原書房の“「食」の図書館”シリーズからの1冊である。豚肉、サンドイッチ、ビール、砂糖など、今まで食べ物や飲み物、調味料の歴史を取り上げてきたこのシリーズの流れからすると「脂肪」というのは少し浮いているような気もする。とはいえあくまで「食」の図書館ということで、脂肪といってもぜい肉の方ではなく、バターやマーガリンといった食用脂肪の歴史を辿っていく。
脂肪というとすっかり悪役のイメージだが、3大栄養素のひとつにも数えられるように、カラダにとってなくてはならない存在でもある。タンパク質や炭水化物よりも1キログラムあたりのカロリーが豊富でエネルギー密度が高いため、多くの狩猟採取社会で重要な役割を果たしている。ほとんどの伝統的な食生活において脂肪は全カロリーのうち40%前後を占め、さらには伝統的なマサイ族の生活ではその割合が約66%、イヌイットにおいては約70%に上るとも言われているそうだ。
動物性食物源への依存度が高い文化には、「ウサギ飢餓」と呼ばれる病気があるという。狩りの獲物となる動物がやせ細る晩冬や早春に脂肪分の少ない肉を摂取し過ぎると、脂肪とタンパク質のバランスが崩れてタンパク質中毒を起こしてしまうのだ。「激痛と満たされない空腹に苦しみながら死に至る」という解説だけでも充分恐ろしい。
栄養素としてだけでなく、脂肪は「象徴」としても機能していた。第1章のタイトルは「権力と特権」。貴族たちの饗宴におけるご馳走としての肉、年貢として徴収されることもあった牛脂やバター、紀元前から君主の権力を示す道具でもあったオリーブオイルなど、古代から中世にかけて社会的序列を表すものとしての役割を担っていた例が挙げられる。
さらには宗教との関わりにおける象徴としての働きについて、バターを中心に書かれている。さまざまな宗教で、バターは多産、繁栄、浄罪を象徴するとされていた。中世イングランドの婚礼では、多産を願って新婚夫婦に壺に入れたバターを贈る習慣があったという。フランスのブルターニュ地方では、結婚の祝宴で彫刻や装飾を施したバターのかたまりがいくつも飾られた。チベットでは、バターは寺院の仏像に塗りつけたり、女神像など仏教のシンボルである彫像を作ったりするのに使われる。
今では嫌われ者とされる脂肪も、地域や時代を越えて眺めるとずいぶん違った扱われ方をされていることがわかる。では、悪役としての歴史は一体いつ頃から始まるのか。
大きなきっかけとなったのが、ミネソタ大学のアンセル・キーズ博士によって1950年代に開始された「7ヵ国研究」である。アメリカ、日本、フィンランド、オランダ、ギリシャ、イタリア、加えて当時のユーゴスラビアの中年男性の食習慣について長期にわたり調査したこの研究では、日本など心臓疾患の少ない国の国民は飽和脂肪酸の摂取量が少ない傾向にあるが、アメリカやフィンランドを含む国々は心臓疾患の罹患率と食事に含まれる飽和脂肪酸の量が高水準であることが指摘された。「食事と心臓疾患に関する仮説」と呼ばれるこの研究の成果が認められ、キーズ博士は1961年に『タイム』誌の表紙を飾り、ベストセラーとなった著作を通してその研究は広く一般にも知られるところとなる。
相関関係はあっても因果関係があるとは限らない、飽和脂肪酸の代替物として使用された部分硬化植物油の製造時に発生するトランス脂肪酸が健康に悪影響を及ぼす、そもそも脂肪を「良いもの」と「悪いもの」に単純に区別すべきでない、といった批判の声は当初から上がっていた。しかしキーズ博士の考えは当時の多くの医学的権威によって支持され、飽和脂肪酸「悪魔」説は通説となる。消費者団体からの圧力も加わり、大手食品メーカーは部分硬化植物油へのシフトを進めていく。
90年代にトランス脂肪酸の悪影響が明らかにされるまで、それまでの信仰が一転して批判に変わる様子といった細かなプロセスについては本書に譲る。感じるのは、何が体に良いのか、または悪いのか、とにかく人は健康に関してはっきりした答えを欲しがるということだ。「脂肪の善悪二元論」によって生まれる信仰と、その移り変わりに沿って乱立と淘汰をくり返す健康ビジネス。脂肪に限った話ではないが、健康に関する情報に対して適切な距離を取ることの難しさは今に至るまで変わらないのだ。
そうしたことも考えさせられつつ、本書ではさまざまな角度から、脂肪の歴史ついて、さらにそこから映し出される人々の営みについて知ることができる。児童文学や映画など大衆文化における脂肪という切り口もあれば、「食」の図書館シリーズの本領を発揮したような、グルメにおける脂肪についての記述も豊富だ。
西洋に関する記述に偏りがちな感はあるものの、すっかり定着した「悪役」としての脂肪に別の角度からスポットを当て、より前向きで豊かなイメージを抱かせてくれる。脂肪に対する見方をマイルドにしてくれる1冊だ。