面白い。まるで推理小説を読むようだ。しかも、嬉しいことにカラー版、美術好きには堪らない1冊だ。本書は、史上最高の画家、レオナルド・ダ・ヴィンチの最も有名な作品「モナリザ」にまつわるいくつかの謎について、当意即妙の文章で縦横に論じたものである。
著者は、膨大に残されたレオナルドの手稿研究の第一人者であり、レオナルド自身の頭と目になったつもりで謎解きにチャレンジした。なぜなら、「レオナルドの自然や大地に対する基本的な見方をよく理解した上で、彼の絵画に向かって的確な問いかけをしないと、その絵は自分の秘密を開示してくれないからである」「彼にとって画家とは、『世界の内に本質、現実、ないし想像として存在するものを、まず精神の中に持ち』、次いでそれを手で表現することによって、『万物を生み出すことのできる主人』(絵画の書)になることであった」。
謎の最たるものは2つ。「どうして左右の背景はつながっていないのか?」「モナリザは誰か?なぜ微笑んでいるのか?」。レオナルドはミラノ時代に近代初の地質学者として調査に勤しみ、その観察結果などを踏まえて独特の大地隆起理論を完成させた。かつての海底が現在の山岳に隆起しているが、最後は大洪水によって大地が再び水没し世界は破滅するというものである。
その好例が「聖アンナと聖母子」」(ルーヴル蔵)で、後景と中景と前景はすべて地球の過去と現在と未来の有様を描いたものだ、というのが著者の見立てである。同様に、モナリザの向って右側は人類の匂いのする現在の風景であり、左側は近い将来の洪水を予言したものなのだ。左右がつながっていないのは当然なのである。
最後に、モナリザは誰か。著者はザッペリの説を支持する。レオナルドはフランス軍にミラノが占領されるとフィレンツェに戻り、メディチ家のロレンツォの3男、ジュリアーノに仕えた。ジュリアーノはウルビーノの宮廷で恋をして庶子イッポーリト(後の枢機卿)が生まれたが母、パチフィカ・ブランダーニは死んだ。
不在の母を恋しがる幼子のために、ジュリアーノはレオナルドに亡くなった母親の肖像画の制作を依頼した。レオナルドは、ジュリアーノの願いを受け入れ、母性愛という大きな主題を持つ空想の肖像画を描いた。だからモナリザは喪服姿なのだ。微笑む相手はわが子のイッポーリトだったのだ。モナリザには、生まれてすぐ実の母親と離れ離れになったレオナルドの心象も投影されているのだろう。
『人間は自分自身を支配する以上の力も、それ以下の力も持ちえない』(パリ手稿)、人の世を醒めた目で見つめる科学者でもあったレオナルドは、『立派に費やされた1日が快い眠りをもたらすように、立派に費やされた一生は快い死をもたらす』(トリヴルツィオ手稿)という言葉とモナリザをはじめとする数点の絵画を残してフランスで死去した。
出口 治明
ライフネット生命保険 CEO兼代表取締役会長。詳しくはこちら。
*なお、出口会長の書評には古典や小説なども含まれる場合があります。稀代の読書家がお読みになってる本を知るだけでも価値があると判断しました。