも父親が必死に「祖国」へ帰ろうと願ったからこそ、この世界に自分たちは生を受けたのだ、という切実な思いが滲むからである。そして、それは彼女が戦争の記憶を受け継ぎ、伝えようとしてきた大きな理由でもあるのだろう。
戦後70年以上が経ち、戦争体験者から実際に話を聞く機会が、次第になくなっていく時代を私たちは生きている。そんななか、城戸久枝さんという作家がどのような視点や手法によって、「あの戦争」の物語を紡ぎ続けていくのか。そのことに今後も注目したい。
(2017年5月、ノンフィクションライター)