それは、あらゆる面で無謀なレースだった。
政府の支援を受けずに3人乗りのロケットを製造し、宇宙の入口へ2週間以内に2回到達した最初のチームに、1000万ドルの賞金が与えられる
Xプライズと名付けられたこの国際賞金レースが発表された1996年時点では、政府の関わっていないロケットなど影も形も存在していなかった。宇宙船どころか「音速以上の有人航空機」を民間企業が製造した例すらなかった。高度100km以上と定義された宇宙の入口へ到達するためには音速の何倍もの速度が必要となるという一点だけを見ても、その難しさがうかがい知れる。大気圏への安全かつ効率的な再突入方法などの技術面だけでなく、ロケット打ち上げのために取得すべき許認可が数多くあり、乗り越えるべきハードル、考慮しなければならない事項は山積みである。
特筆すべきは難易度の高さだけではない。懸けられた1000万ドル(約11億円)という賞金もまた規格外。何より驚くべきなのは、このレースを主催するXプライズ財団は、レース発表時点で1000万ドルを支払う能力を持ち合わせてはいなかったということ。これは、金持ちの道楽などではなかった。財団の創設者にしてレースの発案者でもあるピーター・ディアマンディスには大した財産はなかった。何より、ピーターにとっての宇宙は道楽と呼べるほど軽い存在ではない。ピーターにとっての宇宙とは、小さいころからの夢であり、全ての情熱の源であり、控えめに言って人生そのものだった。このレースは、宇宙に魅了された男による、世間の目を宇宙に向けて、21世紀を大宇宙時代とするための真剣勝負だったのだ。
この本は、宇宙に全てを捧げるピーターを中心とした、Xプライズに挑んだ人々の物語が複層的に描き出される青春群像劇である。科学を加速する方法、人類のフロンティア開拓、政府と民間の役割分担など、色々な点に注目した読み方もできるのだが、ただただストーリー展開に夢中になる読書体験こそを薦めたい。興奮とともにページをめくる感覚を、この本は間違いなく提供してくれる。そこには、ゲーム開発で巨万の富を築きながらも次なる挑戦に飢えていた起業家が、誰よりも高いところを目指してトレーニングを続けるパイロットが、英雄の子孫として生まれた苦悩と闘う男が、そして宇宙というフロンティアに魅せられた数え切れない人々が登場する。様々な思いを胸に宇宙を目指す登場人物たちの情熱に触れれば、ページをめくるあなたの体温も宇宙へ向かうロケットのように上昇する。
本書の序文はヴァージン・グループ創業者のリチャード・ブランソン、あとがきは理論物理学者・宇宙学者のスティーブン・ホーキングという豪華さだ。それ以外にもAmazon創業者で有人宇宙旅行を目指すブルーオリジンを経営するジェフ・ベゾスや、Teslaに続いて商業軌道輸送サービス会社スペースXでの成功を目指すイーロン・マスクも登場する。しかし、これらのビジョナリーと呼ばれる起業家たちも、こと宇宙に関してはピーターのフォロワーだと言わざるを得ない。ピーターがいなければ、彼らの宇宙への取り組みは無かったかもしれないのだから。
ベゾスは、ピーターが学生時に創設したSEDS(宇宙探査・開発を目指す学生の会)のプリンストン大学支部代表を務めながら宇宙への思いを強め、マスクは幼いときから「スター・トレック」の大ファンで宇宙への憧れを抱き続けていたがピーターと初めて会ったときにはまだ宇宙へ至る計画は漠然としたものだった。ピーターの存在が、彼らにインスピレーションを与えたのだ。起業家・投資家のアデオ・ロッシが「コンピュータオタクはみんな宇宙オタクの気があるね」と言うように、今ではITで成功を収めた者たちの多くが宇宙を目指しているが、ピーターの優先順位の第一位はずっと宇宙にある。彼は回り道をする器用さを持ち合わせておらず、いつだって宇宙への最短距離を全速力で走り抜けてきた。
ひたすらに宇宙を目指し続けるピーターの道のりは平坦ではなかった。初対面のアーサー・C・クラークを夕食に誘いいつの間にかSEDSの顧問にしてしまうほどの人並み外れた行動力とアイデアで次々と偉業を成し遂げていくものの、その人生には喜びや達成感よりもはるかに多くの挫折と葛藤があった。特に賞金集めでの失敗の連続と、「人生最大の賭け」であった民間初の月面探査会社を目指したブラストオフが失速していく過程は読んでいるだけで辛くなる。彼はあまりにも大きなものを望んでしまったのだろうか。
しかし、どのような困難にもピーターは宇宙へ歩みを止めなかった。網膜の傷のためにNASAの宇宙飛行士になれないことを知れば、政府の力を借りずに宇宙へ行く方法を模索する。医師である父の期待に応えるために睡眠時間とあらゆる楽しみを投げ打ってハーバードで医学の勉強をしながらも、医学の知識をどうにか宇宙へ繋げようと極限まで考え続ける。あまりに強い信念は、自身が足踏みすることを許さず、ときに自らを傷つける。はるか遠くにある理想と、どれだけ進んでもゴールに近づかない現実とのギャップに、ピーターはいつも苦悩していた。とんでもなく大きな理想を、あらゆる現実的な手段を用いて手に入れようとするピーターのような「現実的な理想主義者」が、世界に革新をもたらす。
停滞する宇宙開発の現状を打破し、人類を次のステージに誘うためにピーターが着目したのが賞金レースだった。アイディアの種は、チャールズ・リンドバーグによる大西洋単独無着陸飛行。リンドバーグが勝者となったニューヨークからパリに無着陸飛行を行った者に2万5000ドルを与えるというオルティーグ賞は、多くの夢追い人を駆り立てた。結果、この賞への参加者たちが費やした金額は賞金の10倍以上、40万ドル近くにまで及んだのである。ピーターは確信していた。
賞金には、エネルギーを結集する効果がある。競争心を生み出すんだ。人類誕生以来、最も重要な原動力となった気持ちを。
ピーターの賞金集めの顛末とレースの結果はWikipediaにも書かれているが、結末に飛びつく前に、本書を一読することを薦めたい。そこには、心の奥底を熱くする現実的な理想主義者が多くいる。ゴールを知っていても、つい続きが気になる魅力的なドラマがある。『肩をすくめるアトラス』、『翼よ、あればパリの灯火だ』や『月を売った男』といった本が多くの若者の目線を空に向けたように、この本も次代のピーターを生み出すだろう。
こちらはバッタへの情熱で突き進む男の話。クマムシ博士によるレビューはこちら。
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