グローバリゼーションにブレーキがかかり始めた。欧州での右派政党台頭、トランプの保護主義的政策だけでなく、これまで移民を優遇してきたシンガポールやオーストラリアなどでも就労ビザの厳格化が進み、国境を隔てる壁は日々高くなっている。世界は、グローバリゼーションの何を恐れているのか。絶望的なほどの格差を生み出した真犯人は、グローバリゼーションなのか。グローバリゼーションの流れをとめることで、誰が幸せになり、誰が不幸になるのか。
意外に思われるかもしれないが、1988年から2008年におけるグローバリゼーション最大の「勝ち組」は中間層だった。ここでいう中間層とは文字通り、世界の所得分布で50パーセンタイルに位置する人々のことを指す。20年で実質所得を大きく伸ばしたこの中間層の多くは中国、インドやタイなどに暮らすアジアの新興経済圏の人たちであり、日本のような先進国に暮らす人のほとんどは当てはまらない。グローバリゼーションから最も多くの恩恵を受けたこの層の勃興は、産業革命以降続いていたグローバルな不平等の拡大に歯止めをかけた。
グローバリゼーションでの負け組は、世界の所得分布で75 – 90パーセンタイルに位置する、OECD加盟諸国における中間・下位中間層である。この人たちがグローバリゼーションから得た利益はほぼゼロ。実質所得は全く成長していない。一方、世界の最上位1%はグローバリゼーションの波に乗り順調にその実質所得を伸ばしていた。最上位層の実質所得は、伸び率でこそ新興経済圏の中間層に劣るものの、伸びの絶対額は圧倒的に大きい。
つまり先進国の中間層は、自国の富裕層がさらに富を貯めこみ、自分たちよりずっと貧しいと考えていた国の人々が猛烈な勢いで豊かになっていく様子を、指をくわえて見ているしかなかったのである。この傾向の更なる深化を恐れた人々がグローバリゼーションを忌避し、自国内に閉じこもろうとしているのだろうか。著者は、所得階層ごとの成長率の違いを明快に描写するエレファントカーブとも呼ばれるグラフを皮切りに、グローバルな不平等の実相を明らかにしていく。
グローバルな所得不平等についての長年にわたる研究に基づく本書は、グローバリゼーションがどのように進行し、世界に何をもたらし、格差にどのような影響を与えたのかを豊富なデータで示している。著者は、「グローバルな不平等を読み解くことは、世界の経済史を読み解くことに外ならない」と説く。この本を読むことは、世界経済の変遷をこれまでとは異なる視点から眺める新たな体験となるはずだ。『21世紀の資本』で世界の不平等議論を席巻したトマ・ピケティも「各国間と各国内の不平等を、これ以上ないほど明確に語ってくれる」と本書を評している。ピケティとは違い、資本ではなく所得にそのフォーカスを当てていることも、本書の特徴の一つである。
国内問題としてではなく、グローバルな課題として不平等を取り扱うことは、比較的新しいテーマであるという。つい最近まで、世界の全個人の所得水準を明らかにするようなデータがどこにもなかったためだ。この10年で、多くの国の家計調査データが研究者の手に届き始めた。著者は、この本で語られる結論がどのように入手された、どのような特徴を持つデータに基づくものかまでをも丁寧に解説しているので、この分野になじみのない読者でも、十分にその議論を追うことができる。著者は、歴史という時間軸と地理という空間軸を目いっぱいに広げてデータを駆使することで、不平等の真実に迫っていく。
データの海に溺れることなく分析を進めるために著者が用いるロジックは、クズネッツ仮説に対する不満から生み出された。クズネッツ仮説では「不平等は所得水準が非常に低いときには小さく、経済発展とともに拡大して、最後には所得水準の高いところで再び縮小すると」している。豊かな国々での再びの格差拡大によってクズネッツ仮説の欠点は明らかになったにも関わらずこの仮説が使われ続けてきたのは、最近の格差拡大を説明するよい代替理論がなかったためだと著者はいう。そこで、著者はクズネッツ仮説を拡張した、クズネッツ波形によって格差の拡大・縮小を理解しようと試みる。
クズネッツ波形では、格差の拡大と縮小は一度きりの現象ではなく、繰り返し発生するサイクルであると考える。多くの時代、多くの国のデータから、確かに格差の拡大・縮小のサイクルが確認できる。ここで注目すべきは、どのような力が格差を拡大・縮小させているのかという点だ。本書では、疫病や戦争のような悪性の力から無償教育や医療などの良性の力まで多岐にわたる要素が、格差に影響を与えていることが明らかにされていく。過去の格差サイクルとその要因を知れば、これからの格差の行く末をよりよく見通すことができるはずだ。
個人の所得を起点に考えれば、国内の不平等よりも、国家間の不平等のほうがはるかに大きい。これは、ある国の中でどのような階層に生まれるかより、どの国に生まれるかのほうが個人の所得への影響が大きいことを意味する。成長から取り残され自国内の富裕層に怒りの矛先を向ける先進国の中間層は、貧しい国々の人々がどれほど努力しても手に入れることのできない「市民権プレミアム」を持っているのだ。このプレミアムを追い求める移民は、グローバリゼーションとはきっても切れない存在である。著者は、国家がどのように移民を扱うべきかについても議論している。そこには、市民権を有・無の二値でとらえるのではなく、市民権を段階的に開放しようという提案も含まれる。
グローバルな格差の問題は実に複雑で、一度に全てを解決することなどできない。先ずは、やっとその実態が明らかになり始めた格差の正体を知ることから始めるしかない。本書は、国家とは何か、平等とは何かをファクトベースで考えるよい起点となるはずだ。
『大不平等』の著者も、「経済学の関心は、代表的個人と平均のほぼ一点張りから、不均一性へと移りつつある」という。この本では、わたしたちがどれほど平均思考に縛られているか、また平均思考がデメリットをもたらしているか、そしてどのようにして平均思考から抜け出すかが語らている。レビューはこちら。
先進国アメリカで成長から取り残されてしまった、ラスト・ベルトに生きる人々の姿が、実に生々しく描き出される。トランプ現象を支えてとも呼ばれるヒルビリーたちの知られざる日常が描き出される。レビューはこちら。
多くのデータを取り扱うときに用いられる統計学にはどのような罠が潜んでいるのか。統計的に有意であるとはどういう意味か、p値は本当は何なのか、科学者でも誤解してしまう統計学の落とし穴を丁寧に教えてくれる。レビューはこちら。