「HONZで紹介する本って、どんな基準で選んでいるんですか?」そう聞かれることは結構多いのだが、いつも歯切れの悪い回答になってしまう。
むろん小説はのぞくとか、いかにもなビジネス書は紹介しないとか、ジャンルとしての縛りは色々あるのだが、それだけが重要なわけではない。要は、難解なサイエンス本や分厚い歴史本ばかりをスラスラ読みこなす小難しい集団、そんな風に思われることは絶対に避けたいのだ。
しかし今なら一冊の本を差し出しながら、「こんな本だよ」と自信を持って伝えることが出来るだろう。それが本書『鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。』だ。
無駄に面白いーーこれ以上の贅沢が考えられるだろうか? 単に鳥類学の普及が目的というだけであれば、ここまで面白くする必要はなかったはずだ。著者の川上和人氏は、森林総合研究所で研究に勤しむ鳥類学者。以前『鳥類学者 無謀にも恐竜を語る』をHONZでもしつこいくらいに紹介したから、もはや説明の必要はないかもしれない。
あの時の完成度の高さから考えると、『鳥類学者 無謀にも恐竜を語る』を上回るものが世に出ることなど想像できるわけもなかった。しかし本書は、より一層パワーアップして帰ってきた印象を受ける。何がパワーアップしているかというと、それは「役に立たない度」だ。
研究に明け暮れる日常を徒然なるままに書き起こし、ある日忽然と調査地が消えてしまったり、耳の中に蛾が入り込んでしまったり、吸血生物と格闘したりもする。そんな多種多様なエピソードが、通常なら研究上の大きな目的を達成する過程の中で、スパイスのようにまぶされるものだが、本書はこの周辺エピソードこそがメイン・ディッシュだ。余談だけを読み進めていれば、知らずのうちに鳥の知識もインプットされてくることだろう。
まず「はじめに」の以下の部分を読めば、それだけで笑う準備が出来てしまうはずだ。
おそらく、一般に名前が知られている鳥類学者は、ジェームズ・ボンドくらいであろう。英国秘密情報部勤務に同姓同名がいるが、彼の名は実在の鳥類学者から命名されたのだ。隠密であるスパイに知名度で負けているというのは、実に由々しき事態である。スパイの名前が有名ということも、英国秘密情報部としては由々しき事態である。
それ以降どんなに真面目なことが書かれていようと、文体だけで笑えてくる。まるで魔法にでもかけられてしまったかのようだ。
面白い研究者とは、研究の対象に没入するあまり一般人では考えられないような行動をとり、それがそのまま天然キャラへと転じるケースが多い。しかし我らが川上 和人は、ひと味違う。一般人と同化したような目線で、計算し尽くされたかのようにボケ倒し、しかもほどよく抑制が利いている。つまりは、確信犯的常人離れだ。
壮大なスケール感を等身大の目線で眺める、そのギャップにどうしようもないくらいのおかしさが生まれ、しかも同じページ内で2度、3度に渡り畳み掛けてくるからタチが悪い。ボケ方のパターンは少なくとも7種類くらいはあるだろうか。念のために今一度付け加えておくが、本書は正真正銘のサイエンス・ノンフィクションだ。
絶海の無人島、過酷な調査の合間にベースキャンプで繰り広げられる、つかの間にひと時に見せる調査隊一行の人間模様など、まさに抱腹絶倒だ。
常連の色黒調査隊長は、昼も夜もサングラスだ。海辺に用足しに行き大波をかぶり、波間に潜む人魚にネガネを献上したのだ。予備のメガネはサングラスしかなく、夜は暗い暗いと嘆いている。彼は植物学者だが、ヤシガニを見つけてテンションが上がり、実は動物学者になりたかったと無用なカミングアウトを始める。
その隣では、小柄なカタツムリ研究者が海に鋭い視線を向けている。新種4種と引き換えに、やはり大事なメガネを山の神に奉納したため、眼を細めないとよく見えないらしい。視線の先の波打ち際では、水棲動物学者が記録映像を撮っている。落石対策のヘルメットを着用しているのは立派だが、首から下はトランクス1枚だ。彼は一体何を守っているのだろう。
そうかと思えば、野生動物に回転運動が採用されなかった理由を一節まるごとぶち抜きで考え出したり、森永チョコボールのキョロちゃんの考察に8ページもの分量を割いたりする。
そんなスベり知らずの著者だが、研究の合間には公園でベロンベロンに酔っぱらったあげく、入口のチェーンに足を引っ掛け、空中領域で大スベりする。
突然の浮遊感の中、川向うで祖母が手招きし、頭にランプを載せて走り去る白馬が視界の端をよぎる。ほほう、これが走馬燈か。(中略)すっかり酔いが醒めた左脳が、流血するなら献血にでも行くべきだったと右脳に語りかけ、私のアゴは10針の縫合という勲章をいただいた。ついでにおばあちゃんが存命だったことも思い出した。
国際会議などに出席することも多いというが、むろん英会話は大の苦手だ。
世の中には優秀な研究者がたくさんいる。バンバン論文を書き、英語でジョークを交わしながら、ブロンド淑女とハグをする。そんな先輩の姿を見たら学生はどう思うだろう。ダメだ、自分はああはなれないと研究生活を断念し、鳥学の世界から離れてしまうはずだ。若手が育たなければこの分野は廃れてしまう。
だが、外来生物問題や生態系保全の問題を語るときだけは絶対に茶化さない。これも印象的な一面だ。
外来生物問題がまだ社会に浸透していなかった時代には、勧善懲悪を喧伝することも必要だった。しかし、社会的に議論が成熟し問題が十分に認識されてきた現代において、善悪二元論的図式を強調するのは一歩間違うと外来種容認につながる諸刃の剣だ。認識の高度化に合わせ、問題の本質についての普及を一歩進める時期に来ていると言えよう。
この他にも、東京都を代表する「都民の鳥」はユリカモメでなくメグロであるべきとか、最近ウグイスと仲が悪いとか、カタツムリは鳥に乗って移動分散できるとか、おそらく一生披露する機会もないと思われる知識ばかりが大空のように脳内を駆け巡っていく。
そして最も考えさせられるのが、最終章で語られる自身のスタンスと天職について。
舌先三寸と八方美人を駆使して、私は受け身の達人になることに決めた。新たな仕事を引き受ければ、それだけ経験値が上がる。経験値が上がればまた別の依頼が舞い込んでくる。世の中は積極性至上主義がまかり通り「将来の夢」を描けない小学生は肩身の狭い思いをするが、受動性に後ろめたさを感じる必要は無い。これを処世術にうまく生きていくのも一つの見識である。
受け身の状態で流されるままに到達した場所が、もし心地良いと思えたなら、それが天職なのだという。受け身であること、それ自体を最高のエンターテイメントとして捉えているのだ。しかし著者はまだ、気付いていないのかもしれない。鳥類学者であることだけでなく、文筆家であることもまた、著者にとっての天職だったかもしれないことを。
2017年のHONZが自信を持ってレコメンドする、この1冊。多くの人にとって、今年最高の読書体験になることは間違いないだろう。全力で脱力し、されるがままに読み進めることを、おススメしたい。