あなたは植物にエロスを見出したことがおありだろうか?あるのなら、この本の魅力をすでにご存じなのだから、読めばますます植物官能の深みにはまり込んでいかれるに違いない。それよりも、そんなことは考えたこともないごく普通の人にこそ、ぜひ手にとってもらいたい一冊である。読み終わった時、もはや植物の官能から逃れられなくなっているはずだ。
いきなりだが、このサボテンはどうだ。似ていないといえば似ていないが、似ていると思えばえらく似ている。その名も『珍宝閣』、はいそうです「ちんぽうかく」です。『成程柱(なるほどちゅう)』という別名もあるという。なんとなく、なるほどと頷きたくなる気持ちもわかる。で、英名は『Penis cactus』って、ホンマですか?それって『ちんこサボテン』ですやんか。
滑らかな質感で、大きさ、鈴口や雁首を思わせる先端から根元に向かって走る微かな筋(稜)、個体によりやや曲がりくねった円柱状の形が、象徴的というよりそのままの姿である。
解説もさることながら、紹介される植物の名前がすでに官能的だ。驚くべきことに、植物における官能の概念は、分類学の父カール・フォン・リンネにまでさかのぼることができそうだ。リンネは、雄しべと雌しべ、すなわち「性へのまなざし」から植物の分類体系を着想した。それに基づいて二十四綱に分類するにあたり、なんと、そのすべてを人の性の営みになぞらえて説明している。リンネ、なにを考えながら分類してたんだか。
さぁ、白組のトップバッターちんこサボテンさんの次は、紅組のクリトリアさんです。って、紅白官能合戦か。
さて、どこがどのように見えるだろう。リンネが付けた名前はクリトリア Clitoria。もちろん語源はご想像のとおり。中央の上部に突出している「竜骨弁」と言われる部分がまさしくその部位を示しているという。英名はButterfly peaで、和名はそれの訳語チョウマメ(蝶豆)である。さて、あなたは、官能と蝶、どちらの名前により近いイメージを抱かれるだろう。
アリストロキアは咲き誇る女性器であり、そして、暗がりから覗く目-虚無を予見させる花なのだ。
見た目にクリトリアよりインパクトがあるのは、このアリストロキアだ。熱帯に咲くこの花、長さが30センチもあり、魚介類が腐ったような匂いを発するというから、ちょっと怖い。その匂いに誘われて、昆虫が中央の窪んだ花心部に飛び込み、閉じ込められる。そこでもがくことにより、受粉=生殖が促されるのだ。形だけでなく、その内部でのおこないも官能的である。
第一章『官能的な形態』では、「おぉっ、こ、これは」とつぶやいてしまうような写真が次々と現れる。陰嚢や肛門を思わせる花々、両性具有を思わせる食虫植物やラン、さらには、女性の臀部を彷彿とさせるため風俗壊乱だと戦時中にクレームがついたという伝説まで残っている多肉植物メセン(女仙)まで、なまめかしい植物全15種類が登場する。すべて紹介すると鼻血をもよおす人が出るかもしれないので、第二章『官能的な生態』の9種類へ。
この写真なら心静かに見ることができる。『ハンマーオーキッド』は、見かけではなく、その営みが官能的な植物だ。雄のコツチバチは、花の先っぽにある唇弁を雌のコツチバチと間違えて交尾しようとする。この花、形が似ているだけではなく、雌蜂の性フェロモンに似た匂いまで発するというから、信じられないほどの擬態である。
ハンマーオーキッドは、雄蜂に偽の性行為の場しか与えない。それは人間界よりも酷たらしい「美人局」かもしれない。
雌蜂と思い込んで抱えて飛び立とうとした時、唇弁が反転して、雄蜂の背中に花粉塊が打ちつけられる。そして、まんまと騙された雄蜂は、飛んでいって別のハンマーオーキッドに受粉させるのだ。なるほど美人局か。そう思うと、花の姿までもが官能的に見えてこないだろうか。
ちなみに、ランの英名であるオーキッド orchid は、ギリシア語で睾丸を意味する orchis に由来している。どうやら植物を見ながらおかしなことを考えていたのはリンネだけではなさそうだ。コツチバチとハンマーオーキッドの関係では雌雄が逆だけれど、そういった語源を知るだけで、なんだかうれしくなってくる。
第三章は、残念ながら書籍では感じることのできない『官能の匂い』計6種類である。しかし、このショクダイコンニャクは、英名である『Corpse flower=屍体の花』から想像されるような強烈な臭いだけでなく、姿も相当なものだ。
この植物の形に、巨大な陽物と同じ神性が備わっている
この植物の属名は「不格好な男性性器」を意味する Amorphophallus。その高さが3メートルにもおよぶという『燭台蒟蒻』は、なにを隠そう、死臭漂わせる巨大な男根なのである。
最後の第四章、『官能的な利用』の5種類からは、これを選びたい。期待してたのに、どこが官能的やねん!という声が聞こえてきそうだが、このハスイモは性具としても用いられる「ずいき」である、というと納得していただけるだろう。もちろん食べることだってできるし、肥後ずいきの本場、熊本城では、防寒・防音のため、畳の下に敷きつめてられていたという。
食用になるものを性戯にも用いる発想。食と性の渾然一体は、土着的な性を感じさせる。
もう最高です。
植物が漂わせる官能の説明は、リンネ、ダーウィンに始まり、ギリシャ神話、ローマ神話から、ダ・ヴィンチ、フロイト、ジョルジュ・バタイユ、モーリス・ブランショまで、そして、当然のことのようにカーマ・スートラなんかも引用されていて、縦横無尽だ。まるで詩のような文章は、叙事的であると同時にきわめて叙情的である。
官能植物たちの写真だけでなく、その背後の黒さも美しすぎる。黒のインクだけでは色に濃度や艶が出ないため、なんと、4色を組み合わせた印刷で黒い地色に仕上げてあるという。表紙は分厚い紙に真っ黒のクロス装で、銀の箔押でタイトルがつけられている。そして、それをしっかり見せるためだろう、カバーはつけられていない。書影に見えるカラー写真は帯に印刷されている植物なのだが、その帯も、本全体の黒さのイメージを損なわぬよう、裏面まで黒く印刷してある。しぶい配慮がどこまでもいきとどいた、なんともゴージャスな本だ。
ほかにも、本文のフォント、とりわけ平仮名が美しい。これらデザインの懲りようが気になる人は、アートディレクター・岡本洋平さんの写真付き解説を見ていただきたい。
一旦手に取ったが最後、美しき漆黒に浮かび上がる官能植物に魅入られて、買わずにいられなくなるだろう。4千円で4円のおつりしかもらえない税込み価格なので、高いと思われる人がいるかもしれない。しかし、それ以上の値打ちは絶対にある。本棚に飾るだけでも、背表紙が異彩を放つ。まるで、ずっしりと重い工芸品だ。本の重さを量れば586グラムもあったので、一グラムあたりわずか7円弱である。こんなにお買い得な官能本は他にあるまい。
※画像提供:NHK出版
『官能植物』の作者、木谷さんの本。HONZのメンバーに見逃されていたのが不思議である。
同上です。
官能植物だけでなく官能都市もあるんか。HONZ山本のレビューはこちら。