ゲーム理論の専門家で大阪大学准教授の安田洋祐氏がナビゲーターを務めるNHKドキュメンタリー『欲望の資本主義〜ルールが変わる時〜』の内容をまとめた本書は、およそ経済活動に関わる全てのビジネスマンにとってmust readの一冊である。
番組の中では、コロンビア大学教授のジョセフ・スティグリッツ氏、スタンフォード大学教授のアルヴィン・ロス氏、『善と悪の経済学』(東洋経済新報社)の著者でチェコ総合銀行マクロ経済チーフストラテジストのトーマス・セドラチェク氏、ベンチャーキャピタリストでシェルパキャピタル共同創業者のスコット・スタンフォード氏、インドネシアのeコマース最大手「トコペディア」CEOのウィリアム・タヌウィジャヤ氏の5人が安田氏と対談しており、また、エマニュエル・トッド(歴史人口学者)、ルチル・シャルマ(モルガン・スタンレー・インベストメントマネージメント チーフストラテジスト)、ウィリアム・トラヌジャヤ(トコペディアCEO)、原丈人(デフタパートナーズグループ会長)、安永竜夫(三井物産社長)、小林喜光(三菱ケミカルホールディングス会長)も登場するが、本書ではその内、スティグリッツ氏、セドラチェク氏、スタンフォード氏の3人のインタビューが掲載されている。
最後の「あとがきにかえて」は、本番組を企画したNHKエンタープライズのエグゼクティブ・プロデューサーの丸山俊一氏が書いているのだが、本書の内容についてはここから説明するのが分かりやすい。ここで丸山氏が言う本書の問題意識は、「欲望とは何か?」「資本主義とは何か?」「私たちは、いつからこんな世界を生きているのだろうか?」という根源的な疑問である。
そして、資本主義を動かしている原動力は人間の「欲望」ではないか、ケインズにせよシュンペーターにせよ、経済学の巨人達が取り組んだのは「社会の潜在的な欲望をどう解き明かすか?」にあったのではないか、そして近代的な価値観が揺らぐ今日において、欲望の背後にある人間の様々な思いを再考する経済学があっても良いのではないかというのが、丸山氏の指摘する所である。
それに呼応するのが、冒頭にある安田氏の「序文」である。安田氏は、リーマンショックを始めとして、この10年間に経済学者も驚くような想定外の現象が次々と起こり、その間に世界の人々の経済システムに対する信頼が大きく揺らいでしまったという反省を踏まえ、そうした人々の疑問に対して真摯に向き合うことで、何らかの「答え」につながるヒントを提示したいと言っている。
しかしながら、安田氏は、主流派経済学である新古典派経済学を修正しながら騙し騙し進んでいる今の方向性がそもそも正しいのか、経済理論を精緻化しているように見えて、実はただのこじつけを行なっているに過ぎないのではないかとの本質的な疑問を呈している。
他方、そうだからと言ってこの先、天文学における天動説から地動説に至るようなパラダイムの転換、つまり新たなグランドセオリーの発見があり得るのかどうかも分からない、要は今の時点で経済理論として何が正解なのかは分からないということも素直に認めている。
勿論、安田氏は経済学者としてそうしたグランドセオリーの発見を目指すという決意を持っている。只、現時点でその即答を求めるのではなく、少しでも新たなヒントを探し出すために、安田氏が各界の巨人達にインタビューを行なったのが、本番組であり本書なのである。
先ず、最初に登場するコロンビア大学教授のジョセフ・スティグリッツ氏は、クリントン政権の大統領経済諮問委員会の委員長、世界銀行の上級副総裁兼チーフエコノミストなどを歴任した後、2001年に「情報の経済学」を築き上げた貢献によりノーベル経済学賞を受賞した経済学の巨人である。主な著書に『世界の99%を貧困にする経済』(徳間書店)などがある。
スティグリッツ氏にとっての最優先課題は「格差問題の縮小」である。主流派経済学者としてノーベル経済学賞を受賞したスティグリッツ氏だが、行き過ぎた規制緩和のせいで、アメリカ社会は不安定、非効率、不平等なものとなり、その結果、先進工業国の中でアメリカの格差が最もひどくなってしまったと批判している。そして、今求められているのは、新自由主義的な「規制撤廃」ではなく、「良い規制」の導入なのだと主張している。
こうしたスティグリッツ氏の発想は、1960年代にシカゴ大学でスティグリッツ氏が師事した、生涯をかけて社会の不平等を是正するために戦った「哲人経済学者」宇沢弘文氏の影響を強く受けているように思う。
スティグリッツ氏は、「アダム・スミスは間違っていた」として「(神の)見えざる手」を批判しており、本書の冒頭からいきなりのこのノーベル経済学賞受賞者の発言のインパクトは大きい。そして、「(神の)見えざる手」が我々に見えないのは、実際にそんなものは存在しないからだと言い切っている。
但し、安田氏が番組放送後に自身のツィート(2016/5/29)で補足しているように、「スティグリッツ氏には『道徳感情論』について尋ねる(時間的)余裕がありませんでした。「アダム・スミスは間違っていた」とのくだりが強調されていましたが、あくまでその後広まった「見えざる手」や自由放任思想に関するものなので注意。」ということであり、スティグリッツ氏はアダム・スミスを真っ向から否定している訳ではないようだ。
次に、このインタビューの中で特に異彩を放っていたのが、チェコの経済学者のトーマス・セドラチェク氏である。セドラチェク氏は現在、チェコ最大の商業銀行の一つであるCSOBでマクロ経済担当のチーフストラテジストを務めている。「ドイツ語圏最古の大学」と言われるプラハ・カレル大学在学中の24歳の時に、初代大統領ヴァーツラフ・ハヴェルの経済アドバイザーに就任している。
世界的なベストセラーになった同氏の『善と悪の経済学』に見られるように、彼の主張は、哲学や宗教に関する深い造詣に立脚しており、様々な寓話を用いて現代の経済社会の欠点を浮き彫りにしている点で、実に分かりやすい。
本書においてセドラチェク氏が特に強調しているのは、資本主義や成長そのものを否定するのではなく(スティグリッツ氏もこの点は同じ)、「成長資本主義」、つまり経済は常に成長していなければならないという強迫観念にこそが問題があるという点である。
そして、民主主義に立脚した「民主資本主義」の本質的な意義は「資本所有の自由」であり、それさえ守られるのであれば、たとえ経済が成長しなくても、場合によってはマイナス成長でも問題はないと言い切っている。そして、アダムとイブが創造されたエデンの園の逸話を持ち出し、人類の原罪は過剰消費であり、彼らが欲望に負けて空腹でもないのに「禁断の果実」を口にした所から、この問題は始まったとしている。
最後に登場するスコット・スタンフォード氏は、元ゴールドマン・サックスのバンカーで、ベンチャーキャピタルのシェルパキャピタルの共同創業者である。「テクノロジーの進化は止められないし、止めるべきではない」として、常にイノベーションによる社会の進化を信じている典型的な楽観的アメリカ人である。他方、テクノロジーによって不平等は是正されるかという安田氏の質問に対しては、それはテクノロジーの役割ではないが、社会全体を底上げするのには役立つだろうと答えており、社会的格差に対してそれ程大きな問題意識を持っていないように感じられた。
こうした安田氏との様々な会話を通じて、私達がよって立つ現代の資本主義社会の本質に本書が何処まで迫れたのか、その答えと責任の半分は読み手である我々の側にあると感じた。つまり、その答えは、我々のこれからの行動に掛かっているのだと。
その他にも言及したいポイントは山のようにあるが、最後に、この3人が「おカネとは何か?」という質問にどう答えたかを抜粋して、本書評の締め括りとしたい。
「おカネとは何か?」という質問自体がシンプルであるが故に答えるのが難しく、皆、ストレートには答えていないが、それぞれの考え方の違いがハッキリと現れていて非常に興味深い。
スティグリッツ氏:「「おカネ」と聞いてまず思い浮かぶのは、「カネは諸悪の根源」というアメリカの諺です。学生たちには、おカネは支払いの道具、計算の単位にすぎないと教えています。・・・大切なのは、バランスをとることだと思います。社会をうまく機能させるためには、おカネをモチベーションにしない人たちがいなければなりません。」
セドラチェク氏:「(おカネとは)結局は精神的なものです。おカネは合意書です。おカネは、それ自体としては存在しません。おカネは関係に根差したものです。おカネは人と人との間にしか存在しない。・・・おカネはエネルギーが形になったものでもある。私や私の労働の価値ではない。おカネは私が誰かに送ったり、誰かから送られたりできるエネルギーの形です。」
スタンフォード氏:「何に一番満足を感じるかは人ぞれぞれでしょうね。確かに、おカネはその一つでしょうけど・・・おカネのほかにも、何かあると思いますよ。社会へのインパクトを数値化するような”通貨”があったら面白いと思いませんか? 今やっていることじゃなくて、なんか違うことを始めるモチベーションになるような、おカネではない、何か他の基準を創り出す、クリエイティブな方法があるはずだと思うんです。」
私自身としては、おカネとは信用を背景とした共通の交換手段であり、時間を超えて全ての事物を同一の物差しの上に並べることのできる、ギリシャ神話にある「触れるもの全てを黄金に変えてしまう」ミダス王のタッチ(接触)のようなものだと思っている。そしてこの万能の交換手段と市場経済が結び付いた時、初めて資本主義が誕生したのだと。
読者の皆さんもこの問題を安田氏と一緒に考えて、是非とも自分なりの考えを整理して頂きたいと思う。