ひとつの「謎」から話を始めよう。1970年代まで、アメリカにおける自閉症の推定有病率は数千人に1人であった。ところが、1980年代以降にその数は急増し、2010年のアメリカではおよそ68人に1人が自閉症(正確には自閉症スペクトラム障害)だと推計されている。この40年でその数は数十倍に膨らんでいるが、では、その「増加」はいったい何を意味するのだろうか。
じつはその「増加」は、自閉症研究の歴史と、社会の認識の変遷を如実に物語るものである。本書は、研究の世界と社会一般において、自閉症がこれまでどのように扱われてきたのかを、丹念な取材と調査で明らかにし、ストーリー仕立てでわかりやすく紹介したドキュメンタリーである。
アスペルガーの先見とカナーの功罪
自閉症の研究は、1930年代から40年代にかけて、ふたりの人物の登場とともに始まった。その人物とは、オーストリアの小児科医ハンス・アスペルガーと、アメリカで活躍した精神科医レオ・カナーである。
アスペルガーは自閉症の諸特性をいち早く正確に見抜いた人であった。とりわけ、「自閉症といってもその症状には幅があること」、そしてそれゆえに、「自閉症はけっして稀な疾患ではないこと」を正しく見て取ったのは、まさに彼の先見の明というほかないだろう。
しかし悲しいかな、時代が彼に味方しない。第二次世界大戦のさなか、アスペルガーの診療所は爆撃によって跡形もなく破壊されてしまう。また彼の重要な論文も、ドイツ語で書かれていたこともあり、戦火の記憶のなかに埋もれてしまうのである。
代わって自閉症研究の前面に踊り出たのが、ドイツからアメリカに移住したレオ・カナーであった。カナーは、持ち前の出世欲と巧みな表現力によって、アメリカの精神医学界で次第に頭角を現していく。そして、1943年の論文「情緒交流の自閉的障害」のなかで、自閉症を独自の仕方で特徴づけて、自閉症研究の祖となるのである。
固有の障害の存在を明らかにしたというのは、まぎれもないカナーの功績といえるだろう。しかし彼の研究は、ふたつの点で後世に大きな悪影響をもたらすことになる。
そのひとつが、自閉症をあまりにも狭く特徴づけた点だ。おそらくは自身で診た症例の少なさによるのだろうが(カナーは8人の患者を診ただけで自分の発見を公表するのに十分だと判断した)、いずれにしてもその結果として、多くの患者が自閉症のカテゴリーから除外されることになってしまう。
そしてもうひとつは、「毒親仮説」に与した点である。すなわちカナーは、(たいした根拠もないのに)「自閉症はその子の親に原因がある」という見方に加担したのである。絶対的ともいえる権威がそのように唱えることの影響というものを考えてみてほしい。たとえわが子に自閉症の徴候が認められたとしても、自らの世間体を気にするあまり、その事実を伏せておこうとした親が少なくなかったことは、想像に難くないだろう。
というようにして、カナーはそのふたつの間違いによって、自閉症者を発見するレンズを曇らせてしまう。そして、そんな不幸な状況がおよそ40年続き、1980年代になってようやく変化が訪れるのである。
診断基準の変更と『レインマン』効果
もちろん、変化は一挙に生じたわけではない。そこに至るまでには、いくつもの重要な出来事が必要であった。しかし、そのなかでもとくに重要な出来事といえるのは、ローナ・ウィングらによる診断基準の変更と、映画『レインマン』の大ヒットであろう。
ロンドンの認知心理学者で、自らも自閉症の娘を抱えるウィングは、カナーの見解にはとうてい承服できなかった。彼女はインタビューでこう語っている。「カナーの最新論文を読んだとき、ひどくばかげていると思ったわ。自分は毒母じゃないと分かっていたもの」。
そこでウィングは、認知障害の診断が下された子どもたちを対象にして、自閉症に特徴的な行動を見つけ出そうと試みる。その結果明らかになったのは、自閉症は(カナーの主張とは違って)明確に線引きできるような画一的な障害ではない、ということであった。そして彼女がたどりついたのは、まさに40年前にアスペルガーが掲げていた見方と同じものだったのである。
そこから、自閉症の「スペクトラム」というアイデアが生まれる。自閉症の症状には、日常生活に大きな支障をもたらすものもあれば、それほどではないものもある。言語障害や知的障害を抱える人もいれば、それらを伴わない人もいるし、科学や芸術において飛び抜けた才能を示す人もいる。そのように、自閉症の症状には幅があり、そのあり方は多種多様なのである。
そしてそのアイデアは、ウィングらの活躍によって、診断基準の変更へと結びついていく。1980年代以降に自閉症の診断件数が増加しているのは、ひとつにはそうした理由によるのである。
さらに、そんな動きを社会面で後押ししたのが、映画『レインマン』の大ヒットであった。自閉症者とその兄弟愛を描いた作品が社会に受け入れられることで、自閉症者に対する認識も社会に浸透していく。医師が、親が、本人が自閉症を認識し、周囲の人がそれを次第に受け入れていくのである。本書のなかの印象的な記述を引用しておこう。
NSAC[全米自閉症児協会]の共同設立者のひとりであるフィリス・テリー・ゴールドは、自分の母親が映画を観るまでは、娘に子どもがいることすら、周囲に話していなかったのだとホフマンに語った。別の少年の両親は映画館からの帰り道、めったに話をしない息子が、「ぼくは自閉症なんだ!」とどれほど誇らしげに宣言したかを書きつづった手紙をよこした。ひとりの自閉症者を映画に出した制作者たちは、数えきれないほどの多くの自閉症者を目に見える存在にしたのである。
というように、診断基準の変更と名画の影響などによって、自閉症と診断される人たちが次第に増えていく。それこそが、冒頭で触れた「自閉症が増えている」ことの真相なのである。
目を見張るそのほかのストーリー
本書は以上のような事情を克明かつ濃密な筆致で跡づけている。またそれ以外にも、本書には目を見張るべきストーリーが満載である。扱っているテーマが深刻な本ではあるが、読者をグイグイ引き込んでいくエンターテイメント性も十分といえるだろう。
なかでも、次のふたつの話はとても感動的だ。ナチス・ドイツの支配下で「自らの存在をかけて」子どもたちを擁護しようとしたアスペルガーの話と、『レインマン』の原作者が風変わりな男との間に築いた友情の話である。本を読んでいてこれほど肌がザワザワっとしたのは、わたしにとって久しぶりのことであった。
序章を見ると、著者は本書を完成させるのに少なくとも5年の歳月を要しているようである。本書は、それだけの時間をかけたからこそできた労作にして傑作と評価できるだろう。紆余曲折の歴史を心得ておくという意味でも、自閉症のことをあまり知らない人にもぜひ手にとってほしい1冊である。