毒のある本だ。本書を読み始めてすぐにそう感じた。毒のある題名を付けて購読者の気を引き、中身は平凡でつまらない本も多数存在するのだが、この本はそうではない。
本書の著者エドワード・ルトワックはワシントンにある大手シンクタンク、米国戦略国際問題研究所の上級顧問であり、戦略家、歴史家、経済学者などの肩書きを持っている。しかし、日本の読者には『中国4.0』の著者であるといったほうがわかりやすいかもしれない。不安定な大国中国が世界の安全保障問題にとって大きなリスクであると指摘し続けている人物でもある。
本書『戦争にチャンスを与えよ』は著者が1999年に発表した本書と同名の論文とその自己解題、そして文芸春秋の記事及びいくつかのインタビューをまとめたものを中心に構成されている。
まずは著者の論文と自己解題で戦略の中に潜むパラドキシカル・ロジック(逆説的理論)と戦略がいかに非情でマキャベリズム的なのかを論じる。その過程で読者の中に根付いている日常の道徳観が戦略論を考察する上でいかに危険な事であるかを悟らせようとする。そして、その思考を共通認識としつつ、後半では日本の置かれた戦略的課題である、不安定な大国中国の膨張と核武装を恫喝材料として外国戦略を行う北朝鮮にいかに対処するべきかを論じていく形だ。
では、著者が提唱する戦略の中に潜むパラドキシカル・ロジックとはいかなるものなのか。端的にいえば平和が戦争を生み、戦争が平和を生むという事だろう。
平和な時代には人々は戦略問題を軽視し、近隣諸国の不穏な動きにも敏感に反応せず、日常の道徳観や習慣の方を戦略課題よりも優先してしまう。このために戦争のリスクが一気に高まる。また、戦争が始まると男達は戦争に野心やロマンを見出し、嬉々としてこれに参加しようとする。しかし、戦争が一旦始まり、膨大な量の血と物資の消耗が始まると、最初の野心は疲弊と倦怠感に取って代わり、戦う気力はどんどんと失われていく。人々は遺恨や憎しみよりも平和を希求するようになるというわけだ。あるいは抗争中のどちらかの勢力が圧倒的な勝利を収めた際も戦争は終結する。破れた側に闘う力が残されていないためだ。戦争を本当の意味で終結させるのは膨大な犠牲を待たねばならない。つまり戦争が平和を生むのだ。
ではこの理論のどこにレビュー冒頭で言ったような「毒」があるのだろうか。著者はこのパラドキシカル・ロジックを使って戦争や紛争が発生した際に行われる国際社会、特に欧米の先進国が行う中途半端な人道支援という介入を徹底的に否定しているのだ。このような中途半端な介入は戦争で疲弊する前に戦闘状態を一時的に終わらせてしまう。つまり両勢力が戦いに倦む前に戦争状態を凍結してしまう。この状態では遺恨や野心が疲弊に取って代わる事が無く、いつまでも紛争国の人々間で燻り続け、本当の意味での戦後復興も行われない。そのためにかえって状態の不安定化や長期間の小さな衝突と流血が続いてしまうのだと説く。著者はその例として朝鮮半島やサラエボなどを上げている。特にユーゴスラビアではドイツが何の責任も引き受けることなく内戦に介入したことを痛烈に批判している。またアメリカが繰り返す無責任な軍事介入も容赦なく批判する。
また国連やNGOの難民支援をも著者は批判している。歴史的に見て戦火から逃れた難民の多くは大変な苦労を経験しつつも、逃れた先で土着化しその国の民として同化していく。そうする事で難民達は新たな人生のページを開き、子や孫の世代にまで紛争を引き継ぐ必要がなくなるのだ。個人的に見ても、戦略的に見てもその方が安定と平和を得る事ができる。
これと逆の行いをしているのが国連パレスチナ難民救済事業機関だという。彼らはパレスチナ難民をイスラエル国境近くに人工的に留め置き、二度と帰れる可能性の無い故郷に、いつか帰れるのではという希望を与えている。若い難民達の殆どは難民キャンプで生まれそこで育っている。これは結局のところ難民の永続化であるという。彼らの一部は国連パレスチナ難民救済機関の食料を食べて育ち、イスラエルへの敵意をみなぎらせ、一度も見たことの無い故郷を取り戻すためにハマスのメンバーとなり、新たな紛争の火種となっているのだという。
さらに細かで緻密な理論が本書では展開されているが、ここまで読めばわかるであろう。本書の毒とはまさにこの点だ。日常を生きる私たちは、戦争で血を流す人々を見れば、同情したくなるし、血を流す当事者も苦痛に満ちた思いをする。これを国際社会の介入で終わらせようとするのは当然の感情だし考えだろう。
しかし、著者はそれを真っ向から否定しているのだ。著者の考えを受け入れられない人も多いだろう。しかし本書でも述べられているように、中途半端な介入は多くの場合失敗しているのも事実だ。
それでも大量の血が流れ続ける戦争状態よりもいいのでないかという考えも当然ある。だが、やはり長期的、戦略的視点ではどうか?考えが振り子のように大きく揺れるのである。毒のある本とはまさにそういうものだ。常識や社会通念を打ち破り読者の思考をかき乱す。そしてそこから新たな視点を読む者に提示するのだ。
後半は日本を取り巻く安全保障の問題へと話が移る。特に印象に残っているのは戦略的に一番まずい選択は「何もしない」という考えだ。この考えを下に北朝鮮問題にかんして日本はいくつかの決断を下すべきだとしている。
ひとつは「降伏」だ。全ての制裁を解除し、朝鮮総連を優遇し、北朝鮮の体制を認めその上で国際的なミサイル射程の制約である500キロを越えるミサイルを持たないでくださいとお願いする。状況的に不利な場合は降伏というのも戦略としては正しい決断だという。別の道もある「先制攻撃」だ。先制攻撃を行う力を持ち、実際にそれを行使して脅威を取り除く。当然自衛隊員には多くの犠牲が出る。その覚悟が必要な選択だ。また「抑止」という選択もある。日本が1000キロの射程の弾道ミサイルを持ち、そこにデュアルユースの核弾頭を搭載するという選択だ。最後は「防衛」だ。これはミサイル防衛システムを導入することにより北朝鮮のミサイルを無力化する方法だが、これは現在の技術では100パーセントの防衛能力は無い。北朝鮮が核弾頭を持とうとしている今では、心もとない選択である。が、とにかく今の日本に蔓延している「大丈夫だろう」という無責任な感覚と何もしないという選択はもっともリスクが高いと著者は言う。この点だけでも本書を手にする価値はあると思う。
また、安倍総理大臣は近年の日本の首相の中でもっとも優れた戦略家であるという。対中国問題で巧みに同盟(外交)戦略を構築しているためだ。戦略は政治に勝り、外交(同盟)は軍事に勝る。この点を安倍総理は理解している。また、ロシアのプーチン大統領の戦略がいかに優れているか。中国の不安定さが、どのような政治情勢や歴史に根ざしているかなど、国際社会の動向を考える上でヒントになる考察がなされている。最後に、フェミニズムとトランスジェンダーに対する否定的な意見など「これはちょっと」と思うものもあるが、ここら辺は戦略とはあまり関係が無いので思想的に受け入れられない人は読み飛ばしても問題ないだろう。