ジュニア小説家と官能小説家は、はたして両立しうるものなのか?
ジュニアという音からは、エロい匂いがしない。カンノウはエロい雰囲気だし、ましてやカンノウショウセツは絶対エロい。エロくないものとエロいものというのを同じ人間が書き分けることは可能なのだろうか? エロくないものを描いているときに自分のエロさに蓋をして描いているのだろうか? それともその逆なのだろうか? いや、相反する二つの事象を高次元で統合することが可能なものなのだろうか?
本書はジュニア小説誌で少女たちを熱狂させ、さらには官能小説のジャンルでも活躍した富島 健夫の評伝である。富島 健夫の名は知らずとも、映画化もされた『おさな妻』のタイトルに聞き覚えのある方は多いだろう(私もそのひとりである)。
富島は昭和6年(1931年)に日本統治下の朝鮮半島で農業を営んでいた両親の下に生まれた。その後終戦で福岡に引き揚げ、旧制中学から新制高校になる最中の高校生活を経て早稲田大学に入学する。そこで同人『街』に参加して作品を発表し始め、『喪家の狗』は第30回芥川賞候補になっている。その後ティーン向け小説において、教育的だったり、性的な問題をオブラートに包んだ旧来の少女小説を否定し、リアルな少年少女の姿を描いた「ジュニア小説」界のトップとして君臨する。他方、官能小説家としても多数の作品を残している。
実は、富島はジュニア小説で活躍しようと思っていたのでもなければ官能小説を書こうと思っていたわけでもなかったのだという。創作活動の結果として、富島が知られるようになったのが、たまたまそのジャンルだった。
富島には自分が書いたものを自分が思うように世間で扱ってもらうために、どのような戦略を講じたらよいのかという視点が欠けていたのだという。
文学を志す青年が、ただ自分の目指す物語を描き、その中で主人公の直面する性を描いていただけなのだ。小説の「嘘」を嫌い、登場人物たちの性の問題を避けて通ることをしなかった。もちろんジュニア小説の主人公であっても性の悩みをごまかすことはなかった。(ジュニア小説だからエロくない=性的な話題は避けられている、と言うのは私の先入観だったのだ、反省)。
加えて、富島は「一所懸命」だったのだという。どのような注文にも応えたかわりにどのような場所でも自分の「文学」を貫いた。その結果、ジュニア小説あり、官能小説ありという傍から見るとしっちゃかめっちゃかと言ってもいいような状態を生み出してしまった。巻末の年譜を見るとそれがどれほど幅広いものなのかがよくわかる。掲載誌に『小学3年生』から、なんとスワッピング愛好雑誌『ホームトーク』まで名が挙がっている。
その一所懸命さは、文学者としての評価を得るという観点からは真逆に働いていく。
たとえば『おさな妻』である。本作が当初『ジュニア文芸』で発表されたものだったというのを知り私は心底驚いてしまった。え、あれってティーン向けの話だったの? 成人向け官能小説(映画)だと思い込んでいたのだ。それもそのはず、17歳の少女の結婚生活における性描写ばかりがクローズアップされていき、ハードカバーで再出版された際の売り込みは明らかに官能小説のそれであった。
昼は高校生、夜は夫の愛撫にこたえる人妻
『おさな妻』で富島が表現したかったのは17歳の夜間高校生が結婚することで巻き起こる周囲の反響であり、その中で性的描写はわずかにあったに過ぎない。このように受け取り手が誤解するような例ばかりなのだ。
『理想的初体験』ーーこのタイトルに下着姿の女性の扉絵がついたとあっては、何が書かれていようが、文学よりも読者の性的な欲求を満たす部分だけが伝わることになってしまうだろう。ジュニア小説においても官能小説においても、そこに文学的意義を持ち込もうとしていた富島の意志はここから全く感じ取れない。
“純”文学も、”ジュニア”小説も、”官能小説”もそれぞれ別の椅子に座り直して書いたわけではない。どれもが一つの椅子で富島健夫の文学として、辻褄が合っていたのである。
この態度が「ジュニア」も「官能」も手がけることを可能にしていたといえる。
しかし、そのこだわりは富島をジュニア小説あるいは官能小説の専門家と誤解させただけではすまなかった。天皇とまで言われたジュニア小説のトップの座を譲ることにもつながった。その力は世代交代によって削がれていく。
ティーン向け小説を分析した『コバルト文庫で巡る少女小説変遷史』によると、富島が活躍した「ジュニア小説」はその後の世代、氷室冴子や久美沙織らによる新しい「少女小説」にとって代わられていったそうだ。皮肉にも、氷室と久美が第10回小説ジュニア青春小説新人賞佳作を受賞した際の選考委員は富島である。この時、選評で「今回は全体として非常にレベルが低かった」としたためた。
この評は、非常に印象的である。富島にとって彼女たちの書くものは「文学」ではなかったのだろう。活躍の場だったジュニア小説誌の相次ぐ廃刊の後、晩年の活躍の場は官能小説がメインになっていった。
さて、冒頭の問いを改めて考えてみる。本書のタイトルは『ジュニアと官能の小説家』ではなく『「ジュニア」と「官能」の小説家』である。これはジュニア小説家だの官能小説家だのとラベリングしたのは富島本人ではなく、世間であったということを指す。
ジュニア小説家と官能小説家の両立は可能か? その問いは富島健夫に於いて、そもそも問いとして成立しないのである。 「富島文学」と称すべき1つのジャンルを味わいながら、本書を読んでみてほしい。