幼い頃、母親からTシャツは下着であると教えられた。当時、下着は断然、白のランニング派だったので、Tシャツには見向きもしなかった。だから学生時代にアメカジブームに遭遇した時は面食らった。白いTシャツを着た男たちが街にあふれたからである。
そんなTシャツがいまや欠かせないファッションアイテムである。ならばさわやかに着こなしてやろうと意気込んでも、時すでに遅し。ぶくぶくと太った体型にあわせても、寺内貫太郎にしか見えない。気がつけば、白いTシャツは、手の届かない憧れのアイテムになってしまっていた。
『捨てられないTシャツ』は、有名無名を問わず70人のTシャツにまつわるエピソードをまとめた一冊だ。これがむちゃくちゃ面白い。
編者は都築響一。雑誌メディアにオシャレなインテリア写真があふれる時代に、あえて生活感あふれる部屋の写真ばかりを集めた『TOKYO STYLE』を発表するなど、独自の視点で刺激的な発信を行ってきた人物だ。珍スポット、ディープなスナック、地方発のヒップホップ、独居老人などなど、都築は都会のメディアが見向きもしないところばかりに目をつける。そしてそこには必ず鉱脈が眠っているのだ。
とはいえ、この「Tシャツ」には意表をつかれた。しかも「捨てられない」しばりときた。本書は、都築が発行する有料メールマガジンの連載がもとになっている。
Tシャツというのは面白いもので、びっくりするような値段のブランドものがあるかと思えば、格安のもある。デザインもアート系からネタに走ったものまでさまざまだ。本書に出てくるTシャツも、「ドーバーストリートマーケット」のもの(しかもロンドンの)から、観光地の土産物(「白川郷」とプリント)まで実に多種多様である。ふつうのファッションには、値段や素材など、誰がみても「あれはいいものだよね」と納得できる基準があるが、Tシャツの場合はそれがない。
「妙なTシャツを着ている人がいると、気になってしかたがない」という都築は、ある頃から、ありかなしか判断に迷うTシャツには、「着用する本人の確固たる意志や、根拠のない自信や、なによりも個人的な記憶が染みついていることが多々あるのに気がついた」という。
そこからこの「捨てられないTシャツ」コレクションがスタートしたわけだが、これだけでも着眼点としてはじゅうぶんに面白いのに、都築はさらにその先を行く。文章をTシャツの持ち主に書いてもらったほうが面白いかも、と思いつくのだ。
本書におさめられたエピソードのうち、半分以上が持ち主自身によるものだという。なかにはプロの小説家もいるが(読むと誰だかわかる)、ほとんどは名もない一般人である。だから文章をワードで書いてメールに添付して送ってくる人などは少数派で、メール本文にそのまま書いてあったり、FacebookやTwitterのダイレクトメッセージにざーっと書き連ねたりする人が少なくなかったという。
それはつまり、スマホで書いているということなのだが、都築はそうやって送られてきた「シロウトのテキスト」が、「ほとんど直すところのない完璧な文章ばかりだった」ということにショックを受ける。「文章のプロではないひとたちが、スマホで打ちこんで、これだけ読みごたえのある文章を書ける時代」になっていることを発見し驚くのである。
それはおそらくこういう文章のことを指しているのだろう。
中2で夜遊びを覚える。高校時代はバンドブームど真ん中だったため、迷わずバンギャの道へ。そしてそのまま売り子となる。わらしべ長者のように様々な繋がりが生まれ、演劇映画現代美術の裏方に。DJだったりもした。その後、とあるお偉いさんの理不尽さに啖呵を切り、裏方仕事を干される。サブカル系本屋店員・雑貨屋店員・こども電話相談室の中の人を経て、新宿御苑近くの小さなバーの2代目ママとなって、現在4年目。
明示されてはいないが、このリズムはスマホで書いたものだと思う。それにしてもすごく面白い。この冒頭を読んだだけで、この人物に興味がわく。
ちなみに本書では名前は伏せてあって、「◎42歳女性 ◎バー経営 ◎神奈川県出身」とだけ紹介されているこの人物の捨てられないTシャツは、「ジョーイ・ラモーン」だ。彼女はなぜこのTシャツを捨てられないのか。
このあと、彼女のラモーンズのライブでのエピソードが綴られているのだが、そこで発生した信じられないトラブルと、その後の奇跡のような展開には、読んでいて驚愕し、大笑いし、感動させられた。こんな経験と結びついたTシャツなら、たしかに捨てられるわけがない。
連載を続けるうちに都築は、「これはもしかしたら、Tシャツという触媒から生まれた『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』かもかもしれない」と思うようになったという。
『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』とは、現代アメリカを代表する小説家、ポール・オースターが、全米公共ラジオ(NPR)ではじめた番組をまとめた本だ。局がオースターに自分自身の物語を語る番組を依頼したところ、当初オースターは断るつもりだったが、「リスナーに物語を送ってもらってあなたが読んだらいいのよ」という妻シリの助言で翻意し、番組を引き受けることにした。
オースターが呼びかけたところ、1年間に4千通を超える投稿が全米から寄せられたという。内容やスタイルに制限はない。大切なのは事実であること。そして短いこと。オースターが求めたのは、「世界とはこういうものだという私たちの予想を覆してくれる物語」だった。その結果、たくさんの「作り話のような実話」が集まったのである。
「だれかがこの本を最初から最後まで読んで、一度も涙を流さず、一度も声を上げて笑わないという事態は、私には想像しがたい」とオースターは書く。そこにあるのは、「文学とは違う何か」、「もっと生な、もっと骨に近いところにある何か」で、「個人個人の体験の最前線から送られてきた報告」である。『捨てられないTシャツ』におさめられているのも、まさにそういう物語ばかりだ。
最後に本書でもっともしびれたエピソードの冒頭だけ紹介しておこう。「◎48歳女性 ◎求職中 ◎東京都出身」のエピソードである。彼女の捨てられないTシャツは、「ア・ベイシング・エイプ」。
東京都港区表参道で生まれ育つ。生まれてすぐ父母が離婚、母に引き取られて母子家庭の一人っ子だったが中学2年で母が再婚し、2番目のお父さんができた。
小学校のときには一時期、考古学者になりたかった。テレビ番組に國學院大學の考古学の先生がときおり出ていたのだが、当時母が付き合っていた年下恋人が國學院の卒業生で、小学校の先生をしていたので、國學院つながりで憧れていたのだと思う。その母の恋人が、実は私の初体験の相手だった。11歳、小学5年生のとき。
このあと凡百の小説がはるかに及ばない波乱の半生が綴られる。世界は、ぼくたちが想像している以上に、物語であふれている。