よその家の生活は気になるものだ。スーパーマーケットの買い物かごの中身や捨てたゴミの種類など、芭蕉ではないけれど「隣は何をする人ぞ」という興味は誰もが持っている。ましてや性生活ともなれば、口には出せないが興味のあるところだ。
その思いが嵩じて、アメリカのデンヴァー近郊に住むジャラルド・フースはモーテル自体を買ってしまった。屋根裏に細工し通風孔と見せかけた穴から、毎夜宿泊客の夜の生活を覗き、克明な記録を付けていたのだ。なんと30年もの間、誰にも気づかれることなく観察日記は続いた。
だが、もちろんこのことはどこにも発表することはできない。自分の名前を明かすことは出来ないが、この貴重な記録は何かの役に立たないか、と連絡した先が本書の著者、ゲイ・タリーズだった。
ニュー・ジャーナリズムの旗手と呼ばれ、アメリカの性意識、性産業の改革について執筆していた彼の元に届いた手紙には、切々と自分の覗き趣味の正当性とこの研究結果を公にしたい旨が綴られていた。
ゲイ・タリーズは、ノンフィクション作家の矜持として実名を公表できない記事は書けないと思いつつ、その男への興味に負けた。実際にそのモーテルで見た現場は、なるほど興味深いものだ。
犯罪行為であることから記事にすることは見送ったが、観察日記には魅了された。覗き穴の下で繰り広げられるセックスは、百花繚乱、千差万別であった。グループセックス、ホモセクシャル、レズビアン、戦争で負傷した兵士とその妻、コスチュームプレイなど、性にタブーは存在しなかった。
長年、覗き穴から他人の性生活を見て記録してきたフースは、次第に覗き魔と、その様子を冷静に見る自分とに乖離し始める。自分を「先駆的性科学研究者」だとして、どこの研究より信憑性に優れていると豪語し、記録に誇りを持つ男。
フースが覗きを始めてから50年後、彼からすべて公にしてもかまわないという連絡を受け、この記録が明るみに出た。ここも芭蕉の「面白うてやがて悲しき」現実は、確かに人間の真実を写しだしていた。(小学館「STORY BOX」4月号より転載)
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1970年代のアメリカの性意識革命を、数々の著名人の私生活から考察した大ベストセラー。覗き日記の著者フースは、自分の観察をタリーズに文章にしてもらいたかったのだ。
80歳を超えたゲイ・タリーズについてはGQの記事が詳しく、大変興味深い。ノンフィクションに関する永遠の命題にも触れている。
村上浩のレビューはこちら。