『ヒルビリー・エレジー』取り残された街のため息が、トランプを大統領に押し上げた

2017年3月21日 印刷向け表示
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ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち

作者:J.D.ヴァンス 翻訳:関根 光宏
出版社:光文社
発売日:2017-03-15
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格差の問題が叫ばれて出して久しいが、格差が深刻化する中でさらなる問題が沸き上がりつつある。「格差を是正せよ」「ダイバーシティって素晴らしい」という掛け声とともにフォーカスが当たるのは、いつだって最底辺に位置するマイノリティの人ばかりなのである。

「鶏口となるも牛後となるなかれ」とはよく言ったものだが、アメリカで実施されたある調査でも、それを裏付けるような結果が出ている。子供世代が自分たちよりも経済的に豊かになるだろうと答えた人の割合が、黒人やラテンアメリカ系住民で優に半数を超えたのに対して、労働者階層の白人の場合は、44%のみにとどまったのだ。

このアメリカの「牛後」にあたる白人労働者層には、共通の特徴がある。多くは18世紀に移民としてやってきたスコッツ・アイリッシュ達で、南はアラバマ州やジョージア州、北はオハイオ州やニューヨーク州にかけて広がるアパラチア山脈の近くに住み出した。

先祖は南部の奴隷経済時代に日雇い労働者として働き、その後は物納小作人から炭鉱労働者に身を転じ、近年では機械工や工場労働者として生計を立ててきた。「ヒルビリー(田舎者)」と呼ばれた彼らは代々貧困を受け継いでおり、アパラチアから五大湖周辺のラストベルト(錆びついた工業地帯)に移住したものも多かった。

このラストベルトに位置する州の多くは製造業の衰退、人口減少、移民増加といった共通の課題を抱えており、さしたる注目を集めてこなかったのが実情だ。ところが先のアメリカ大統領選においてにわかに注目を集め、結果的にはこの地域の票が一気に傾いたことによってトランプ大統領が誕生したのである。

本書はそんなラストベルトの一角、オハイオ州の鉄鋼業の町で子供時代を送った人物がその半生を綴った回想録である。とりわけこの記録が貴重なのは、貧困地域における問題の本質をマクロの視点ではなく、一人の生活者として、そしてファミリーの記憶として、ミクロの視点から描き切っていることだ。

幼少の頃から父親が次々と代わり、名前や住む場所や頻繁に変わる。母親はヒステリックに怒り、時にはDVに及ぶ。母親が逮捕されぬよう警察ではウソの証言を行い、あげく母親はヤク中になってしまい尿検査で提出する尿を息子にせがむ。それは著者の心に十分なトラウマを植え付け、その後の人生に大きな影を落とすほどであった。

しかもこの家が特別ということではなく、その光景は街の至るところでも繰り広げられていたという。暴力とアルコールとドラッグと失業が蔓延する地域は、とにかく社会課題が山積みで、しかも驚くほど多様であった。

そんな著者が大学を卒業し、最終的に社会で成功を収めるようになるまでには、いくつかの転機となる出来事があった。まずは高校生の時、祖母が安定した家庭環境を提供してくれたということである。何を当たり前のことと思われるかもしれないが、普通であることすら稀有、この点にこそ問題の本質が潜んでいるだろう。

やがて海兵隊に入隊し、規則正しい生活を送ることの重要性を初めて学ぶ。さらに努力することで自分自身を変えていけるという経験を積み重ねると、次第に成功への歯車が回り出す。その後はイエール大学のロースクールへ入学し、この地域の出身者としては珍しく社会階層のアップグレードに成功するのだ。

生活者目線で指摘する問題点の数々は興味深く、産業構造といった外部環境のみならず、住民の気質にも問題があったという。プライドが高くて収入は低い。そんなヒルビリーの人たちは人生の早い段階から、自分たちに都合の悪い事実から目を背けることによって、不都合な真実に対処する方法を学ぶ。自分の人生なのに自分ではどうにもならないと考え、なんでも他人のせいにしてしまう傾向にあるのだ。

マスコミ不信に陥っており、自分たちに好都合な事実がどこか別の場所に存在すると思い込んでいるため、陰謀論のようなフェイクニュースに対しても簡単に餌食となってしまう。つまり理想と現実を混同し、街ぐるみで学習性無力感に陥っている状態だ。だから貧困は、地縁・血縁を通じて伝播しやすくなってしまう。

これらの状況を踏まえたからこそ、トランプは以下のようなメッセージを発し続けたのである。「アメリカを再び偉大な国にする」「見くびられた貿易政策が国の雇用を奪った」「不法移民は福祉に頼ってシステムを悪用している」 。さらに政治の門外漢というスタンスから「ワシントンの政治家たちはこれらの問題を傍観してきた」と煽り、マスコミにも矛先は向いた。

街の空気が私的な角度から可視化されていくにつれ、トランプがなぜ選挙中にあのようなメッセージを発し続けたのかーーその文脈がリアリティをもって伝わってくる。ニューヨークからもシリコンバレーからも決して見えない風景が、ワシントンの命運を握ったのだ。

それは選挙戦術としては優れていたかもしれないし、彼の地の人々が自分の選択に意味を見出したという点においては大きな進歩であったのかもしれない。だが課題を本質的に解決できたのかと言えば、それはまた別の話であるだろう。

著者は半生を振り返りながら、貧困にあえぐ地域の課題を持続可能な形で解決するためには社会資本が必要だと主張する。経済的な価値があるネットワークをもち、私たちを会うべき人に引き合わせてくれたり、価値ある情報やチャンスを与えてくれるーーそういう人間関係に基づく資本こそが彼を貧困から救い出してくれたのだと。

本来セーフティネットになるはずの地縁・血縁がリスクそのものになったというのは特殊なケースかもしれないが、世界中において地縁・血縁といったつながりが希薄になり、代替となる可能性のあったSNSは「ポスト・トゥルース」の時代を迎えている。このような状況下において、何がセーフティーネットになりうるかというのは普遍的な問いかけでもあり、決して対岸の火事とは思えない。世界がこれから直面していく未来的な課題を解決するためのヒントに満ち溢れた一冊と言えるだろう。  

トランプがはじめた21世紀の南北戦争: アメリカ大統領選2016

作者:渡辺 由佳里
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