いたいたしい読み物である。
ページをくりながら、私はそこかしこで思う。ああ、もういい。もうわかった。中島さん、自分をさいなむのは、ほどほどにしてくれ、と。
だが、そう思いつつ、私は読みすすむ。中島さんの心が、傷つき、すさんでいく。その荒廃を、どこかで私はおもしろがっている。こんどは、どんなふうに精神の解剖が、しめされるのか。その自虐劇にわくわくしている私も、いっぽうにはまちがいなく存在する。
こういう魂の悲鳴が、興味深く読めてしまう。どうやら、私にはそれだけむごい心が、無慈悲と言うしかない心が、あるらしい。そのことを、いやおうなく思い知らせてくれる本ではあった。
私ひとりにかぎったことではないだろう。この一冊がたのしめたという読み手は、みな大なり小なり同類であると考える。
「あとがき」で、中島さんは書いている。「私は完全な人間嫌いになった。他人から愛されることも……評価されることも、鳥肌が立つほど嫌いになった」。
そう宣言する人の書いた本に、いったいどんな解説をよせたらいいのか。いい本でしたとか、勉強になりましたなどという文句は、いっさいつかえない。「評価」のしようがないじゃあないかと、そう思う。
自分のなかに、こんなものも読める冷酷さがあることを、かみしめる。さきほど、私はそう書いて、この本がかきたてるさむざむとした読後感を、強調した。これは、肯定されることがきらいだという中島さんへの、私なりの対処である。せいいっぱいの共感を、ほめない形で書きあらわしているのだと、思ってほしい。
中島さんは、上昇指向の強い中産階級の家にそだった。できれば、家風を東京山手風のそれに、そめあげたい。それにふさわしい文化資本を、母と姉が中島さんに期待する。そして、中島さんじしん、学業面では家族の夢にこたえてきた。
そんな状態に、いつのころからか中島さんは嫌悪感をいだきだす。学歴の獲得という点で、家族の欲望をみたしてきた自分じしんのことも、きらうようになる。そのため、ことあるごとに、家族を傷つけ、自己をもせめさいなむ。
「学校の成績が一番になったり……するとき、両親が喜ぶことが憎かった」。
私は、いちども一番を学校で経験したことがない。中島さんの語るこのくだりに、「わかる」と言う資格はないだろう。しかし、こういう否定的な精神のありようは、のみこめる。
東大の文一へ合格したが、法学へは背をむけ、哲学にすすんでいく。それが家族、とりわけ父の落胆をさそったという話に、共鳴できる人はすくなかろう。たいていの人は、いやらしい家庭のいやみな自慢話にしか、うけとらないかもしれない。しかし、ここをさえ私は、家風こそちがうけれども、了解することができた。
東大の助手となった中島さんは、陰険な教授のふるまいに苦労をさせられる。ある日、そのつらさを母と姉の前で披露した。これに、母は的はずれな言葉をかえす。クリスチャンの姉は、あなたのために祈っているとつげた。
家族のそんな対応に、中島さんは考える。
「ああ、こういう台詞もいらいらする。だが、私はこういう台詞が吐かれることを知って、いや期待して、ふたりに報告しているのだ」。
そう、中島さんは、どこかで「いらいら」したがっている。「いらいら」できることをねがいつつ、言葉をあやつっているところがある。不愉快な状況へ、積極的に自分をおいこもうとしているのである。
のろわれた性格と言うべきか。階層の上昇転化をねがう家は、家族にひずみをもたらしやすい。とりわけ、上昇の役をになわされた者は、そのゆがみをもろにかぶることとなる。中島さんの生きづらさも、そういう社会学的なからくりの賜物かもしれない。
「両親にはこんなに生きにくい私を形成した責任があるのだ、その責任は私を一生涯養っても余りあるのだ」。
中島さんは、自分と両親のあいだに、そんな「共依存」があるという。このせつない自己分析に、私はいたいたしさを感じる。そこまで言わなくてもいいのにと思うのは、こういうところである。
「これ以上自虐的になるのはよそう」と、中島さんはある箇所でのべている。だが、叙述にあざやかな薬味をもたらしているのは、この「自虐」である。読むのがつらいと言いながら、私はそこにそそられ、本を読みつづけた。ほんとうは、好きなのかもしれない。
この本は、『東大助手物語』と題されている。東大教養学部の社会科学科へ、中島さんは助手として赴任した。そこで、上司となった教授から、ひどい目にあわされる。今風に、ひとことで言えば、パワハラをもろにくらってしまう。
この一件では、社会科学科のスタッフたちも、中島さんの肩をもつ。教授ではなく、助手でしかなかった中島さんのほうに理があると、判断する。
中島さんは、上司のパワハラに関する記録を、逐一とっていなかった。証拠をそろえて、社会科学科に籍のあるほかの教授たちを、説得したわけではない。だが、まわりの人びとは、中島さんの上司ならさもありなんと、すぐに見きわめた。くだんの上司は、そういうことをしでかしかねない人物だと、みなされていたのである。
こういう人を教授にしておく東大へ、疑問をいだくむきはおられようか。しかし、この点については、べつの見方もありうる。東大の同僚たちは、中島さんをまもる方向で連帯した。世渡りがへたで、自閉的な中島さんのために、少なからぬ人びとがたちあがっている。この点は、美談だと言ってよい。
この本を糾弾の書として読む人はおられよう。ひどい教授にたいする告発本としてうけとる読者も、すくなくあるまい。
たしかに、そういう一面はある。しかし、これは東大教養学部社会科学科の自浄能力を、語ってもいる。そして、その力によって、中島さんはすくわれた。大学世界のなかでつぶされずに、研究者として生きのこっている。
じっさい、どこの大学でも、ことがこううまくはこぶとはかぎらない。中島さんじしんが書くとおりで、「大学にはどんなことでもありうる」。「権力や組織の犠牲になって『斃れた』多くの優秀な」研究者は、おおぜいいる。中島さんはとんでもない目にあっているが、めぐまれてもいたのである。
書きだしでものべたように、私はこの本をいたいたしく感じた。だが、教授の横暴から中島さんがたすけだされる話は、けっこうさわやかである。この爽快さは、中島さんの自虐的な書きっぷりを、最終的にひっくりかえしている。くらい読み物でおわってしまいかねないこの本に、輝きをもたらしてもいるのである。
中島さんは、はじめ教室で顔をつきあわす人びとに、猜疑心をいだいていた。ゆだんのならない、一癖も二癖もありそうな人物として、えがきだしている。中島さんの自閉的な世界には、とうていはいりこめない他者として。
そんな同僚たちが、最後の大団円では、みな仲間として、中島さんのためにたちあがる。体をはって、中島さんをまもろうとする後輩さえ、あらわれた。
その筋立ては、勧善懲悪のドラマをほうふつとさせる。ハリウッド映画のクライマックスを、しのばせなくもない。
そこへいたるまでに、中島さんは自分の孤独な人間観察をしるしている。世間へはとどかぬ自閉域のなかで、人を、そして世の中をもうらんできた。そこへ登場する他人を、おおむねシニカルにあらわしている。この陰にこもった描写が、ハッピーエンドのひきたて役めいて見える。
だが、中島さんに精神の自爆テロをもとめる読者は、しらけてしまうかもしれない。話の山場で中島さんの味方になったあいつやこいつへの、意地悪な観察はないのか。ああいう高揚感のなかでこそ、中島流の「人間嫌い」を発揮してほしかった、等々と。
罰当たりな話だが、私のなかにもそういう部分はある。もういい、やめてくれと言いながら、いっぽうではより陰惨な心理劇をもとめている。ああ、読者は、とりわけひいき筋はどこまで残酷になるのだろう。私は、こういう気持ちのよぎる自分が、おそろしい。
とにかく、中島さんは東大の同僚たちに、たすけだされたのである。大学という社会とも、和解をすることができた。それは、中島さんにとっても、かがやかしい一瞬であったろう。そこへ泥をぬるような書きっぷりでないことには、むしろ胸をなでおろしたい。
と、そう書きながら、私の脳裏を「『そうではない』というささやきが走っ」ていく。かさねがさね、自分は人非人だなとおもう。
くりかえすが、中島さんはラストで、「人間嫌い」をすてていた。つまり、自分の意地悪な語り口を、解体させられてもいたのである。これも、また、形をかえた精神の自爆劇ではあったろうか。中島さんの愛読者にも、この点で中島さんらしさはたもたれていると、言っておこう。
(平成29年4月、風俗史家、国際日本文化研究センター教授)