本書はコーネル大学の人気教授で、ニューヨーク・タイムズの人気コラムニストでもあるフランク教授の著書ということで、よくありがちなアメリカ的な成功指南書なのかと思って読み始めた。
特に、邦題が『成功する人は偶然を味方にする』となっているので、偶然さえも自分の力でコントロールできるという意味なのかと誤解しそうだが、実際には成功者に自分の成功をもっと謙虚に受け止めるよう諭すと同時に、才能や努力といった個人の力だけではどうにもならない社会的な問題を解決し、幸運な社会を作るための公共政策的な提案を行っている経済学の本である。
それで改めて原題を見てみると、「Success and Luck : Good Fortune and the Myth of Meritocracy」(成功と運:幸運と実力主義という神話)となっていて、邦題とは微妙にニュアンスが違う。この原題から読み取れるように、著者は成功に至る過程で運が果たす役割の重要性に焦点を当て検証しているのである。
他方、本書に関するネット上の書評や感想を見てみると、成功を左右するのは個人の才能や努力ではなくて、結局のところ偶然や運なのだと、身も蓋もない解釈しているものが多く見られたが、それも本書の理解としては正しくない。
著者の言わんとしていることは、才能と努力なしに成功するのは難しいが、才能があって努力をしても必ずしも成功できる訳ではなく、生まれや育ちも含めて、実際にはそこに数多くの偶然や幸運が関わっており、決して個人の力だけで成功した訳ではないという、両者の中間辺りのニュアンスなのである。要は、かつてナポレオンが言ったように、「すぐれた能力も、機会が与えられなければ価値がない」ということである。
本書では、著者自身の生い立ちや心不全で倒れて奇跡的に生還した実体験などから、ビル・ゲイツを始めとする企業家、アスリート、音楽家、映画俳優の成功ストーリーまで、様々な事例や社会実験を通じて、成功には如何に多くの偶然や運が関わっているかが示されている。
更に、才能があって努力するという資質そのものが、家庭環境によって早い段階から獲得される幸運な優位性なのだとして、著者は次のように述べている。
才能と努力だけで経済的成功が保証されるとしても(実際はされないのだが)、運が不可欠であることに変わりない。才能豊かで、まじめに働く意欲が高いこと自体が、そもそも大きな幸運によるものなのだから。わたしは運・不運が個人の資質の違いにつながると訴えたいわけではない。近年の研究で明らかになった、偶然のできごとや環境的要因が ーー 個人の資質や欠点とはまったく無関係のものが ーー 人生を左右するという事実をみんなにも知ってほしいのだ。
そして、こうした偶然や運の果たす役割は、ITやグローバル化の進展によって「ひとり勝ち市場(winner-take-all) 」が拡大し、競争が激化したことで、この数十年で格段に大きくなったと言う。
他者より1%頑張って働く人や 、1%多く才能がある人が 、1%多い所得を得るというのなら分かるが 、今やこうした小さな違いが何千倍もの収入の違いにつながるため、偶然の果たす役割はどんどん重要になってきているというのである。
こうした著者の主張を我々はどう受け止めるべきなのか?
この点について、ニューヨーク・タイムズのコラムニストのデイヴィッド・ブルックス氏は、2012年の大統領選の最中にオハイオのビジネスマンから届いた手紙に対して、次のように上手に答えている。
質問:「ここ数年で、事業に成功しました。これまで懸命に働き、成し遂げたことに誇りをもっています。ところがオバマ大統領は、成功には社会や政治の力も寄与していると言います。ミット・ロムニーはイスラエルを訪問し、国の貧富の差は文化の力によると言いました。わたしは混乱しています。成功の要因のうち、わたしの力によるものはどのくらいで、わたし以外の力によるものはどのくらいなのでしょうか? 」
回答:「外的な力の役割をどう考えるかは、あなたが人生のどの段階にいるのかと、先を見ているのか後ろを振り返っているのかによります。将来のすべての業績は自分ひとりで成し遂げるもの、過去のすべての成功は大いなる恩恵を受けたものと考えるべきです・・・人生を歩むにつれ、自分がどれだけの功績に値するかについての考えは変わります。人生を始めるときは、自分がすることはすべて自分がコントロールしているという幻想を抱くと良いし、人生を終えるときは総じて、自分の功績以上のものを得たと認めるべきです・・・野心的な企業幹部にとって大切なのは、自分の実績はすべて自分の力によるものだと信じることですが、これは人としては愚かな考えだと知ることが重要です。」
以上が、本書の成功と運に関する部分なのだが、実はここからが本題で、著者が最も言いたかったのは、人々が幸運を掴みやすくするための具体的手段は存在するということなのである。そのひとつは個人の行動や生き方や姿勢に関わるもので、もうひとつは政策的なアプローチとしての税制改革を通じた公共投資である。
先ず、前者について、著者は次のような興味深いことを言っている。
わたしの長年の研究テーマは、道徳心と利己心の不一致は思ったほど大きくないというものだ。1988年に出版した本では・・・過酷な競争環境のなかであっても真に誠実な人々は成功することを紹介した。信頼が求められる状況で信頼される人には、大きな価値がある。…
私たちがしっかり人を見分ければ、誠実な人は、その誠実さゆえに手に入れ損なった儲けよりも多くのものを手に入れるだろう。
こうした一見矛盾するような考え方は、「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一の『論語と算盤』にも通じるものがあるように思う。即ち、渋沢栄一が「道徳経済合一説」を説き、論語に基づく企業経営を実践したのと同じ文脈で、著者も道徳心(論語)と利己心(算盤)は両立すると言っているようである。
また、後者については、税制のあり方を抜本的に見直して「累進消費税」を導入することで、社会の活力を削ぐことなく多くの人々が幸運を享受できる環境を創り出すことができることを示したかったのが、本書を執筆したそもそもの動機だと言っている。
尚、ここで言う累進消費税とは、いわゆる個々の商品購入に対してかかる消費税ではなく、個人の年間収入から貯蓄額と基礎控除を差し引いた総消費額に対して、今の所得税と同じように、一年に一度、累進課税するという仕組みである。
この累進消費税を活用して、個々人の成功の前提となる社会基盤を整備し、より多くの人々が幸運を享受できる環境を創り出そうというのである。著者の例えで言うなら、でこぼこで穴だらけの道をフェラーリで走るのと、平らに舗装された道をポルシェで走るのと、お金持ちにとってどちらが心地良く感じるかということである。つまり、仮に累進消費税によって税金を多く取られることで、金持ちの車がフェラーリからポルシェにダウングレードすることになったからといって、実際の効用も相対的な満足度も下がらないし、むしろ後者の方が心地良いはずだというのである。
このように、本書を単なる個人が成功に至る上での運の重要性を解明したものと捉えるか、或いは多くの人々により開かれたチャンスを提供するインクルーシブな社会への提言と見るか、読み方は読者の視点に委ねられているのである。