人をどのように評価するかは難しい。人間とは常に多面的かつ多層的な存在だからだ。しかし、私たちが他者を評価する際には、常に人の一面にスポットを当てることで単純な評価を行おうとする。他者にレッテルを貼る事により、一方的でわかりやすい物語を形成するのだ。このような物語を組み立てる事により、人は他者を理解した気になる事ができる。
だが、それで本当に人間と言うものを正しく理解できたと言えるのだろうか。特に本書の主人公のように極端な側面をいくつも持つ男を一面的に見てしまえば、単なる勧善懲悪の物語に成り下がってしまう。それは人を、そして人が織り成す歴史を正しく理解する事には繋がらないのではないか。
本書はマリー・アントワネットの髪結いを勤めていた男レオナール・アレクシス・オーティエという一庶民の伝記である。ルイ16世の時代に女性の間で流行した塔のように高くそびえるプーフという髪型を生み出した男だ。公爵のような鷹揚さと虚栄心、溢れんばかりの美的センス、権力者に巧みに取り入る賢しさと企業家精神溢れる行動を併せ持ち一庶民ながら巨万の富を築くことになる。この男もまた複雑で多層的な男なのである。
1769年の夏、20代前半のレオナールは無一文に近い状態でパリに到着する。両手いっぱいに虚栄心を抱えた男は、南フランスを回りながら髪結いの技術を磨き、ボルドーで髪結いとして生計を立てていた。レオナールはパリで髪結いの見習いを勤めていたフレモンという男と親交があり、彼を頼り上京する。いくつかの出版物などで首都の髪結いの技術がそれほどでもないという確信を抱いていた。当初はフレモンの師匠でパリでも名を馳せたルグロの下で働くつもりだったが、技量に似合わぬ尊大な態度に納得がいかなかったレオナールは自由契約という形でパリの髪結いデビューを果たす。このときフレモンに「三年以内に世界一の髪結いになる」と宣言したという。
当時のパリでは劇団が旺盛を極め、三百フラン以上を稼ぐ「小さなかわいい妖精(ニンフ)」と呼ばれる女優達が大勢いた。その中でもニコレ座はルイ15世の御前で演ずる栄誉に浴していた。フレモンはニコレ座の女優ジュリーをレオナールに紹介する。ジュリーは劇団では人気女優というほどではなかったが、レオナールがひとたび彼女の髪を結い始めると、その奇抜で芸術的な髪型が評判を呼び、たちまちのうちに人気女優へと駆け上がる。自称ハンサムなレオナールとジュリーはすぐに恋仲となる。
髪結いとしてのレオナールの評判はすぐにパリ中に知れわたり、ついにはアンブリモン伯爵夫人という貴族の館に招待される。ここで王のお気に入りの一人、ショワルズ公爵にいたく気に入られる。良いパトロンが見つかったと喜ぶジュリーだが、レオナールはショワルズが王の新しい愛人デュ・バリー夫人から嫌われており、王の側近から追放される可能性が高い事を見抜き、距離を置く。彼はその半生で何度も巧みに権力の風向きを読み、成功を掴んでいくのだが、これが最初の例となる。
彼の名声はパリ中に轟き、女優達からの注文が殺到する。しかし、レオナールは満足できなかった。真の富と栄光は宮廷にある。階級制度が確固として存在する世界においては、これは間違いのない事実だろう。しかし、すぐにチャンスは訪れる。
ランジャック公爵夫人がレオナールの評判を聞きつけ髪結いの依頼をしたのだ。この小柄でかわいらしい公爵夫人はすぐにレオナールを気にいり二人は恋仲となる。これを端緒にレオナールは貴族社会に分け入っていく。その後はデュ・バリュー夫人の専属となり、さらに王太子妃マリー・アントワネットの髪結いになる。特に高齢のルイ15世の愛人デュ・バリュー夫人からマリー・アントワネットの髪結いへと移行できたのは幸いだった。デュ・バリュー夫人は庶民出身のために王の愛妾という微妙な立場で宮廷に君臨していた。王の亡き後は追放の憂き目にあう事は誰の目にも明らかであった。
ここまで書くと地位のある女性の情夫になることで成り上がった、ジゴロにしか見えないレオナールだが、企業家としての一面も見ることができる。当時まだ国民に人気のあったマリー・アントワネットに流行を追うのではなく、自身が流行の発信者となるように助言し、旧友のフレモンと共に髪結いの学校を設立する。親族を含め、多くの弟子を育てる。そしてマリー・アントワネットの髪型を再現したがっているパリの貴婦人方に育てた髪結いたちを派遣する。レオナール一派とでも呼べるような髪結い集団を育てていたことになる。また、マリー・アントワネットが新作の髪型で大衆の前に出るときには、賞賛の声を放つ人々を仕込むなどして、評判をあげるように勤めている。髪結いとしての第一線をひいた後には劇場の経営者として活躍するなど多才な男であったようだ。
だが時代は彼に名声に浴するだけの生涯を与えなかった。彼の運命を大きく変える革命が起きたのだ。どこか山師臭さがあるレオナールだが、ここでまた意外な一面を見せる。革命発生前後から多くの人々がルイ16世とマリー・アントワネットを見捨て保身に走る中、彼は最後まで国王夫妻に忠誠を尽くし、危険を顧みず様々な面で活躍するようになる。この時、ルイ16世からは王権を取り戻した暁には貴族にしてやると示唆されていたという。
レオナールを勇敢な王党派にしたのは、その際限のない向上心だったのか、それともパトロンを失う恐怖か、王家に近い存在のために逃げる事ができなかったからなのか、あるいはマリー・アントワネットとの間に育んだ、掛け値なしの友情からか。今となっては彼の本心はわからない。おそらくこれらの思い全てのためだったのだろう。
革命で財産と多くの友人を失ったレオナールに栄光が訪れる事は二度と無かった。パトロンであり、友人でもあったルイ16世とマリー・アントワネット夫妻はギロチンの露となり、王党派として共に活動したディ・バリュー夫人も処刑された。マリー・アントワネットの息子も幽閉先で看守達に虐待された挙句に獄死している。しかも多額の金を王弟や貴族たちに貸していたが王政復古後、貸した金が返済されることはなかった。
宮廷を巧みに遊泳していたことでもわかるが、レオナールという男は都合の悪い部分は隠し、自身の功績を大きく吹聴して歩くことが得意なタイプの男であった。著者もこの男が残したメモや日記に書かれていることを全て鵜呑みするのは危険だと語っている。そのために、レオナールの主張と他人の主張が食い違う場面では、いくつかの説が記されている。革命のどさくさに紛れて王妃のダイヤを盗んだともいわれている。ただ著者はこの点には懐疑的だ。結局この男が何者であったのか著者も最後まで結論が出せなかった。つまりレオナールがいかなる人物であったのかは読者一人ひとりが結論を下す事になる。