2013年1月、アルジェリア東部の天然ガス精製プラントで、日本人を含む大勢の外国人がイスラム過激派に拘束される事件が起きた。アルジェリア軍と過激派の交戦により結果的に少なくとも37人の外国人が死亡し、内10人はプラント大手「日揮」社員などの日本人だった。このニュースが駆けめぐったときの衝撃は、今も記憶に新しい。
では、このとき犯行グループが何を要求していたかを知っているだろうか。そのひとつは、隣国のマリで進行中のフランスによる軍事介入を停止することだった。なぜマリ? そう首をひねる人もいるかもしれない。だがアルジェリアの事件の首謀者は、その軍事介入と浅からぬ因縁があった。そして軍事介入の背景には、1年近くにわたったアルカイダによるマリ北部の支配があり、その陰には危機を受けて敢然と立ち上がったひとりの男がいた。この知られざるドラマの一部始終を、初めて克明に記録したのが本書である。
男の名はアブデル・カデル・ハイダラ。マリ共和国北部の町トンブクトゥに生まれ育った。トンブクトゥはサハラ砂漠の南縁に位置し、町全体が世界文化遺産に登録されている。12世紀初頭に交通の要衝として開け、15世紀末から16世紀にかけては黄金時代を迎えて栄華を極めた。とくに学問の都としての名声は世に鳴り響き、自由で開放的な文化が息づくことでも知られた。
町には古今東西の優れた書物が次々にもたらされ、多数の美しい写本がつくられたほか、著名な学者たちによる独自の書籍も数多く出版された。しかしそうした書物は、町がその後様々な国に支配されるにつれて地下へと潜ることになる。代々個人の手で密かに何世紀も守り継がれたものもあれば、略奪や破壊の憂き目をみたものもある。隠され、埋められ、その過程で所在不明になったものもある。このトンブクトゥの古文書にふたたび光を当て、失われた伝統を甦らせるべく生涯を捧げているのが、本書の主人公ハイダラだ。
ハイダラは散逸した古文書の発掘と保護に涙ぐましいまでの努力を傾け、古文書図書館の設立にも尽力する。そうした活動の甲斐あって、トンブクトゥはアラビア語の古文書保存の世界的な中心地のひとつとして復興をとげていき、町全体で約38万冊の古文書が収蔵されるまでになった。しかしそのころ、町の北に広がるサハラ砂漠に不穏な気配が忍び寄る。イスラム過激派の進出だ。最終的にトンブクトゥは過激派の手に落ち、市民は厳しい統制下におかれる。テロリストたちは町の図書館に侵入して、古文書を燃やした。ところが消失したのはごく一部で、ほとんどは無事だったことがのちにわかる。危険を察知したハイダラが、命を賭して一大作戦に打って出ていたのだ。
ハイダラが考えたのは、比較的安全な南部の首都バマコにすべての古文書を秘密裏に避難させること。だがトンブクトゥではテロリストの目が光り、抑圧と破壊の嵐が吹き荒れている。数十万冊の古文書を1000キロ近く離れたバマコまで、いったいどうやって?
それはまさに薄氷を踏むような危機と困難の連続だった。本書ではハイダラの作戦が息詰まる筆致で綴られるのはもちろんのこと、武装勢力による支配の詳細やフランスによる軍事介入の顛末も克明に描かれる。また、独立を夢見る遊牧民トゥアレグ族のかかわりやマリの歴史、不寛容なイスラム vs .寛容なイスラムの対立の図式、過激派がマリ北部を制圧するにいたる経緯や米仏の役割と思惑なども語られ、このドラマとその背景を深く多面的に理解できるようになっている。
著者のジョシュア・ハマーは、アメリカの非営利ラジオ放送局NPRのインタビュー(2016年4月23日)に答えて次のように語っている。「私たちは、一部の暴力的なイスラム教徒の行動を見てイスラム全体に反感を抱きがちだが、イスラムのなかには、知性や多様性や世俗的な思想を肯定し、詩や愛や人間の美しさを賛美する宗派もたくさんある。本書を通じてそれを知ってほしい」。著者はさらに、過激派の支配下で恐怖の日々を送っているのはこうした側の人々であるとも指摘している。
確かに本書を読んでまず驚くのは、私たちの固定観念を覆すような寛容なイスラム社会の姿だ。 そして、それが不寛容なイスラム勢力に支配されると、どのようなことが起きるかもよくわかる。 日本からみるとマリもイスラムも、私たちの日常と接点の薄い遠い世界でしかない。しかし、もし日本の歴史的な建造物や貴重な古資料が、いきなり乗りこんできた武装勢力に破壊されたら、あるいは破壊されそうになったら、私たちはどうするだろうか。おまけに理不尽としか思えない規則を押しつけられて、それに従うことを強制されたら。そうやって置き換えて考えてみると、ハイダラや仲間たちの勇敢さと情熱にあらためて感嘆させられると同時に、今も異国の地で続いているイスラム過激派の蛮行ももう少し身に迫って感じられるのではないか。この本は、そうしたニュースの裏側を想像し、イスラムへの理解を多少なりとも深めるための、手がかりをくれる一冊ともいえるだろう。
ここで本書の後日談を記しておきたい。まず元過激派メンバーのアフマド・ファキ・マフディ が、トンブクトゥの聖廟やモスクを破壊した罪で国際刑事裁判所(ICC)に訴追された件だが、裁判の結果、2016年9月に9年の禁固刑がいい渡された。マフディは自らの罪を認め、マリ国民に対して謝罪と反省の言葉を述べたとAFP通信は伝えている。宗教建築や歴史的建造物への攻撃の刑事責任をICCが追及するのはこれが初めてだ。ICCは犯人を実際に処罰することで、将来の同種の犯罪の抑止につなげたい考えである。
もうひとつ、ハイダラがバマコに運んだ古文書はその後どうなったのか。著者がBBCのインタビュー(2016年5月10日 )で語ったところによれば、様々な財団の資金援助により2016年にはバマコに大きな古文書図書館が完成し、市内に分散していたトンブクトゥの古文書がそこに集められて修復やデジタル化が進められているという。
だが、本あとがき執筆時点で日本外務省の海外安全情報は、最南部を除くマリのほぼ全土を最も危険な「レベル4退避勧告」としており、「マリ北部等では、依然としてマリ政府の統治が及んでおらず、イスラム過激派武装勢力等によるテロ、誘拐事件が続発していることから、不測の事態に巻き込まれるといった脅威度が高い」と注意を呼びかけている。ハイダラが古文書とともに安心してトンブクトゥに戻れる日は、まだしばらくきそうにない。
最後に余談をふたつ。本書に何度も登場する「砂漠のフェスティバル」は、ユーチューブに多数の動画がアップされている。コンサートにラクダで乗りつける人々の姿や、ラクダの背に取りつけられたカラフルな「鞍」。会場の周囲にどこまでも広がる白い砂と、西洋風とは大きく異なる独特の音楽。日本人からするとまったく異質なその世界に訳者は引きこまれ、作業の手を止め て何度も見入ってしまったものだ。興味ある読者は “Festival in the Desert” またはフランス語の “Festival au Désert” で検索してみてほしい。
また、本書に関連する映画が二本あり、どちらも2015年12月の「イスラム映画祭2015」( 東京で開催 )で上映されている。ひとつはドキュメンタリーの『トンブクトゥのウッドストック( Woodstock in Timbuktu)』(2013年、ドイツ)。「砂漠のフェスティバル」の模様を伝えながら、マリのトゥアレグが抱える様々な問題を浮き彫りにする内容となっている。もうひとつは『禁じられた歌声(Timbuktu)』(2014年、フランス・モーリタニア、2015年アカデミー賞外国語映画賞にノミネート)。これはまさしく占領下におけるトンブクトゥの町をテーマにした作品で、本書の13章に登場する事件のひとつを下敷きに、テロリストによる過酷な刑罰や抑圧の様子を描いている。いずれも英語字幕版ならDVDが入手できるので、興味ある読者には視聴をおすすめする。
2017年5月 梶山 あゆみ